【第27話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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ハバナ・キューバ

トラブル

カピトリオ(国会議事堂)

キューバ・ハバナの国会議事堂「カピトリオ」の裏の路地。みすぼらしいダイナーの一角の、カウンターにほど近い席で僕の頭の中は高速で回転している。

 

テーブルの上のグラスにさされた白い花はそのダイナーのみすぼらしさを白い花弁にそのまま凝縮したかのようにみすぼらしく下を向いてうなだれていて、テーブルに敷かれた赤と白のタータンチェックのテーブルクロスが醸し出す安っぽさを一層際立たせているようだ。壁、床、天井からテーブル、チェア、チェストといった調度品に至るまで、この空間に存在する全てのものが「みすぼらしさ」をコンセプトに作り込まれ、配置されているかのようだった。

 

「うらぶれている」というにはあまりに陽気な音楽が流れるこの空間は売春を斡旋する目的で開かれているレストランであるようだった。もちろん僕が自らの意思でここにきたわけではない。昼下がり、この近くの路上で話しかけてきた人懐っこい感じのする大柄な黒人男性に案内されるがままに連れてこられてきたというわけだ。

 

その男性とは一度路上ですれ違った。すれ違った直後に後ろから”Hey, are you Japanese?”と声をかけられた。普段はそういう声かけは無視してそのまま通り過ぎるのだけれど、この時の僕はハバナの有名な老舗バー「フロリディータ」でお昼前から飲んでいたフローズンダイキリが程よく回っていて気分が良かったのか、つい返事をしてしまったのだった。キューバの抜けるような青空と強い日差しも、僕の心を少しだけ解放的にしていたのかもしれない。

 

キューバには音楽を聴くのを主な目的にしてきた。ライブハウスはもちろんのこと、路上で聞く流しのバンドの演奏のクオリティもなかなか高いという。音楽には一人の寂しさを癒してくれる効果がある。ある種の音楽を聴いている時、僕は自分が一人であるという事実から少しだけ解放される。キューバは陽気なラテンミュージックの本場である。ここではもしかすると、一人でいるということがポジティブな要素として作用するかもしれない。そんな淡い期待のようなものも手伝って、僕はこの国に来ることに決めた。音楽三昧の1週間になるはずだった。

 

その男性は笑顔で「日本に友達がいるんだ」と言いながら、知っているいくつかの日本語の単語を並べてそれなりに意味の通るセンテンスを話してみせた。その少し奇妙なアクセントが彼の大きなガタイと相まってなんだか可愛らしく感じられて、僕はその彼に心を許してしまった。「実はバンドをやってるんだ」彼は言った。なんの楽器ができるの?ギターとパーカッションだね。実は今日この近くでライブがあるんだ。すぐそこのお店だよ。おいでよ。場所を案内してあげよう。

 

 

売春宿

ガルシア・ロルカ劇場前のクラシックカー。タクシーです。

そのようにして僕は冒頭のうらぶれたダイナーに連れてこられたというわけである。彼に促されて座った件のみすぼらしいテーブルには「reserved」と書かれたプレートが置かれていた。その男性がカウンターの向こうに立っている店主と思しき男性にウインクすると、程なくして小さめのコリンズグラスになみなみと注がれたモヒートが4つ運ばれてきた。そのモヒートはこれまで僕が飲んだことのあるどんなモヒートよりも生ぬるくて、アルコール分が強かった。端的に言ってとても不快な飲み物だった。世の中にはこのような不快なモヒートが存在するのだ。

 

その不快なモヒートを一杯飲み終わるか飲み終わらないかと言ったタイミングで、カウンターの奥から出てきた小柄で人懐っこい印象の黒人女性が僕たちのテーブルに腰をおろした。目鼻立ちのとても整った女性で薄い唇にはまさに真紅を絵に描いたようなリップが塗られている。そしてそれがとっても似合っている。「どうだい彼女、キュートだろ?」僕たちの背後にあるドアを背中越しに親指で差しながら男が言う。少し開いたドアの向こうには別室に続く通路が見えた。そこで売春行為をするのだ。

 

女性はすでに僕の隣の席に移動してきていて左手を僕の肩に回し、耳元で何かを囁いている。右の手で僕の太ももを撫でるようにさすっている。彼が「いいだろ?」と言う。そういうことがかれこれ30分以上続いている。

 

なるほど、こういうことか。驚くほど冷静に状況を把握している自分がいた。さてこの状況を脱出するには。と僕は考える。お金で解決できるならそれに越したことはない。いま出せるお金は、まあ100ドルまでだな。事実今の僕の財布にはそれくらいしか入っていないはずだ。それ以上要求されるようなら素直に「ない」と言うしかない。

お店の前の通りは比較的行き交う人は少ないけれど、このお店を出てすぐ右手にある角まで出ることができれば、そこは彼がさっき僕に声をかけてきた通りだ。そこなら人通りも多いし誰かが助けてくれるかもしれない。

 

「オッケーアミーゴ、そろそろ帰らないと。楽しかった。」そう言って僕は席を立ち、奥のカウンターで終始こちらを見ていたマスターと思しき男性のところに赴いて「クアント・クエスト?」と言った。「シンクェンタ」彼が答える。

飲み代は50CUC(兌換ペソ)だった。世界一不快なモヒートをたった2杯飲んで5000円である。でも今の僕にとっては全く悪くない勘定だった。さっさと支払ってこのまま立ち去ろう。男性も女性も、永らく続く説得に応じない僕に少し根負けしたようだった。ふとした瞬間に生じた沈黙の瞬間を僕は逃さなかった。席を立つならこのタイミングしかない、と思った。

 

店を出ると後ろからその男性が追いかけてきた。「ヘイ、アミーゴ」彼は言う。「実は子供が生まれてね。ミルク代に困っているんだ。」世界中で聞くことになる、物乞いが旅行者にお金をせびる時の常套句である。店の前の通りは通行人が少ない。僕は彼と並んで歩きながら大通りに出ることにした。「どれくらい必要なの?」僕は尋ねる。「子供が二人いるんだ」。並んでみると改めて彼の体の大きさに圧倒される。おそらく190cmは超えるであろう大柄な体を揺すって歩く。Tシャツの袖から伸びる腕は丸太のように太い。

 

「そうか、じゃあ20でどう?」僕は言う。財布から10CUC札2枚を取り出して彼に見せた。「サンキューアミーゴ!」そう言って彼は抱きついてきた。僕たちはもう大通りまで出ていた。「オッケー。ノープロブレム。テイク・ケア!」そう言って僕は彼の大きな背中を叩いた。それから僕はその通りをカピトリオの方へ、彼は逆の海辺へと下る方へと歩いて行った。これが、僕が久々に遭遇したトラブル(らしきもの)の一部始終である。

 

 

ホアキナさんの家

革命広場。イラストはもちろんチェ・ゲバラ

ハバナの空港に到着して2時間が経過しているのだけれど、いまだにバゲッジクレームのターンテーブルから僕の荷物が出てこない。そして他の乗客の荷物もまた同様に出てこない。つまりターンテーブルの周辺は2時間ほど前にメキシコのカンクンから到着した乗客でごった返していたと言うわけだ。その中で、荷物が出てこないとやきもきしていたのはおそらく僕一人だったのではないだろうか。スタッフに尋ね、警備員に尋ねる。僕の荷物が出てこないんです、と。けれど周りを見渡してみるとさっきまで同じ飛行機に乗っていたと思しき外国人が地べたにのんびり座っておしゃべりしているではないか。ここはキューバなのだ。僕も諦めてそこに座って待つことにした。

 

いかにもといった感じの暑さと湿気の中、ターミナルを出た僕はタクシーを探す。この国でATMを使う気にはとてもではないけれどなれない。事前に多めに用意しておいたアメリカドルを兌換ペソに両替する。キューバには2種類の通貨が存在する。一つは兌換ペソで旅行者は主にこちらの通貨を使用する。いまひとつは「モネダ」と呼ばれる通貨で、こちらはローカルが使用する通貨だ。

 

空港に到着してすぐにモネダを手に入れることはおそらくとても難しい。街中の両替所、しかも少しわかりにくい場所にある両替所でしか手に入れることはできない。そしてインターネットにおけるその手の情報が極端に少ないのがキューバなのだ。けれど首尾よくこの「モネダ」を手に入れることができれば、旅は一気に楽しくなる。なにせキューバは物価が安い。ツーリスト用の兌換ペソを利用している限りその恩恵に浴することはできないのだが、一度モネダを手にすれば、ローカルの食堂で、現地価格の安くて美味しい食事をいただくことができる。200円もあればお腹いっぱいに食べられるはずだ。キューバ・ペソを使用している限り、僕たちは観光客価格でしか現地で暮らすことはできない。それはキューバの庶民のリアルな生活に触れる機会がないということを意味している。

 

ではそのような情報はどうやって手に入れるのか、というとこれはゲストハウスにある情報ノートからということになる。ただしこのゲストハウスがなかなか厄介だ。当然ながらインターネットの宿泊予約サイトのようなものは使えない。なにせここはつい最近までアメリカから経済制裁を受けていた生粋の社会主義国である。マクドナルドもスターバックスもないような国でネット社会が当然のように享受している利便性を期待するのは少し間が抜けている。

 

ではどのようにしてゲストハウスを予約するのか、ということになるわけだけれど、これはもう「ウォーク・イン」すなわち直接飛び込みで行くしかないわけである。運よく空室があれば泊まれるし、なければどこか他所を紹介してもらうしかない。僕は運よく「ホアキナさんの家」という半日本人宿に宿泊することができた(半分は韓国人宿泊客である)。ここで情報収集し、5日間の滞在を(ほぼ)快適に過ごすことができた。上述の情報ノートは心ない日本人宿泊客に盗まれてしまってなかったけれど、すでに新しいバージョンが用意されていて観光の情報はもちろん現地の素敵なライブハウスなどの大変有益な情報がたくさんの宿泊者によって記されていた。

 

 

思い出

「バー・フロリディータ」文豪アーネスト・ヘミングウェイが愛した。フローズン・ダイキリがここの名物。

音楽の他に楽しみにしていたのが老舗のバー「フロリディータ」のフローズン・ダイキリというカクテルである。ここはかの文豪アーネスト・ヘミングウェイが足繁く通ったバーで、店の中には彼の定位置であったというカウンターの一角に銅像が鎮座している。僕も滞在中は毎日通った(そして前述の売春宿に連れて行かれた)。店内は時間を問わず常に観光客でごった返していて、クオリティの高いラテン音楽の生演奏を楽しむことができた。フローズン・ダイキリは予想以上の美味しさで、キューバの暑くて湿気の多い気候の賜物であるということができるカクテルだった。

 

カクテルといえばこの近くのバーで飲んだ「モヒート」の味も忘れることができない。僕はモヒートというカクテルの意味がそれまでよくわからなかった。なんだかぼんやりした、とらえどころのないカクテルだなぁと思っていたのだ。けれどキューバのうだるような暑さと陽気な喧騒、そしてすえたようなにおいの中で口にしたモヒートの清涼感とエッジの効いた口当たりは、まさにこの国で、この場所で味わうのにふさわしい飲み物であるということを僕に教えてくれた。お酒も料理も、場所やシチュエーションがかわれば風味も印象もガラッと変わる。あるいは人間だって同じなのかもしれない。

 

夜はホアキナさんの家で仲良くなった同宿の日本人と映画「ワイルド・スピード」の舞台になったマレコン・ストリートでストリートミュージシャンの演奏をバックに踊った。眼前に広がる漆黒の海はカリブ海である。昼のマレコン・ストリートもいいけれど、夜の適度にうらぶれた感じも嫌いじゃなかった。地元のレストランで食事をし、生演奏でサルサを踊り、ライブハウスでジャズを聴いた。

 

ライブハウスはともかく路上で踊るというような習慣は僕にはない。けれどなぜかキューバでは僕はそのように振る舞った。キューバの音楽の旋律の裏に流れるちょっとした哀愁のようなものが、僕の琴線に触れたのかもしれない。あるいは、あの灼けるような太陽とカリブ海の青が、孤独に閉ざされた僕の心を少しだけほぐしてくれたのかもしれない。いずれにしても、それはなかなか悪くない時間で、キューバで過ごした時間をそれなりに素敵な思い出に変えてくれた。

 

ただ、もう一度キューバに行ってみたいかと言われれば正直あまり気は進まない。良くも悪くも、あの国はああいうものとして自分の記憶にとどめておくのが良さそうな気がしている。それはあの国がツーリストに見せる表情とメインストリートを一本入ったところに広がる赤貧を絵に描いたような街並みのあまりにも強烈なコントラストが、僕にあまり愉快でない何かを想起させるように思われるからで、そのあまり愉快でない何物かがなんなのかを考えることは、今もって僕には少々億劫なことなのだ。

ハバナの路地裏にて。

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osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。