【最終話(前編)】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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カミーノ・デ・サンティアゴ

思い出

雨が上がって、巡礼の道に虹がかった。神々しい瞬間でした。

カミーノ・デ・サンティアゴの15日間のことを思い出す時、僕はいつも幸福な気持ちに包まれる。そして同時に、どこにも持って行き場のないやるせなさを感じることにもなる。これまでの自分自身の、とりわけ後半生の生き方について思いを巡らせる時に抱く、あまり肯定的とは言えない感情とともに。

 

それでもあのスペインの美しい、どこまでも続く聖地巡礼の路を歩き続けた時の思い出が、相対的に今もポジティブな感覚を伴って僕の心の中に浮かんでくるということに、旅を終えた今の僕は概ね満足している。

 

あれからもう一年以上が経過した。過去に戻ることはできないし、過ぎ去った時間を取り戻すこともできない。けれどその場所とそのどこまでも続く巡礼路は、思い出とともにいつまでもそこにあり続けて、僕が再び訪れることを待ってくれている。そんなふうに思う。

 

僕たちは僕たち自身の弱さや脆さと同じくらい、移ろいやすくて壊れやすいものに囲まれて生きている。思い出や記憶といった抽象的なものはその最たるものの一つだ。けれどカミーノ・デ・サンティアゴとその思い出だけは変わらないものであり続けてほしいと願ってしまう。もしかしたらそれは、若かりし日の思い出を理想化し、美化して語ってしまう心性にどこか似たものなのかもしれない。

 

そんな「カミーノ・デ・サンティアゴ」での経験を、『本当の自分に出会う旅』の最後のお話として、旅を終えてちょうど一年が経過した今、記憶と記録といくつかの写真とともにここに書き留めておくことは決して悪いアイディアではないように思う。少なくとも僕にとっては。

 

サン・ジャン・ピエ・ド・ポー

ワインで有名なナバラ地方。巡礼の序盤。

サン・ジャン・ピエ・ド・ポーはスペインの国境にほど近いフランスの南西部、ピレネー山脈の麓に位置する田舎町である。にもかかわらず、この小さな町を目指して世界中から多くの人々が押し寄せる。イベリア半島北部を横断してキリスト教の聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へと至る、全長780kmに及ぶ「カミーノ・デ・サンティアゴ」と呼ばれる聖地巡礼のスタート地点がこの町なのだ。

 

8月末、アイスランドのレイキャビックを後にした僕はシャルル・ド・ゴール空港に降り立った。けれど目的地はもちろんパリではない。パリは、僕がこの世界一周の旅で訪れた街の中で最も嫌いな街の一つである。そのパリのシャルル・ド・ゴール空港で国内線に乗り換えて、僕はバイヨンヌ近郊のビアリッツ空港に向かった。到着したのは正午すぎ。いかにもと言った感じの地方都市の空港の、こじんまりとしたターミナルの外には、8月の終わりの強い日差しと夏の匂い、草いきれが溢れていた。

 

空港ターミナルの前から地元の路線バスを利用してバイヨンヌ駅に向かう。バスは郊外の閑静な住宅街を静かに進んでいく。いくつかのバス停で停車したバスは、幾ばくかの乗客を乗せ、幾ばくかの乗客はバスを降り、幾度となくそんなことを繰り返しながら目的地へと向かって淡々と走り続ける。車内は比較的閑散としていて、僕は自分の大きなバックパックを自分が腰掛けた席の隣において、窓の外の景色を眺めていた。

 

バイヨンヌ駅でサン・ジャン・ピエ・ド・ポー行きの列車の乗車券を購入する。直近の列車はもう満席で、チケットはソールドアウトになっていた。次の列車は2時間後。僕はその駅の周辺で時間を潰さなければならなくなった。と言っても取り立ててなにか珍しいものがあるわけでもない田舎町の停車駅である。僕は時間を潰すことは比較的苦にならないタイプの人間であるのだけれど(とりわけ「ぼーっとすること」は僕がこの旅で得た素晴らしい能力の一つだと思っている)、なぜかこの街で時がすぎるのを待つのは少しだけ苦痛だった。

 

2時間後、列車はやってきた。プラットフォームの場所を間違えて電車に乗るのが遅くなってしまったため、僕は座席に座ることができなかった。車両の連結部付近に位置する乗降用ドアの前のスペースにバックパックを横たえてその上に腰を下ろし、僕はドアの窓から外を眺める。列車はフランス南西部のカントリーサイドを進んでゆく。世界中の車窓の外に広がる風景は、東南アジアであれ南米であれそして日本であれ、「カントリーサイド的景観」という意味においてだいたい似たようなものである。豊かな自然と緑の木々の中を川に沿って、山に沿って走る列車。その車窓に映る風景。

 

けれどヨーロッパのそれはなぜだかとても美しい。もし仮に「カントリーサイド的景観の車窓」のイデアがあるとしたら、それは間違いなくバイヨンヌからサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに向かう車窓のそれであるということができるかもしれない。まあ同じようなことをドイツのミュンヘンからノイシュヴァンシュタイン城に向かうバスの車窓を眺めている時に感じたことがあるのでなんとも言えないのだけれど。複数のイデアがあるのならそれはもはやイデアとは呼べない。けれどその時、その場所で、その瞬間にしか感じることのできない美しさというものにフォーカスし、受け入れるならば、それは間違いなく理想的なものであるはずだ。

 

とにかくその美しいイデア的車窓風景を眺めていた僕にとって、1時間余の列車の旅はとても充実したものになった(願わくばもう少し長くその景色を堪能していたかった)。やがて列車は静かに、前述のピレネー山脈の麓に位置する田舎町にしつらえられた小さな駅舎のプラットフォームに滑り込んだ。大方の乗客がこの駅で降車する。(おそらくは)サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かって、カミーノ・デ・サンティアゴを歩くために。

 

 

ピレネー山脈を越えて

カミーノ初日。ピレネー山脈を越えてゆく。

翌朝早くに目が醒めた僕は、バターとジャムをたっぷりと塗ったフランスパンとコーヒー、スクランブルエッグといった簡単な朝食を済ませてサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを後にした。昨夜はずいぶんぐっすり眠った。前日のレイキャビックからこの町までの16時間にも及ぶ移動は、僕をとても深い眠りへと誘うことになった。

 

前日夕方の到着直後、そのまま「クレデンシャル」を取得するために巡礼事務所に向かった。クレデンシャルは巡礼者であることを証明するためのパスポートサイズの用紙で、裏面には宿泊した宿のスタンプを押印するためのグリッドが印刷されている。これを見せることで、巡礼路上の宿泊施設に格安で泊まることができるのだ。一泊5ユーロから10ユーロ。破格値である。

 

クレデンシャルと白い貝殻。どちらも巡礼者であることを証明するアイテムだ。

 

初日の、いわゆる「ピレネー越え」は率直に言って結構タフだった。20kgになんなんとする荷物を背負ってピレネー山脈を越える。ただ、「山脈」という言葉を聞いて僕たち日本人がイメージするものと、ピレネー山脈それ自体の間には少しイメージの隔たりがあるかもしれない。少なくともカミーノ・デ・サンティアゴにおけるピレネー山脈には岩場もなければ崖もなく、極端に急な勾配が続くわけでもない。代わりに、整備されたどこまでも続く美しい巡礼路を、その美しい景観のなかを、時に立ち止まって(その美しさに)ため息をつきながら前に進んで行くだけのことだ。

 

それでも初日に距離にして27km、1000mに及ぶ高低差を行くことに変わりはなく、背中の重荷はそれを少し困難なものにした。僕はもともと歩くのが決して早い方ではないけれど、結構たくさんの欧米人が僕を追い越していった。そしてそのうちの結構な数の人が「荷物大きいね!」と言って声をかけていった。実に彼らの言うとおりで、僕の荷物は平均的なそれの3倍くらいになっていたのではないだろうか。

 

その荷物を背負って780kmを歩くということを、僕はあまりにも安易に考えすぎていた。

 

 

平均的な巡礼者は、一日平均約20km、35日前後でカミーノを歩ききるという。僕もそれくらいのペースで歩くことを想定して日々の行程を決めていた。日本にいた時の趣味がマラソンと登山(と読書と音楽鑑賞)であったので、他の人よりはいくらか早く、楽にゴールであるサンティアゴに到達できるだろうと僕は高を括っていた。それに一人旅である。疲れれば休めばいいし、一日に歩く距離もその時の自分の調子に合わせて調整すればいい。

 

フルマラソンを走りきった翌日に普通に出勤してフルタイムの仕事をこなし、帰宅してまた練習で10km走る、といった生活をしていた僕にとって、20kmを「歩く」というのは実に訳はないことのはずだった。もちろん旅に出てランニングはしなくなっていたので体力はいくぶん落ちている。それでもやり遂げられる自信は充分あった。

 

だからピレネー山脈の美しい山岳風景、そこに広がる牧草地、草をはむ羊たちに心を癒やされながらカミーノ・デ・サンティアゴをスタートした僕にとって、実にあのような形で巡礼を、旅を中断することになるなどということは思いもよらない事だったのだ。二週間後、あのような思いでサンティアゴ・デ・コンポステーラを、そして世界一周を断念せざるを得ない事になるなんて。けれど人生とはまさにそのようなものである。

 

初日にピレネー山脈を越えるというセッティングは、一見タフであるように見えて実は極めて合理的だということを実感したのは二日目以降だった。あの山を越えてゆくことができさえすれば、後は(比較的)なだらかな地形が続くスペイン北部の極上のランドスケープの中をひたすら歩き続けるだけである。初日のピレネー超えは「この山が越えられないのなら、巡礼はやめておいたほうがいい」、そういうメッセージなのだ。

 

カミーノの日常

素敵な年配の欧米人4人組が楽しくおしゃべりしながら僕の横を通り過ぎていった。

他のヨーロッパ諸国のご多分にもれず、スペインにも上質なぶどうの産地があって、カミーノの序盤であるスペイン北部・ナバラもまたそのうちの一つだ。風に乗って運ばれてくる甘い香りを感じながらぶどう畑の中を歩く。あの丘を越えた先にはどんな風景が広がっているんだろうと思いながら歩く。収穫期を終えて、端正に刈り取られた見渡す限りの麦畑、なだらかな丘陵を丁寧に縫うように、彼方までのびてゆく聖地巡礼の路。

 

そんな風景の遥か彼方に小さく街が現れる。最初は小さかったその街が、時間が経つにつれて少しずつ大きくなってゆく。踏み出される一歩はとても小さく取るに足らないものだけれど、時の経過とともに姿を変えていく自分を取り巻く風景が、その歩みが確かなものであることを感じさせてくれる。少しずつ、自分が目的地に近づいていっていることを感じさせてくれる。ときおり吹き抜ける風が本当に心地良い。

 

次の村まであと少し。心が躍る瞬間。

 

僕はだいたい朝6時にその日の宿を出て、正午までには歩き終えるという巡礼生活を続けていた。途中1時間毎に休憩をとる。巡礼路沿いには大小様々な規模の町や村があって、30分から1時間で次の町にたどり着くこともあれば何時間も歩いてやっと次の村にたどり着くといったケースもある。ある時は巡礼路沿いの並木道の木陰で、ある時は町や村のカフェやバルで、そしてある時にはどの街にも必ず一つはあるキリスト教会のベンチに座って、僕は心を落ち着けて、疲れた体を休めた。

 

その日滞在する予定の村ないし町(街)にたどり着いた僕がまずすることが、その日の宿探しである。巡礼者用の宿は「アルベルゲ」と呼ばれ、安いものは一泊5ユーロくらいから、高くても10ユーロくらいまで。1つの町にはだいたい複数のアルベルゲがあって、宿泊代はもとよりキッチンの有無や設備の充実度などに応じていくつかの選択肢が用意されている。もちろん街の規模によって宿泊施設の数も変わってくるため、よりどりみどりという訳にはいかない。初日に巡礼事務所で受け取った巡礼路の宿泊施設の情報をもとに、その日の宿の大体の目星をつけて直接そのアルベルゲを訪ねる。

 

多くのアルベルゲは正午過ぎからその日の巡礼者の受け入れを始める。宿は先着順で埋まっていって、夕方までにはだいたい満床になることが多かった。人気の宿には受付開始前から行列ができたりしていることもあった。

小さい村などでは宿泊施設の数が限られているため、歩き疲れてたどり着いた村の宿が早い時間に埋まってしまい、次の町なり村までさらに疲れた体を引きずって歩かなければならない、といったケースも有るようだった。嫌なら野宿するしかない。僕は朝型の生活習慣が身についていたので、宿探しに関してはそこまで困ることはなかった。

 

街のカフェテリアにて。昼間からワインを飲む地元のおじさん。こういう生活に憧れる。

 

昼すぎに町に到着してチェックインを済ませた後は特に何もすることはない。9月の北部スペインは、朝晩はかなり冷え込むけれど、日が高く登り始める午前9時頃からは徐々に暑くなり始め、お昼すぎには汗ばむほどの陽気になる。汗にまみれた体と衣服の汚れをシャワー室で洗い流し、軒先や中庭にしつらえられたロープに洗濯物を干した後は町をブラブラすることが多かった。近くの食料品店でフランスパンと生ハムを買って、町の外に広がる素晴らしい風景や、行き交う巡礼者を眺めながら食べる。どちらも1ユーロにも満たない金額で売られているそれらの簡単な食材が最高のごちそうになるというのはささやかだけれどとても大きな幸福だった。

 

そのような単調な生活の繰り返しがカミーノ・デ・サンティアゴを歩くということである。僕の場合は他の巡礼者と仲良くなるということもなかったので、ただただ一人でその単調な生活を楽しんだ。単調という意味において、それらはまさに絶望的に退屈であるはずだったのだけれど、そのような日々のルーティーンそのものを否定的に感じたことなかった。

 

そのかわり、と言っていいのかどうかは分からないけれど、ささやかな幸福な瞬間の積み重ね以上に、苦痛に満ちた時間が多かったのもまた事実である。いや、事実というよりもむしろそれが「現実である」と言ったほうが相応しいのかもしれない。そう、僕にとってのカミーノ・デ・サンティアゴとはまさにそのようなものだったのだ。(後編につづく)

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osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。