【第14話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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5−1 チリ・バルパライソ〜サンティアゴ

アルゼンチンからチリへ

サン・カルロス・デ・バリロチェの街の中心の広場。「アルゼンチンのスイス」の名にふさわしい雰囲気と言えばそうなんだけど、少し観光地化されすぎているようで僕はあまり好きじゃなかった。

エル・カラファテを後にして向かったのは「アルゼンチンのスイス」と呼ばれるサン・カルロス・デ・バリロチェという街だった。チリとの国境にほど近い湖畔の穏やかな街で、市街地はとても整備されていて清潔ではあったのだけれど、街の中心部にある某有名ファストフード店を見た瞬間に、どういうわけかここに長居したくはないなと思ってしまった。

 

結果的に3泊しただけでこの街を後にした。この後、そのまま北上を続けてメンドーサにいくべきだったと今となっては思っている。けれどアルゼンチンの安価で質の高いワインとステーキにいささか食傷気味だった僕は、そろそろ次の国へ移動したくなっていたのだ。

街の郊外にあった家。広い敷地があって、庭には花が植えられている家が多い。

バスはアンデス山脈を超えて西に進路をとる。標高が高くなるにつれて空は次第に灰色の雲に覆われていった。やがてバスはネウケンの国境検問所に差し掛かる。イミグレーションの物々しさと低く垂れ込める雲。建物の外では警察犬がバスのトランクから出されて並べられた、国境を越える人々のザックやスーツケースを片っ端からチェックしてゆく。アルゼンチンには結果的に1ヶ月近く滞在したことになるな。そんなことを考えるともなく考え、利口な警察犬たちが粛々とその職務をこなしていく様子を、イミグレーションの列に並びながら窓越しに眺めるともなく眺めていた。

 

ウシュアイアを出発してからはずっとバスで移動していた。最終的にはチリのサンティアゴまで1ヶ月ほどかけておよそ2000kmを移動したことになる。バタゴニア地方の道路は未舗装の部分も多く、慣れないうちは絶え間ない振動に悩まされていたものだったけれど、バリロチェのあたりまでくるとインフラも随分整備されている。道は広くて走りやすくしっかりと舗装されていた。

 

したがって、もともとクオリティの高いアルゼンチンのバスはとても心地のいい移動手段ということになる。長距離の移動になるので夜行バスを利用すれば宿泊代を一泊分浮かせることもできる。しかもちょっとした食事と飲み物までついてくるのだ。多くの旅人がそうするように、南米を長期で旅するには悪くない方法だった。

国境の検閲所。このあとこの荷物の匂いを犬が嗅いでまわる。その様子を撮影していた外国人がこの職員にかなり怒られていたので、ワンちゃんの写真は撮れませんでした。

汐見荘

有名なチリの日本人宿「汐見荘」のキッチンからの眺め。太平洋が眼下に広がる。ここには一週間近く滞在した。

今振り返ってみると、チリでの思い出は比較的いいものが多いように思う。あまり危ない目にも会わなかったし、食べ物は美味しかった。そして何より、たくさんの素晴らしい旅の仲間に出会うことができた。

 

チリの首都サンティアゴの北西およそ100kmの太平洋岸に「バルパライソ」という、町中にアートが溢れる世界遺産の街がある。そのすぐ近くの「ビーニャ・デル・マール」という街にある「汐見荘」という日本人宿は、僕がチリで絶対に訪れたかった場所だった。

汐見荘の近くからバルパライソ方面を望む。この辺りは高級住宅街で、比較的治安もいい。バルパライソは世界遺産の街だ。

フィリピン・セブの語学学校で英語を勉強していた時に、マネージャーでもあり僕の旅の師匠でもあるご夫婦から「数十円でアワビが買える漁港が近くにある」というその宿の話を聞いていてこれは外せないと思っていたのだ。

 

アワビだけではもちろんなくて、それ以外の新鮮な魚介類も漁港に併設された市場で購入することができる。宿には元料理人の旅人が滞在していることが多いらしく(理美容師・看護師・調理師は三大旅人職業だと思う)、シェア飯のクオリティが極めて高くなるのだ。しかも出費は数百円。有名なチリワインをつけても決して1000円を越えることはない。

 

僕がここを訪れたのは3月の中旬で、宿に滞在していたのは圧倒的に若者が多かった。大抵は大学を卒業して就職するまでのつかの間のフリーな時間を南米大陸の周遊にあてていると言う人たちだった。アジアでもヨーロッパでもなく南米を選ぶ人たちである。みんな好奇心が旺盛でコミュニケーション能力も高く、比較的落ち着いた雰囲気の魅力的な若者が多かった。

 

自分たちの親ほどの年齢になる僕のような中年バックパッカーにも本当に親切に分け隔てなく接してくれたし、新鮮な魚介を肴に彼らと飲むチリワインは本当に美味しかった。ボトル一本数百円のワインがこんなに美味しいと感じることがあっただろうか。

 

みんな来たるべき職業生活と未来に希望といささかの不安を抱いていて、そんな彼ら彼女らの熱の入った語りが本当に印象に残っている。当然僕にも20代の頃があった(今となっては信じられないことだ)。もう随分昔の話だけれど、僕の20代、特に前半はあまり明るいものとは言い難かった。

世界遺産の街「バルパライソ」にて。街にはアートが溢れている。この壁の絵は有名ですよね。普段自分の写真は取らないんですが、この時は一緒に行動していたプロのカメラマンさんに言われるがままに、いろんなアートの前でいろんなポーズをとりました。

いわゆる「就活」のようなものが一般的になりつつあった時期だったように記憶している。僕は大学を2年も留年していた。しかも専門は外国語で卒業したのが私立の外大である。就職市場で最も競争力のない人材であることは重々承知していたけれど、それでも現実を突きつけられるのは辛かった。

 

時々日本に帰るといわゆる「リクルートスーツ」に身を包んだ学生たちが疲れた顔で電車やバスに揺られているのを目にする。同じような服を着て同じような髪型をして、それでも面接では個性をアピールしなければならないという倒錯的な競争を素直に受け入れて、その結果に一喜一憂している若い人たちを見ると若い時の自分と日本の未来のことを考えていつも暗澹たる気持ちにさせられる。

 

そして心の底からこう言いたくなる「そんな競争に身を投じて自分自身をすり減らす必要は、必ずしもないんだよ」と。

 

けれど当時の僕は、僕が日本で出会う若者たちのようにその倒錯的競争社会の中でもがいていた。就活そのものを否定するつもりはないけれど(本当は全力で否定したいんだけど)、そういう社会でいわゆる「勝ち組」になることは決して人生の勝ち組になることを意味しているわけではない。そんなことは当の面接を担当している人間が一番よくわかっているはずなのだ。

けれどそんな彼らにもまた選択肢はない。会社の求める人材を、会社が求める方法で選別しているに過ぎないのだ。そこには主体性や自主性のようなものもない。そうやって組織的に自主性・主体性を抑圧することで僕たちの社会は成り立っている。そしてそういうことに気づくのは、皮肉なことにそれからずっとずっと後のことなのだ。

バルパライソ。鮮やかに塗られた建物の二階の窓からのぞく色とりどりの傘。雑貨屋さんやカフェがたくさんあって、街歩きがとても楽しかった。

スクラップ・アンド・ビルド

汐見荘で同室になった男性の一人が、僕が卒業した前述の英会話スクールを別の時期に卒業した人だった。お互い卒業時にプレゼントされる記念品のブレスレットを身につけていたのですぐにそれとわかったのだが、そういう邂逅に恵まれたことも素晴らしい思い出の一つである。

しかもその出会いの翌々日にチェックインしたプロカメラマンの男性もまたその語学学校の卒業生で、こちらの方とは数週間ほど留学時期が重なっていたのだ。フィリピンで初めて出会った日本人とチリで再会する。そんな素敵な出会いを演出してくれる語学学校が他にあるだろうか。

 

さらにその数日後にチェックインした、僕と同じ関西出身の二人の女性と話していて、彼女たちが同じ日に同じ便で次の目的地である「イースター島」に行くということがわかった時はなんと言うか鳥肌がたった。どちらも20代前半のとても快活な印象の女の子で、自然とその二人とイースター島で落ち合おうと言う話になった。その二人に別の二人を加えた4人の女性と僕の5人で車をレンタルしてイースター島を周遊できたこともやはり、僕の世界一周における最高の思い出の一つである。

ダウンタウンの中心地「アルマス広場」。多くの人で賑わっていたのでしばらくのんびり過ごしていたんだけれど、ここは麻薬の取引場所として有名らしい。あとで知った。

結局チリに滞在したのは2週間程度だったのだが、そのおよそ半分をビーニャ・デル・マールの汐見荘で過ごして次に僕が向かったのが、モアイ像で有名なイースター島だった。イースター島はご存知の方も多いと思われるのだけれど太平洋のど真ん中に浮かぶ絶海の孤島である。チリからおよそ3800km。当然飛行機で飛ぶことになる。フライトの前々日にサンティアゴ入りして1日を市内観光にあてた。

 

ブエノスアイレスの観光をスキップした僕にとって、チリのサンティアゴが初めての南米の都市部を旅する機会になったのだが、正直な話想像をはるかにこえる発展ぶりに驚いた。スペイン統治時代の建築が街のいたるところに見られ、それらが現役でいまも活躍していることにも驚かされた。スクラップ・アンド・ビルドで経済を回している日本とは街の印象が随分異なる。栄光と屈辱、歓喜と絶望、そういったものを一つの歴史的文脈の中に落とし込んで築き上げられたような統一感のあるヨーロッパの街並みとも随分違う。

 

それはポジティブなものネガティブなもの、相反する様々な価値をそのままの姿で受け入れようとするこの国の人々の姿勢をそのまま反映しているもののようにあの時の僕には思われた。そこには「良い」とか「悪い」といった価値判断とは別の次元の感性が働いているようにも思う。物事の「良い」「悪い」なんて文脈一つでどうにだって変わるのだ。絶対的な価値基準なんてありはしない。

 

植民地支配という歴史を粛々と受け入れ、それを正当化するでも全否定するでもなくただ景観という形で可視化したかのようなサンティアゴの街並み。それは自分自身の生活史の影の部分をどうにか糊塗し、ごまかしながら現実から目をそらし続けて生きてきた僕自身に対する無言のメッセージのように思われた。

 

そう、日本にいた時の自分はただ「弱かった」のだ。弱さゆえに、自分自身の過去にきちんと向き合うことができていなかったのだ。ある出来事を「良い」に、ある出来事を「悪い」にカテゴライズして、都合のいい部分だけをつぎはぎしてそれなりに格好のつく自分史を作り上げる。「悪い」部分はなかったことにする。あるいは見ないふりをする。その上にオリジナルとは趣を異にする別の自分史を築き上げて行く。まるでスクラップ・アンド・ビルドの日本の街並みみたいだ。

サンティアゴ中心部。この建築は劇場として今も利用されていた(と思う)その後ろにそびえる高層ビル。低公害バス。新しいものと古いものが共存している。

 

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2 件のコメント

  • いつも考え深く拝読しています。

    今日ブログを読んでいてふと思い出した言葉がありました。大前研一さんの言葉です。

    「人間が変わる方法は三つしかない。」

    一つめは時間配分を変えること、
    二つめは住む場所を変えること、
    三つめはつきあう人を変えること。

    最も無意味なのが〝決意を新たにすること〟である。決意だけでは何も変わらない….

    これってたぶん本当に実践した人にしかわからない事かもしれないけど 「そうなのかもしれないな・・・」と思ってます。

    • いつもお読みいただいてありがとうございます。
      「時間配分を変える」「住む場所を変える」「付き合う人を変える」というのは、山梨学院大学の竹端寛先生がよく引用されていて、僕の好きな言葉でもあります。
      大前研一先生のことは寡聞にして存じ上げないのですが、僕が旅に出るきっかけの一つになったこの言葉を共有できて嬉しく思います。
      これからもどうぞよろしくお願いします。

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    osugi

    2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。