【第22話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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ルート66・アメリカ合衆国(2)

インスタグラム

今この文章を書いているこの時期日本では桜が満開で、「インスタグラム」をチェックするとたくさんの桜の花の投稿を見ることができる。ちょうど一年前、同じ時期、アリゾナ州フラッグスタッフで桜の木を見ていたな。そんなことを思い出す。

 

僕の世代のSNSといえばFacebookなのだけれど、若い世代はもう違うということを知ったのはアメリカ横断中だった。前回も書いた通り、僕はこの時4人の20代の女性と旅をしていたのだけれど、彼女たちの「インスタ映え」する写真に対する情熱はなかなか凄まじかった。同じ場所で、構図や立ち位置を何度も微妙に変えながら、何十枚という写真を撮る。使われるのはそのうちの1枚だ。光の当たり方、表情、ポージングその他撮影した写真を入念にチェックしてベストの一枚をインスタグラムに投稿する。みんなちょっとした「インスタグラマー」だ。

 

セドナ。世界に一つしかないという「青いマクドナルド」にて。

写真に収まる自分たちの服装にも、彼女たちはまたずいぶん気を使っていた。バックパックと一緒に彼女たちが持ち歩いていたスーツケースには衣服がぎっしり詰まっている。衣服というよりむしろ衣装といってもいいくらいだ。朝食を食べ、少しおしゃべりしたあと、その日の目的地での写真の撮影に相応しい洋服を時間をかけてじっくり選ぶ。そんな風にして1日が始まる。僕はその時間を散歩に当てるようになっていた。冒頭の桜の写真はそんな時に撮影したものだ。アリゾナで見る桜の木。おそらく日本のソメイヨシノとは違った種類の桜の木なのだけれど、外国でみる桜の木にちょっとした旅愁を感じたのはよく覚えている。桜と旅愁。なんだか食い合わせの悪い言葉の並びではある。

 

とにかく、彼女たちのお気に入りの写真が撮れるまで何度もシャッターを切るのもまた、アメリカ横断における僕の役割の一つになっていた。それが「楽しい」と思えるようになるまでにそんなに時間はかからなかった。終わりの頃には彼女たちがだいたいどのような構図を好み、どういう写真を撮りたがっているのかがおおよそわかるようになっていて、それが実際に彼女たちのアカウントに投稿されて、たくさんの「いいね」がつくのをみるのが嬉しかった。彼女たちに影響されて、僕もこの時期からインスタグラムを利用するようになっていった。

(ちなみに僕が世界一周中に撮りためた写真は「osugi_san」でみることができます。よろしければ是非)

 

 

グランドサークル

セドナにて。世界屈指のパワースポットだそうです。UFOなどが見られるらしい。

東京や大阪といった大都市単体を見てみれば、それらはニューヨークやシカゴ、サンフランシスコといった都市に比べても遜色のない規模を誇っているように思う。けれど一旦都市を出て車を郊外に走らせてみると彼我の国の違いというものを思い知らされることになる。人が住まない場所には基本的にはだだっ広い荒野が延々と広がっているだけだ。セントルイス、オクラホマ、ラスベガス・・・ルート66上の街は、そんな荒野の中にいわば「点在する」形で存在する。車で移動していると、広大な国土の中に日本の首都くらいの規模の街がポツンポツンといくつも点在している、という様子を目の当たりにすることになる。国土の7割が山林で占められ、残りの狭い平野部にひしめき合うように人が住み街を作る日本では想像できない光景だ。

 

グランド・キャニオンやホースシュー・ベント、モニュメントバレーと言った「グランドサークル」と呼ばれるエリアに点在する絶景もまた、事情は似通っているように思う。日本のそれと違うのは、その国立公園なり世界遺産の規模である。比較的小さいと言われる「ブライスキャニオン国立公園」ですら、145㎢。1日でみるには少々きつい。グランドキャニオン国立公園に至っては約4900㎢。参考までに、東京都の面積がおよそ2900㎢である。そんな規模の国立公園が、広大な空間に「点在」するのである。

 

したがって、日本の世界遺産を見に行く感覚でアメリカの絶景を見に行くと度肝を抜かれることになる。グランドキャニオンなんて正直写真で飽きるほど見てきたし今更行ってもなぁくらいに思っていたけれど、実際に行ってみるとその景観は圧倒的だった。ああいうのを真に「絶景」と呼ぶのだろう(そして当然そこもまた格好のインスタグラム的風景ということになる)。

 

 

ブライスキャニオン国立公園。

僕は基本的にそんなに親切な人間ではない。人と関係を築くのもそんなに得意ではないし、どちらかというと一人を好む(でも寂しがり屋でもある)。口数もそんなに多くはなくて、人から「何を考えているのかわからない」と言われることもしばしばだ。「感じが悪い」と言われることさえ少なからずある。けれどこのアメリカ横断中の僕はおそらくそんな日本にいた時の自分とは全然違っていたように思う。嬉々としてインスタ映えする写真を撮ることも、人に代わって嫌いだった英語でコミュニケーションをとる事も。別に無理してそういう役割を演じていたわけではなくて、とても自然に自分でも気づかなかったそういう部分を引き出してもらっていたという感じだ。

 

 

自分らしくあるということ

グランドキャニオン国立公園。ここの広大さには正直度肝を抜かれました。

なんども書いていることだけど、人間は環境や人間関係によってどんな風にも変わって行くなとつくづく思う。そういうのを「自分がない」とか「自分らしくない」と言って否定的にとらえる人もいるけれど、僕にしてみれば「首尾一貫した自分」みたいなものの方が窮屈だ。一度自分をアイデンティファイしてしまったら、あとはずっとそのままブレない自分を貫き通すというような価値観がもてはやされているように思うけど、そういうものがうまく見つけられずに四半世紀をもがきながら生きてきた僕には自分らしさ信仰(のようなもの)はとてもきつくて苦しかった。

 

つまらない言葉遊びをするつもりはないけれど、「自分がある」という前提からしか「自分がない」という状況は生まれないし、自分がある=善とする価値観が共有されている状況があるから自分がない=悪というような価値観が生まれる。そういう価値観の中で生きることは少ししんどいし、そういう価値観を社会全体で共有することは知らず識らずのうちにだれかを傷つけることにもなると思う。日本にいた時の僕のように、そんな風に生きていけない人だっていっぱいいるのだ。

 

ホースシューベント。グランドサークル屈指の絶景スポットだ。

今も昔も僕は相変わらず優柔不断で寂しがり屋で、いつも自分に自信がない。地味だし暗いし相変わらずパッとしないけれど、僕は今セブで結構幸せに暮らしている。そんな自分は環境や他者によってどんな風にも変わりうる様々な表情を持っている。そういうのを「自分らしさ」からは程遠いものとして否定的に解釈する人もいるのかもしれない。けれど、時に迷い、傷つき、ためらう移ろいやすい僕は、いついかなる時も自分らしさを主張して譲らない僕よりも少なくとも「人間らしい」とは思える。そういう種類の「人間らしさ」を軸にした「自分らしさ」のようなものをうまく表現する言葉が見つからない。逆にその言葉を探したくて、こうして今日も机に向かって文章を書いているのかもしれない。

 

僕たちを乗せたバンはグランドサークルを後にしてアメリカ西海岸に向けて進んでいく。アメリカ中西部の荒野を走り抜けていく。ここを抜ければラスベガス、そしてカリフォルニアのハリウッド。そこまで行けばゴールのサンタモニカビーチはすぐそこだ。車もみんなも調子がいい。ゴールがもうすぐということは、このアメリカ横断の旅が終わるということを意味する。始まりがあれば終わりがあるのが旅であると、アメリカ横断当時の僕は当然のことのように思っていた。

本当の意味での自分らしさを求めて、一人でも多くの「自分」に出会うために「旅するように生きてゆく」という考えに、この時はまだ至ってはいなかったのだ。

ゴールデンサークルから足を伸ばして「イエローストーン」まで行った。これはさすがにちょっと無茶な行程だったかもしれない。車は夜通し走って、僕はずっと寝ていた。ごめんなさい。

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ABOUTこの記事をかいた人

osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。