【第25話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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メキシコ

メキシコへ

メキシコシティ中心部のソカロ。周囲は旧市街地で古い町並みが残る。

約一ヶ月のアメリカ滞在は終始仲間に囲まれて、思い出に残る素晴らしい時間を過ごすことができた。翻ってそのあとのメキシコの3週間はずっと一人で孤独な時間を過ごした。旅のすべての行程を振り返ってみても、この3週間の自分ほど暗かったことはない。

 

サンフランシスコを案内してくれたヒロさんが空港まで車で送ってくれた。サンフランシスコでの滞在は美食と美酒と有意義な会話で満ち溢れていた、というのは前回記したとおりである。人によっては「バックパッカーのくせに、どうしてそんなに贅沢できるんだ」と思われる向きもあるのかもしれない。

 

アメリカはカード社会なので、人はあまり現金を持ち歩かない。

 

ヒロさんもご多分にもれず支払いはいつもカードだった。僕の分もとりあえずはまとめて支払ってくれていて、あとで清算するという形だった。はずだった。が、結局最終日の空港でも「いいよー。今回はお客さんだからー。じゃあまたね。」というような軽いノリでそのまま去って行ってしまった。本当に終始気持ちのいい人だった。おかげさまで僕は結局サンフランシスコ滞在中一度もお財布を出すことがなかった。(あんまり申し訳なかったので、一時帰国した際に少し高級なシャンパンをお贈りしました。喜んでくれるといいんだけど。)

 

そんなわけで最後の瞬間まで素敵だったアメリカの旅だったわけだけれど、次に向かったメキシコは本当に退屈だった。矛盾しているようだけれどメキシコ自体は本当に魅力的な国である。けれどここを旅していた時の僕は今思い出しても気持ちが滅入ってしまうほど暗い。本当につくづく思う。僕にとって旅はどこに行くかではない、誰と行くかなんだと。

 

 

居場所

ヴァスコンセロス図書館。メキシコシティ

メキシコシティには夕方に到着した。ATMで現金を用意する、ダウンタウンまでの移動手段をチェックする、安全情報を確認する。宿までのルートを大まかに記憶する。はじめての国で落ち着いて行動するために最低限必要なことだ。さすがにもう随分旅にも慣れてきた。トラブルは旅人の危機管理能力を飛躍的に向上させてくれるみたいだ。そうして手に入れた危機管理能力は日常生活にも十分応用できるものであると思う。根が小心者の僕が多少の落ち着きを手に入れたところでどうなるものでもないんだけれど、まぁないよりはマシである。

 

空港からバスを乗り継いで宿泊施設まで来た。事前に予約はしていない。メキシコシティの、バックパッカーの間で有名な老舗の日本人宿である。ここに1週間お世話になることにして荷ほどきをする。到着した日はとりあえず近くの屋台のようなところで夕食がわりにタコスを食べて、宿の日本人旅行者との挨拶もそこそこにすぐに自室のベッドに横になった。スペイン語も、ちょっとしたことなら、例えばレストランでオーダーを注文してから会計を済ませるくらいまでは、そんなに苦もなくできるようになっていた。

 

僕にあてがわれた蚊の多い、少し湿気の強い部屋には4台のパイプベッドがそれぞれの一片を壁につけられて、ただなんとなくぼんやりと並べられていた。それは「なんとなく」「ぼんやり」といった形容以外には適当な表現が見つからない類のもので、間隔や向き、ベッドの色や形状その他様々なファクターには一貫して共通性がなかった。

 

好きなのを使ってもらっていいですよ。今はこの部屋には誰もいないので。そう言って人の良さそうな管理人さんは自分の部屋に戻って行った。まぁどれを使ってもそんなにかわりはしない。暗くて陰鬱で湿った空気の中、寝返りを打つたびに激しく軋むベッドで眠る。夜中に耳元を飛ぶ蚊の羽音で目がさめた。とにかく寂しい。昨日までの楽しかった時間、柔らかくて清潔なベッドがもう恋しい。

 

テオティワカン遺跡。写真は「月のピラミッド」

テオティワカン遺跡、旧市街地、美しい図書館。メキシコシティからアクセスできる有名スポットは一通りチェックしていた。インターネットを利用して情報収集をする。せっかく周りに日本人がいるので、宿の管理人さんや他の旅行者からも情報をゲットしておく。単一のソースから入手した情報に過度に依存するのはリスクが高い。これも旅で得た教訓だ。

 

情報に限らず、一つのものに過度に機能や権限を集中したりすることはリスクマネジメントの観点からすると極めて都合が悪い。クレジットカードは複数枚もつ。貴重品は一箇所にまとめない。基本的なことだ。世の中のトレンドは選択と集中だけれど、そういうのはリスク管理の観点から見るととても脆弱なシステムの構築の仕方だと思う。効率化という点からは極めて優れた仕組みだけれど、一旦それが機能不全に陥ると途端に全てがリスクに晒されることになる。

 

もちろんそう言うリスキーな旅に憧れる人もいるだろうし、そういう旅の方がよりアトラクティブで人の目を引くだろう。けれど僕にはとてもじゃないけれどそんな旅はできない。貴重品の持ち運びから一人の人間の人生に至るまで、常に「最悪の事態」を考えて行動することはとても理性的な大人の振る舞いだと僕は考える。旅はやり直せるけれど、人生をやり直すことはなかなか難しいのだ。

 

タスコ。旧式のビートルが白い壁と石畳の、坂の多い街を駆け回る。

数日をメキシコシティの観光に費やして、週末には「タスコ」というかつて銀の採掘で栄えたという街を観光した。バスで3時間程度、石畳と白い壁のコントラストがとても美しい街だった。古いビートルが坂の多い街の狭い路地を駆け回る。街全体がテーマパークのアトラクションのような場所で、現在も週末には銀細工の市が立つ。そんな街で一泊した。

 

ゲストハウスのような賑やかな場所には行きたくなくて、少し高いけれど個室を利用することにした。人混みの中では一人よりも孤独それ自体を強く感じて気持ちが沈む。それなら一つの限られた空間に一人でいる方がいくらか気が楽だ。アメリカ横断を終えた今では楽しかった時間がコントラストになっていまの自分の状況の暗い側面をより一層暗いものにする。

 

シティに帰り、宿に戻って管理人さんに出立の旨を告げた。宿には長期滞在者が大勢いて、それなりにメキシコシティでの時間を満喫しているようだった。カップルで、あるいは一人で。みんなメキシコが好きで、この場所が好きで、なんとなくここに集まってくる。そういう場所はとても素敵だ。そんな場所が世界中にはきっとたくさんあって、僕みたいな社会からドロップアウトした人間を優しく受け止めてくれるのだ。

 

みんな「もう少しいればいいのに」と引き止めてくれた。けれどここは僕の居場所ではなかった。チェックインした瞬間からそのことは理解していた。僕はこの人たちとは違う。メキシコはいい国だし、メキシコシティはいい街だけれど、いまここにいる僕にはなんだかすごく違和感がある。そういう経験は旅に出て以来初めてだった。最後に勤務していた精神科病院にいた時みたいだ。嫌なことを思い出したな。だからすぐ出てゆくことにした。長居は無用だ。

タスコの街を見下ろすグアダルぺ教会から見たサンタプリスカ・カテドラル。

グアナファト

ピピラノ丘からグアナファト市街を望む。

メキシコシティを後にして僕が次に向かったのは「グアナファト」という街である。聞きなれない方も多いかもしれないけれど、ここもまたかつて銀の採掘で栄えた街で近辺の銀山は世界遺産に登録されている。豊かな経済状況を反映してか、街の壁はどれもパステルカラーに塗られている。それが坂の多いこの街の斜面にいっぱいにモザイクのように広がってえも言われぬ景観を形作るのだ。「ピピラの丘」から見下ろす街の風景は旅人の間では有名で、僕も一度どこかでその写真を見て以来ずっと訪れたいと思っていた。

 

メキシコシティのバスターミナルからバスでおよそ5時間でグアナファトに到着した。ターミナルからダウンタウンまでは地元の乗り合いバスで移動する。メキシコの公共交通機関では、車内でがどれだけ混雑していようがだいたい流しの音楽家(?)による楽器の生演奏が始まる。なければ大音量でメキシコチックな音楽がかかる。朝のラッシュアワーであっても同様だ。混み合っていてスペースがなければ、乗客みんなが協力して彼のためにスペースを作る。

 

グアナファトのダウンタウンに向かうバスでは、フラメンコギターによるちょっと物悲しげな音楽の演奏が始まるともなく始まった。4列シートの中型のバスの座席はすでに埋まっている。中央の通路にも人が立っている状況で、そのミュージシャンは物悲しげにフラメンコギターをかき鳴らして少しかすれた声で歌った。

うまいのか下手なのか、判断に少々苦しむ彼のパフォーマンスが終わって車内にはまばらな拍手が起こったけれど、バスがそのときちょうどトンネルの中に入ったせいで、彼への拍手はバスの風切り音とエンジンのノイズによって、宙の中へとかき消されていってしまった。

 

ここでもやはり個室を確保し、日差しの強い日中を避けて行動した。外で買ってきたワインを飲みながら、少し薄暗い部屋のソファに座って天井のファンを眺める。そして旅に出る前に英語を学んだセブの語学学校の親密な空気のことを懐かしく思い出す。

 

決断

グアナファトの街並み。

30歳を超えてからの僕はずっと一人で生活してきた。少なくとも物理的に、表面上は色んなことを一人でこなした。毎朝自分以外には誰もいないアパートで目覚め、出勤し、夜遅く誰もいないアパートに帰ってくる。昔は料理が好きでよくパスタを茹でたり煮物をこしらえたりしたものだけど、長じるにつれて自分のために自分の食事を用意することに、虚しさを通り越して苦痛を感じるようにすらなってきて、スーパーで半額のシールが貼られたお惣菜を買って帰ってくるようになっていった。残り物で翌日のお弁当を作って用意しておく。

 

だいたい2日に一回の割合で一時間程度、10kmほどをランニングした。週末は20km、30kmと距離を稼ぐ。たまに映画館でぼんやりと映画を見て自宅に帰ることもあった。一人暮らしの自宅のアパートのドアの向こうに広がる暗闇と映画館の暗闇とでは、その温かさ、親密さ、肌触り全てにおいて異なっている。そんな自宅の暗闇が嫌な時はいつも映画館に足を運んでから帰った。それから本当にたくさんの本を読んで、本当にたくさんのジャズを聴いた。

 

そういう生活をずっと続けてきた。休日などは、朝起きてから一言も声を発することなく就寝するということもしばしばあった。ちょっと実家に帰りたいな。だれかと話がしたくて父にメールする。「今日はあかん。お母さんおるし〇〇(弟)もおる。来週やったらええよ。みんなおらんから」

 

あぁ、今日は誰とも話してないな。そうやって休日が終わっていく。そんな休日を何百回経験しただろうか。そういうことを思い出す。そして日本から太平洋をはるか隔てたここメキシコの美しい世界遺産の街で、そんな休日と概ね変わらない時間を過ごしている自分がいた。誰とも話さず、どこにも出かけず、iphoneに入れてきたジャズを聴きながら夕方までの時間を一人で潰す。スマートフォンのチープなスピーカーからキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」が流れる。

 

ベッドサイドのテーブルには飲みかけの安いワインがボトルに半分以上残っていた。一人ではいささか大きすぎるベッドに横になりながら、僕は「スカイスキャナー」のアプリを開いた。時期は6月。出発地はエクアドルにしよう。目的地は「日本」。

 

これ以上はもう無理だ。どこにいても、一人でいる以上、僕はいつまでたっても自分でしかないのだ。ならば帰ってしまおう。日本なら、ここメキシコよりはまだ友達がたくさんいる。きっと今ほど孤独で寂しくはないはずだ。

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osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。