【第24話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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サンフランシスコ・アメリカ合衆国

世界一広い海が始まる場所

ロンダード・ストリート

「カリフォルニアは世界一広い海が始まる場所で、かつ終わる場所である。それはその人が何語を話すかによって決まる。」(※1)というのはリチャード・ブローティガンの小説の一節である。彼はモントレーについてこう書いているわけだけれども、僕が今回訪れることになっていたのは同じ太平洋岸のサンフランシスコ。モントレーから北北西におよそ100マイルの、あまりにも有名なあの港町である。

 

世界一周に出ると決めた時、そういうことを面白がってくれるだろうという幾人かの知人にそのことを話した。その中の一人がぜひあってほしいと言って紹介してくれたのが、ここサンフランシスコに住むというその知人の親戚だった。ここで詳述することはとてもできないけれど、その方の四半世紀はまさに波乱万丈で、ちょっとしたテレビ番組で取り上げられてもおかしくないようなライフヒストリーの持ち主である。

 

年の頃は僕と大体同じくらい、柔らかい物腰と笑顔がとても素敵なホスピタリティ溢れるその方はヒロさんという。5日間のサンフランシスコの滞在中、僕は文字通り終始お世話になった。昼は彼の自家用車でサンフランシスコの思いつく限りの名所を案内してもらい、夜はゴールデンゲートブリッジから車で10分程度走ったところにある郊外の彼の瀟洒な平屋の一軒家で眠った。夕食時には大体安くてクオリティの高いカリフォルニアワインを飲んだ。ジンファンデルというぶどうの品種で作られたワインはカリフォルニアの気候にとてもマッチしていて、強すぎない酸味と主張しすぎない渋みと程よくフルーティーなボディがとても僕好みだった。その彼はいつもシャンパンを飲んだ。

有名な海鮮料理店が軒を連ねるフィッシャーマンズ・ワーフから少し離れたところにあるオイスターバーで食べた生牡蠣も忘れることができない。生牡蠣がロゼのシャンパンに抜群に合うということを僕はここサンフランシスコで学んだ。白ではなくてロゼ、スパークリングワインではなくてシャンパンです。みなさんぜひ覚えておいてください。今度日本に帰った時は是非日本の生牡蠣で飲んでみたいものだ。

 

フィッシャーマンズ・ワーフ

 

本当の自分に出会う旅

サンフランシスコの坂道。海に映画にもなった監獄島「アルカトラズ」が浮かぶ

5月のサンフランシスコは終始快晴だった。爽やかな風がいつも吹き抜ける丘の上から世界一広い海を眺める。5月のカリフォルニアのなんのてらいも留保もない潔いくらいの陽気に包まれながら、たくさんの美味しいものを食べたくさんの美味しいワインを飲み、ヒロさんとお互いが生きてきた四半世紀の話をした。

 

僕のそれはとても人に誇ることのできるような代物ではない。たくさんの人を傷つけてきたし自分もそれなりに傷つき、その度に後悔の念に苛まれることにもなった。その果てにいまの僕はこうして世界を旅してサンフランシスコで美味しいワインを飲みながら豊富な海の幸に舌鼓を打っているのだ、というような話ができるほど僕はポジティブな人間でもなければ無責任な人間でもない。

 

セブにいる今は、自分の過去をある程度客観的に、そしてある程度肯定的に振り返ることができる。けれど少なくともサンフランシスコを旅している時の僕はまだ、自らの身に降りかかったいくつかの出来事を否定的な観点からしか理解することができずにいたし、そういう経験を迂回して生きることができていれば自分の人生はもう少し豊かで満ち足りたものになっていたかもしれないのにという、言ってしまえば「他責的な」後悔の念に支配されていた。

 

ノブヒルの老舗ホテル「インター・コンチネンタル・ホテル」の最上階のバー「トップ・オブ・ザ・ヒル」から。左手奥はサンフランシスコ・ベイブリッジ

けれどヒロさんと一緒に過ごした時間と、彼がサンフランシスコの郊外の一軒家で、パートナーとたくさんのチワワとのささやかな生活という幸福を得るまでの物語は、僕のような人間の経験がいかに凡庸で取るに足らないものであったかということを思い知らせてくれた。そしてそこから何らかの教訓を得ることもなく、ただある出来事に常にネガティブな意味づけをしてそこから目をそらそうとしてきたこれまでの自分自身に気づかせてくれた。

 

僕と比較の対象にするのもおこがましいような経験を経てヒロさんは僕の目の前にいるのだった。前述の通り、ここにその詳細を記すことはできないけれど僕のような田舎者が、自分史の中に9・11同時多発テロだとかそういう世界史の一コマから比較的直接の影響を受けるような人物と日本で出会うことはまずないといっていい。

 

それはとっても刺激的で、波乱万丈で、僕の想像をはるかに超える出来事に満ちあふれている。自分だったらとても耐えられないと思う。けれどそういう話を時にジョークを交えながら淡々と語るヒロさんを見ていると僕という人間のパーソナリティと自分史の様々な側面に否が応でも直面せざるを得なくなる。彼は誰も責めないし、誰のせいにもしない。翻って僕は前にも少し書いたことがあったけど、この時点ではまだまだ自分が歩んできた四半世紀についての棚卸しができていなかった。そういうことを意図して旅に出たわけではなかったけれど、知らず識らずのうちに僕の旅は、自分史の暗い部分に降りて行く旅になっていったのだった。本当の自分に出会う旅に。

 

 

婚約破棄

ゴールデンゲート・ブリッジ

人間に起こる出来事に対する善悪の価値はいつも相対的でかつ文脈依存的だ。ある出来事における意味は、その時に自分が置かれている状況や周囲を取り巻く環境によってどんな風にも変わりうる。一方で人はその出来事が起きた理由やその原因を考えずにはいられない。「意味がない」ことに人は耐えられなからだ。けれど僕は思うのだけれど、そのことの意味がよく理解できなかったり、それが自分に何をもたらすのかがよくわからない状態で判断をペンディングしながら「揺れている」ことができるのは人間の知性の特徴の一つだ。コンピューターはそうはいかない。コンピューターや人工知能が判断できない(=演算できない)時とはすなわち、それがクラッシュしたりフリーズしたりする時だ。

 

だからなんらかの出来事が起きた時に拙速に物事を判断することは慎まなければいけない。それが人間の知性に与えられた一つの特権だと思うからだ。判断はえてしてなんらかの「行為」を要請せずにはいられない。そのような軽率な判断によって要請された行為はしばしば状況をより複雑で面倒なものにする。けれど一方でフリーズすること、つまり「思考停止」してしまうことは拙速な判断と同じくらい状況をより複雑なものにしうる。

僕はわかりにくい話をしているのかもしれない。だからここで一つ例を出してみようと思う。拙速な判断と思考停止が引き起こした、僕という人間の致命的な失敗例である。

 

30歳の時に、婚約していた女性と別れた。すでに式場も決まっていて、お互いの家族への挨拶も済んで、これからという時に色んなことがどうしてもしんどくなってしまってそこから逃げ出してしまった。物理的にも、精神的にも。思考停止状態の典型というべきだろう。行き着く先はコンピューターで言うところの「強制終了」である。けれど当たり前のことだけれど人間の知性はコンピューターではないのだ。電源を切ってしまえばそこで全てが終わる。もう一度スイッチを入れなおすことはできない。そんなこともわからなくなってしまうくらい、その時の僕はその事実から逃げたかった。考えることも、受け入れることも、乗り越えることも、その時の僕の選択肢には存在しなかったのだ。なにせ思考が停止してしまっているのだ。

 

この時の僕の判断は「もうだめだ」ということだった。それ以上のことは考えられない。先方の両親と話し合うことも、自分の親を説得することもせず、ただ自分の置かれている狭い世界の中の狭い視界で物事の全てを判断しようとしていた。そしてあれから10年以上経っていた世界一周中もなお、その事実をうまく咀嚼し受け入れることに抵抗がある自分がいた。時の流れは多少僕の心を軽くしてくれてはいた。けれどそれがなんらかの建設的なソリューションであったかと言われれば首を傾げざるを得ない。僕は単に忘れてしまいたかっただけなのだ。そういうことがあったという事実そのものを。言い換えれば、傷ついた自分にばかりフォーカスしていてそれ以外の様々な事実から目をそらし続けていたということだ。彼女を傷つけたことからも、家族を悲しませたことからも、何もかもから。随分ひどい話である。

 

あの時も今回と同じように旅に出た。そしてあの時も今回と同じように、旅をする前と旅をした後の自分に特段の変化は生じなかったように思う。旅から帰ってきた後も、僕は相変わらず他責的で自己中心的だった。けれど今回の旅は少し事情が違っているような気がする。この世界一周で、自分には決して真似のできないような生き方をしてきた複数の人に会って、孤独と徹底的に向き合い、否が応でも自分自身に直面化せざるを得なくなってしまったのだ。

 

世界一広い海が終わる場所で

ツイン・ピークスの頂上から。

40歳の時に人生の価値観を揺さぶられるような出来事がいくつか続けて起こり、そこからどうしても逃げる必要があって僕はこうして旅に出た。母との決定的な離別、交通事故、退職。そうして出てきた旅先で、いいものも悪いものも含めて、改めて自分の価値観を揺さぶられるような出来事に遭遇していよいよ逃げ場がなくなってしまったのだ。

 

けれどそのことはかえって予期しない好転を僕にもたらしてくれた。

 

それは辛く苦しい状況に陥った時に「立ち向かう/逃げる」の二者択一のソリューションだけが全てなのでは決してないという「気づき」のようなものだ。むしろそこで「二者択一である」と思い込んでしまっている時点で状況がかなり僕を追い越してしまっている。人間の知性はそういう時に何らかの判断ができるように備わっているわけではない。人生はテストの問題とは違うのだ。大切なことはその両者の間で揺れながら、判断を留保しながら曖昧な状態で揺れていることのできる心の有りようである。それを「強さ」ということも、あるいはできるのかもしれない。

 

辛い出来事から少し距離をとってみることも、立ち止まってそこから少しだけ目をそらして深呼吸してみることも、日本にいた時の僕にとってはある意味では「逃げる」ことと同じ意味だった。ずいぶん息苦しい生き方だ。準備が整ってかつ、その時にもまだその経験に向き合う必要があるならばそうすればいい。なにせ世の中の数多くのことはなんであれ、それなりに時間を要することなのだ。そして誰も一人では生きて行くことはできない。「仲間の存在」と「時間の流れ」がきっと色んな経験を相対化してくれる。

そうしていつか向き合えばいい。もちろんそうすることで傷つけた人々に何か償いができるわけではないけれど、少なくとも誠実であることはできると思う。自分に対しても、傷つけてきた人に対しても。もう僕の言葉は決して彼ら・彼女らに届くことはないのかもしれないけれど。

「オーパス・ワン」。カリフォルニア・ワインのメッカ「ナパ・バレー」の中でも最も有名なワイナリーではないでしょうか。

うまく言えないけれど、旅を終えた今、もう一度人を好きになってみたいという気持ちがふとした瞬間に湧き上がってくることがある。相変わらず臆病で不器用な僕は、まだまだそういう感情をうまく扱うことができずにいるのかもしれない。怖さもまだ少しある。けれど次に人を好きになる時は、自分の中に生じる様々な感情をきちんと受け止めて行こうと思う。その時がきっと、本当の自分に出会う旅の、もう一つの新しい始まりになるはずなのだ。それは自分自身のためだけでなく、自分以外の誰かのために生きる旅の始まりでもあるはずなのだ。

 

そういう優しい気持ちになれる場所が地球上にはたくさんある。もちろん日本でそんな場所に出会い、そこに暮らすことができたならこれほど素晴らしいことはない。けれど不器用で生きるのがあまり上手くない僕は、そんな場所を見つけるために世界一広い海の終わりであるこの場所まで、海を渡って来なければならなかったというわけだ。6ヶ月もかけて。そしてサンフランシスコは僕にとってそういう場所のひとつだった。随分面倒な人間だなとつくづく思う。まあそれはそれで仕方ない。僕はそういう人間なのだ。

 

(※1)筆者訳

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osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。