【第13話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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4ー4 パタゴニア

 新しくて古い「日常」

パタゴニア。車窓を流れる風景は常に同じ。この辺りがいわゆるパンパスと呼ばれるところだろうか。小学校の社会科で学習するアレだ。

今日は2時間ランニングをした後、今気に入って聴いているジャズ作曲家の狭間美帆さんが指揮したセロニアス・モンクへのトリビュートアルバムを聴いていた。その前はおよそ10kmのジョグ。シャワーを浴びた後少しできた時間で柴田元幸先生の『翻訳教室』を読む。

 

走って、本を読み、ジャズを聴く(その合間に仕事をしている)。あれほど嫌で逃げ出してきた「日本にいた時の日常」が戻ってきたみたいだ。違うのは、ここが日本ではなくフィリピンのセブ島であり、ランニングコースが大阪城の外周ではなくて乗用車とジプニーとオートバイで溢れかえるハイウェイで、今僕は一人ぼっちではない、という点である。

 

旅が進んでいくにつれて少しずつ、前提であった「日本に帰る」という選択肢と帰国後のイメージが後景に退いていった。おそらくその始まりが南米パタゴニアの大自然の中で過ごす時間であったように思う。

 

エル・カラファテの街は湖畔に佇む静かな街だ。風が強くなければ何時間でもこの写真の場所で過ごせるんだけど。

 

どうしてそれがパタゴニアで起こることになったのかはよくわからない。考えてもわかりそうにないので考えないようにしているのだけれど、いずれにしてもそのせいなのかどうか、パタゴニアのことを考える時の僕はいつも日本にいた時の自分のことを考えてしまう。

パタゴニアの荒野を包む夜の静寂と地平線の上に広がる満天の星空のことを思い出すときは、その星空を見ながらいつも涙を流していた自分のことを思い出してしまう。

飾り気のない男性的な荒野にかかる月明かりがぼんやりとあたりを照らす。その月明かりがとても優しく穏やかなせいで無骨な光景がソフィスティケートされ、昼間とは似ても似つかない表情を見せてくれる。いつも強く吹いている風。日本では決して見ることのできない風景。日本では決して感じることのできない空気感。もう日本には帰りたくない。そう考えて胸が苦しくなっていた自分のことを思い出してしまう。

 

空気を読む人々

フィッツ・ロイ。この地方の名前を冠した超有名アウトドアブランドのロゴマークになっていることで有名な山。いつも雲に覆われていて見るのはとても難しいという。僕が訪れた時も、その勇姿を現してはくれなかった。

ウシュアイアを出発した僕が向かったのは、パイネではなくエル・カラファテだった。トーレス・デル・パイネ国立公園をトレッキングしなかったのは僕の南米での重大なミスの一つで(ちなみにもう一つの重大なミスはワインで有名なアルゼンチン・メンドーサに行かなかったことである)だからもう一度南米に行くことがあるのならぜひリベンジしたいのだけれど、あの時の僕は兎にも角にもそこをスキップしてカラファテで少しゆっくりしたかった。

このときひどく体調を崩していて、測ってはいないけれど熱があって、咳と鼻水がひどかった。そんな状態での10時間を超える長距離バスの移動は結構こたえた。パタゴニア地方のハイウエイは病人に優しい道とは言えない。道路はデコボコで舗装されていないところも多く、お世辞にも快適とは言い難かった。

生まれて初めての「陸路での国境越え」を無事経験して(ウシュアイアから同じアルゼンチンのエル・カラファテに陸路で行くにはどうしても一度チリに入国しなければならない)カラファテの清潔で瀟洒なホステルにチェック・インしたのが夜中の3時。眠そうな目をこすりながら笑顔で対応してくれたフロントの男性に部屋に案内されて、疲れた体をベッドに横たえた後、丸一日泥のように眠った。

 

体力が回復した後はエル・カラファテを拠点に「ペリト・モレノ氷河」「フィッツ・ロイ」といった有名スポットに足を運んだ。残念ながら「フィッツ・ロイ」の勇姿をこの目に刻むことは叶わなかったけれど、トレッキングコースの眼下に広がるリオ・グランデ川の圧倒的な存在感には思わずため息が出たし、トレッキングコースそのものの面白さは日本では味わえないものだった。

 

エル・チャルテンの街からフィッツ・ロイに向かうトレッキングコース。眼下に流れるリオ・グランデ川は本当に雄大だった。帰りのバスの時間がなければずっと見ていたかったんだけど。パタゴニアではそういうケースが多かった。まだまだ旅人としての時間の使い方が下手だったのだ。

日本にいるときには山に登るのが趣味で、少ない休みを利用してよくアルプスの山々を縦走したものだったけれど、ここで経験したトレッキングは日本にいた時のそれとは全く異なる種類の感銘を与えてくれた。

 

決して難しいコースではない、むしろ優しい部類に入るコースなのだがむき出しの自然がこの地方の気象の厳しさをストレートに物語っているようで、なんというか変な言い方かもしれないが好感が持てたのだ。

 

日本の山は天候の悪化に伴って別人のような表情を見せる。それまで穏やかだった山が暴力的な仕方で僕たちに牙を向いてくる。もちろんパタゴニア地方のそれも日本と同じくらい、あるいはそれ以上に厳しいものだろう。

けれど日本の山のような二面性というか解離(と言ってもいいと思う)はない。そういう類の暴力性・二面性はあるいは平均的な日本人の性格的特徴の一つのように僕には思われる。表情は穏やかだが心の中では全く別のことを考えている。その時のリアルな感情とは別に、常に周囲の空気を読んでその空気にふさわしい行動をとろうとしてしまうパーソナリティがある。

そして人の気持ちや空気を「読む」ことがあまり得意ではなく好きでもない僕にとって、そういう二面性はある種の暴力だった。そういうことを思い出す。

 

グラスの中の小さな宇宙

ペリトモレノ氷河。この日は快晴で最高の氷河トレッキングを楽しむことができた。ここで出会った日本人男性と終始一緒に行動した。こういう出会いも旅の醍醐味の一つだ。

ペリト・モレノ氷河では氷河トレッキングと氷河の氷で作ったウィスキーのオンザロックを堪能した。まあ極めて観光化された、いささかアトラクティブなイベントではあったのだがこれはやっぱり楽しかった。何万年という歳月を閉じ込めた透明な氷がグラスの中のバーボンの海に浮かぶ。飾り気のないロックグラスの中の宇宙はいろんなものを凝縮して黄金色に輝いていて、そこには「時間」が閉じ込められていた。どんな日本の高級なバーでも供されることのない贅沢な飲み物だ。

氷河の氷で作ったウイスキーのオンザロック。バーボンは決して高級なものではなかったけれど、これまで飲んだウイスキーの中で間違いなく最高の一杯。

氷河の上をなでるように、滑るように吹き上がって来る風はとても心地いい。パタゴニア地方のことを思い出すとき、僕はいつも「風」のことを思い出す。大気がある場所からある場所に向かって移動する。それだけの自然現象が地球上の異なる場所で、その場所の数だけの異なる表情を見せるというのが本当に興味深い。

それに伴って僕の心に想起される風景や僕の心に湧き上がってくる感情が影響を受けるというのもとても興味深い。パタゴニアを吹く風はただの風ではなく、地球そのものの息吹であるようにあの時の僕には思われた。そんなことを日本で感じることがあっただろうか。

 

何万年単位の地球の営みを感じさせてくれるような自然、というのはおそらく日本ではなかなかお目にかかることができない(僕が知らないだけかもしれない)。それは「移ろいゆくもの」「儚いもの」に美や価値を見出してしまう日本という国にあってはあまり顧みられないものなのかもしれない。日本のほぼ裏側に位置するここパタゴニアは物理的にも精神的にも何もかもが日本とは真逆で、そのことを強く意識すればするほど、僕の心は苦しくなった。パタゴニアのむき出しの自然は、僕の心に強い感動を与えてくれるのと同時に僕の心を苦しく締め付けていった。

 

それでもやはり、この地方の魅力は尽きることがなかった。時間が許すのであればずっとここに居たかったし、次に南米に来ることがあればもう一度訪れたい場所の一つであることに今も変わりはない。

ロス・グラシアレス国立公園。ペリトモレノ氷河はこの国立公園内にある。車窓からの景色がすでに絶景で、バスに乗り込んだ瞬間からもうアトラクションは始まっている。

今僕は日本ではない場所に住んでいて、日本的価値観が比較的希薄というか、日本的立ち居振る舞いや考え方がそれほど多くは必要とされていない環境に身をおいている。そこで日本にいた時のようなルーティーンをこなしながら日本にいた時とは全く異なった毎日を過ごしている。

そういう状況にある自分がもう一度あの場所に赴いた時、果たしてどのような感慨なり心象をあのパタゴニアの大自然に対して抱くことになるのだろうか。

願わくは、次にあの場所を訪れるときは笑顔で訪れることができればと思う。そして今ならきっとできるだろう、とも思う。なにせ僕はいま、フィリピンのセブ島で生活しているのだ。

つまらないスピリチュアルなことを言うつもりはないけれど、心に強く思ったことはしばしば現実を変える力がある。アルヘンティノ湖の畔で、どこまでも広がる荒野の真ん中で、パタゴニアの強い風に吹かれながら泣いていたあの時の僕に教えてあげたいと思う。旅を終えたその先に、新しい世界が、新しい人生が、僕を待ってくれているんだと。

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ABOUTこの記事をかいた人

osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。