【第21話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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 ルート66・アメリカ合衆国(1)

待ち合わせ

「インスタ映え」してますでしょうか?

ペルー・クスコの空港を出発しておよそ24時間、丸一日かけてここシカゴまでやってきた。学生の時に一度グアムに行ったことがあったくらいで、アメリカ本土に降り立ったのはこれが初めてだった。ここでこれから1ヶ月弱を一緒に過ごす仲間と待ち合わせをしている。けれど具体的に何時にどこで、という話は聞いていないししてもいない。携帯電話が普及してからというもの、待ち合わせという行為の意味合いや方法も随分変わった。とりあえず現地についてしまってから連絡を取り合えばいい。

 

ただ、僕は長期で海外を旅しているので当然ながら電話は繋がらない。しかしながら便利なもので、今やだいたいどこの空港にも無料で利用できるWi-Fiが用意されている。それを利用して仲間とコンタクトを取ればいいというわけだ。かつて「待ち合わせ」という行為が含んでいた期待感や緊張感といった趣はもはや微塵も残っていないのだけれど、テクノロジーの進化や利便性の向上というのはつまるところそういうことを意味する。

 

待ち合わせとは別に、僕には一つこの空港でしなければならないことがある。ペルーから乗り継いできた航空会社のカウンターに行ってスタッフと相談し、ペルーに残ったままになっているバックパックをどうにかピックアップする算段をつけなければならなかったのだ。

 

リマで話をした航空会社のスタッフによれば、リマ〜フォートローダーデール間のフライトが毎日あるわけではないため、シカゴへの荷物の到着は明日以降になるという。今日一日は手持ちの荷物でどうにかやりくりしないといけないわけだけれど、幸いというか、僕は夜をまたぐフライトの時には必ずバックパックの中の荷物をなるべく手荷物の方に移し替えるようにしているので、最低限の身の回り品はある。これはこれまで経験した失敗や不手際から僕が経験的に学んだ旅の処世術のようなものである。

 

飛行機が正確に予定通りに出発し到着するということは基本的にありえないと考えておいたほうが精神衛生的にも楽なのだ。自分が当然と思っていることがうまくいかなかったり、事がスムーズに運ばないといったことは旅では日常茶飯事である。日本の便利で快適な公共サービスの水準を期待して行動していたら物事はなかなか前に進まない。そして時間に追われたり焦ったりしている時に、必ず何か失敗をやらかすのが僕なのだ。

 

だから飛行機が夜を越えて予定通りに目的地まで到着する確率というのは低めに見積もっておいたほうがいい。飛行機の中で夜を越せない可能性は十分にあるし、予定の遅れから急遽宿泊先をアレンジする必要が生じる可能性だってある。もしかしたら野宿する必要だってあるかもしれない。余談だけれど、僕が旅を終えて「これだけは持って行っておけばよかった」と後悔した旅グッズは何を隠そう「寝袋」である。あれがあるだけで、随分旅における柔軟性と機動力が増して危機対応能力が向上しただろうなと思うからだ。

 

それはともかくバックパックのことが気になっていた僕は、空港のWi-Fiに接続して仲間とコンタクトを取ることもそこそこに、インフォメーションで確認した航空会社のカウンターへと足を運んだ。待ち合わせの方はまあなんとかなる。なにせここはアメリカで英語が通じるし、今はテクノロジーが進化した21世紀なのだ。

 

 

インフルエンザ

キャデラック・ランチ。ルート66の名所の一つ。

結果的に僕のバックパックは、明後日の土曜日の午後の便でシカゴに到着するということがわかった。それが最短であるということだった。問題は荷物の受け取り方である。航空会社は(それが僕のミスであるにも関わらず)僕の宿泊先に荷物を送ってくれると言った。けれど明後日の宿をどこにするかなんてまだ決めていない。これから先のことはこれから決めるのがバックパッカーのスタイルというものだ。明日以降の宿はとりあえず仲間との顔合わせが済んでから決めることになっている(はずである)。

 

そういうことならこの空港のカウンターまで取りに来て欲しいと、スタッフの女性は言った。事実それ以外に方法はないし、それが一番確実だ。今日予約しておいたレンタカーをピックアップして明日には出発しようというザクっとした当初の予定を変更してもらわなければならない。誰も嫌とは言わないだろうけれど少し申し訳ない気持ちがする。僕たちのアメリカ横断の旅の幸先を挫くような提案をすることに気がひける。

 

いきなりの予定変更で始まることになった僕たちのルート66の旅は波乱の幕開けとなった。今回の旅は20代の女の子4人と、僕と年の頃が同じ男性と僕の計6人でスタートしたわけだけれど、そのうちの一人がどうやら前泊先のカンクン(だったと思う)でインフルエンザにかかっていたようなのだ。

 

ワゴン車という狭い密室で常に行動を共にするわけである。当然一人ひとり順番に病気になっていくわけだ。ただ、不思議なことにそのウイルス(?)は女性にしか感染しないもので、僕たち男性二人は無事だった。そんなことってあるんだろうか?とにかく体調不良の仲間を置いて先に進むわけにもいかない。ある時は症状の軽快を見計らって彼女をワゴンに乗せ、ある時は看病するもう一人の彼女が残って後日合流する、というような変則的な旅になった。

 

 

The beginning of route 66

シカゴのルート66出発点。

仲間との合流を無事果たして、そのうち二人とはその時が初対面であったため自己紹介がてらいろんな話をし、僕の事情を説明した。明後日にもう一度シカゴの空港まで行って荷物を取ってこないと行けないんです。それから旅の大まかな予定を立ててモーテルの近くのファストフード店を後にしたのが午後10時。僕の荷物のピックアップが明後日となるので翌日の宿をシカゴで再度探さなければならない。ごめんなさい。けれど気さくな他の5人はそんなことは一向に気にしていない様子だった。1日シカゴ観光できますね。そう言って笑っている。みんなポジティブなのだ。

 

けれど前述の謎のインフルエンザの影響で波乱含みの幕開けとなった僕たちのルート66の旅がようやく軌道に乗り始めたのは、シカゴ到着から1週間ほどが経過したアルバカーキの街からだった。みんなようやく病から立ち直って、その日は「ホワイトサンズ」にいく予定だ、という日に今度は僕が原因不明の嘔吐と下痢で動けなくなってしまった。

幸い今日は宿を移動しない。ここのモーテルを拠点にホワイトサンズまで往復するというのがこの日の予定である。ホワイトサンズを諦める代わりに(このことはとても残念な思い出として残っている)一日静養に当てることにした。言ってらっしゃい。そう言って仲間を見送った後、夕方まで泥のように眠った。

 

人間が6人集まって1週間も過ごせば、別にわざわざ話し合わなくてもだいたい役割分担が決まってくるものだ。僕は大変申し訳ないことに国際運転免許証を取得してこなかったので、運転は他の5人が交代で行うことになった。走りやすいハイウェイは女性が、市街地などの交通量の多いところはもう一人の男性が担当する。

 

その男性はカメラマンでありかつ調理師であるという、旅するために生まれてきたような人だったので、毎日の食事は彼の指示に従ってみんなで手分けして作った。長く旅を続け、外国の大味な味付けに食傷気味だった僕たちは、彼の作る和食を本当に美味しく食べた。

 

シカゴで一日空白の時間ができたので、現地の日本食スーパーで醤油やだしなどの調味料と「ガスコンロ」を調達した。それから包丁やまな板などの調理器具。カトラリーはみんな持参している。生鮮食品などの食材はその都度移動先のスーパーマーケットで調達すればいい。

 

そういうわけで、アメリカ横断中に僕たちが最も多く食したのが日本食で、しかも食材費は一日およそ20ドル弱、これを6人で割ったのでかなり低く抑えることができた。各自が好きなものを食べたりしたこともあったしレストランで食事したことも多々あったので実際の食費は当然これ以上かかっているのだけれど、一人当たり一日平均3〜4ドル程度で美味しいご飯を食べていたことになる。アメリカ横断を考えているという人は参考にしていただけると幸いです。

ただ一度モーテルで調理をしているときにそこが火気厳禁のモーテルであることに気づかず、消防署に通報されてしまってちょっと怒られるというハプニング(まあこんなものはハプニングのうちに入らないのかもしれないけれど)があったので、その辺りはご注意ください。

 

 

数値化

ルート66ぞいにはクラシックカーが多数展示されているスポットがあります。ここはルート66の中間点のカフェ。

それでは国際運転免許証を持たない僕に与えられた役割はなんだったのかというと主に英語だったと思う。僕とてそんなに英語ができるわけではないけれど、大学の時に英語を専攻していたこと、旅の前に10週間後学校に留学していたことなどから、何か英語でコミュニケーションを取る必要が生じたときは必然的に僕がそうするようになっていた。

 

それまで、僕には「他人のために」英語を使うという発想がなかった。大学を選んだ理由は「これからはグローバル時代なので、英語ができた方が就職にも有利だし、お給料の高い仕事に就ける」という打算からだった。いまひとつは高校の時に交際していた彼女がその大学に進学するという理由だった。どちらも幼児的で自己中心的で、いま考えても吐き気を催すような理由だ。

 

そういうモチベーションで学問を、とりわけ語学をするということがどれだけ無意味で、かつ「学び」という行為そのものを毀損するものであるか、その後の自分の人生を振り返って思いを致さずにはいられない。結果的には6年かかって大学を卒業する羽目になり、両親には大きな経済的負担を強いた挙句、就職活動にも失敗するという親不孝ぶりである。

 

そのことは僕の消したかった過去で、自分の誤った選択を正当化するために僕はソーシャルワーカーという仕事を選んだと言っても過言ではない。当時精神的に参っていた母を助けたかった、その為に勉強し直して精神保健福祉士になりました、同じように苦しむ患者さんを助けることができれば・・・というような就活的ストーリーテリングのようなものを駆使して遅ればせながら社会に出ることができたのが26歳の春だった。

 

そんなものは半分詐欺みたいなものである。そしてそれとてやはり自己中心的な理由であることに変わりはない。心の病に苦しむ人を助けたい、という目的以前に、まず自分の過去を正当化したいという欲望が厳として存在する。自分にとって不都合な事実に蓋をして、そこから目をそらすようにして過ごした15年間の職業生活が自分を幸せにしてくれるようなことがあるはずもなかった。病むべくして病み挫折するべくして挫折したのだ。

 

そして今、その英語をなんとか駆使してささやかながら「人のために」何かをしていた自分がアメリカにいて、今セブにいる。僕の英語力は決して豊かなサラリーを僕にもたらしてくれるようなものではないし、他者との競争を有利に進めるためのツールにもなりはしない。ただ英語が好きで、英語が楽しい。それだけのモチベーションで触れている英語が僕にもたらしてくれることはとてつもなく大きくて豊かだ。

 

前回(こちら)も記した通り、言葉は決して自己実現のための「手段」なのではない。言語はそれ自体が「目的」なのだ。○○テストで800点取れれば○○に就職できる、というようなマインドで英語に触れることを否定はしないけれど、その人にはおそらく、そのテスト800点分の幸福しかもたらされない。英語を学ぶということは、本当はもっと豊かで素晴らしいことなのに。

 

僕は英語の○○テストなんて受験したことはないし、そんなに高い英語力を駆使できているわけでもない。けれどその英語を通じて今僕が受け取っている豊穣は、お給料の多寡であるとかテストの点数であるとか言った数値で外形的に評価したりできるものでは決してない。誰が人の能力や幸福の度合いを正しく数値化したりできるというのだろうか。可処分所得の多寡によって?保有する資産の時価総額?SNSのフォロワーの数?そんなものは必ずしも人を幸せにしないということに、もうみんなとっくの昔に気づいているはずじゃないか。

フォレスト・ガンプ・ポイント。後ろにモニュメントバレーの奇岩群。トムハンクスが走ったところですね。

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osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。