【第36話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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ブタペスト・ハンガリー

日本人宿「アンダンテ」

ブダ城。実物は結構壮大で迫力がある。

僕が当初思い描いていた旅のアイティネラリーに「ハンガリー」は全く入っていなかった。その国が具体的にヨーロッパのどのあたりに位置していてどんな歴史や文化を有する国なのかさえ、僕にははっきりしていなかった。全く恥ずかし限りである。確かハンガリーは社会主義国だったはずだ。いや、でも今は違うんだったかな。それくらいの知識しかない。

 

それでも僕がそこに行こうと決めたのは、「ブタペストの日本人宿がすごく快適で居心地がいい」ということを複数の旅人から聞いたからだった。前回記したように、僕はクロアチアから北上してデンマークに向かうルートを想定していた。ハンガリーはそのルート上に位置していた。それからフォアグラが安く食べられるらしい。ならば寄ってみようか。以上が僕がハンガリーに行くことを決めた理由である。割とくだらない理由だ。

 

この時期の僕は西欧諸国の首都をだいたい5日置きぐらいに移動していてそれなりに疲れてもいた。8月中旬にデンマークに着けばいい。それまでの2週間、少しゆっくり過ごしてみるか、それともコンスタントにいまのペースを維持して移動するか。それはこれから決めれば良い。とりあえずフォアグラが安く食べられる国の、居心地のいい日本人宿でリラックスしよう。そういうわけで僕はハンガリーを訪れた。それは全く想定外のことで、相変わらず僕の旅は「テーマ」のようなものとは無縁の代物だった。

ドナウ川を望む高台にある「漁夫の砦」。この辺り一帯が世界遺産になっている。

日本人宿「アンダンテ」はハンガリーの首都ブダペストの中心地、地下鉄「オクトゴン」駅から歩いて10分弱の交通の便が良い街の一角に位置していた。リスト・フェレンツ国際空港からはバスと電車を乗り継いでおよそ30分もあれば到着できる。欧米資本のコーヒーショップやファストフード店、カフェ、バールといった飲食店が立ち並ぶ大通りを一本入ってすぐ左に折れた路地に面して、その古いアパートメントはあった。築100年くらいだろうか。一階が宿泊施設として利用されている。

 

呼び鈴を鳴らすと、初老の男性が日本語で話す声が、入口の鉄格子の横に設置された小さなスピーカーから聞こえてきた。いま行きます。しばらくして迎えに出てきてくれた男性はみるからに温厚そうな60代と思しき紳士で、穏やかな物腰が極めて好印象の人物だった。「管理人の金子です。よろしくお願いします」。とても優しい声で話す金子さんに会った瞬間に、長旅の疲れと一緒にいろんな緊張が解けたような気がした。世の中にはたまにそういう人が存在して、僕のように人生に、旅に疲れた旅人を癒してくれる。日本にいるとなかなか気づくことができないけれど。

 

建物の外観からは想像できないくらい、宿は清掃が行き届いていて清潔だった。先のドゥブロブニクのゲストハウスとは大違いである。もちろん建物自体が古いので100%清潔で快適というわけにはいかない。ヨーロッパの古い建物がだいたいそうであるように、特に水回りはお世辞にもあまり良いものとは言い難い。

 

けれどだからこそというべきか、トイレやシャワー室、そして台所の清掃は他の箇所以上により行き届いている。そこに金子さんの人柄やポリシーのようなものさえ感じられる。一番弱い部分を一番時間をかけてブラッシュ・アップする。今はもう定年されているけれど、金子さんは長年学校の校長先生をされていたそうである。納得である。きっと教育者の鑑のような人だったに違いない。

 

旅する理由

ブダペストの国会議事堂。

旅に出てもうすでに9ヶ月、オセアニア、南北アメリカ大陸、南極大陸を経て僕は今ヨーロッパにいる。ここまでくると、自分の旅のスタイルというがある程度明確になってくる。僕の場合、それは出会う「人」によってかなり左右されるようだった。出会いが訪れた場所を印象付け、その旅を決定的に意味付ける。

 

それから僕は都会よりも自然を好む傾向があるようだ。そのことに気づいたのが、皮肉にもここハンガリーの首都ブダペストだった。僕にとって「都市」はどこもだいたい似通ったものだった。もちろんその景観や歴史的な背景は多様だけれど、その都市が形成されるまでのプロセスや実際の街並み、それらの都市の間に横たわる差異に、僕はあまり注意が向かない。身も蓋もない言い方をすると、どこもそれなりに同じに見えてしまう。単に頭が悪いだけなのかもしれない。

 

今でもヨーロッパの国いると、自分が今どの国を旅しているんだかわからなくなってしまうことがある。けれど大自然の景観はそうではない。パタゴニアの風景や植生がイースター島にあったらおかしいし、ウユニ塩湖の息を呑むような鏡張りの絶景をガラパゴス諸島で見たとしたらおそらく意味が変わってしまう。ガラパゴスアザラシをボリビアの高地に・・・というわけにはどうしてもいかない。その場所、その土地で、僕が訪れたその瞬間にしか経験できない何かに、僕の心は強く打たれる。

 

動物も植物も、そこで生息する生き物たちも、多様性のもと相互に影響を及ぼし合いながら刻一刻とその姿や形を変えてゆき、決して一つのところにとどまることがない。一方で僕はそのような大自然に悠久の時や普遍性を感じることができる。ジャズのインプロビゼーションのような一回性と普遍性が織りなす宇宙に、僕の心は強く惹きつけられる。悠々と流れながら決してひとところにとどまることのないドナウ川を眺めながら、そんなことを思う。

 

セーチェーニ鎖橋とドナウ川。

旅を始めた当初は旅する理由を明確に説明する必要があると思っていたし、それがうまくできないことにコンプレックスを感じていた。僕の場合はただ日本という社会と、僕がその時属していた職場と、自分の原家族から逃げたかっただけだった。それはこのブログで繰り返し書いてきた。

 

けれど一般的にそういうのは人が何らかの行動を起こす理由としては実に弱いものとみなされてしまう。つまり説得力がない。合理的でもないしロジカルでもない。もちろんポジティブでもない。まったくない。従って他人からの共感を得ることが難しい。だから何らかのキャッチーな理由を考える必要があったし、実際いつもそれを探していた。

 

けれど旅が長くなってくるにつれて次第に「なぜそこに行くのか」とか、「なぜ旅を続けているのか」とか、そんなことは意識の光景へと退いていった。そういうのは「人はなぜ生まれて生きていかなければならないのか」という類の質問に似ているように僕には思われたからだ。そういう問に軽々しく答えることができる人間というのを僕はあまり信用しない。

 

もちろん生きることそのものの意味を追い求める営みは尊いし、自らの生に常になんらかの意味を見出して生きていける人は素晴らしい。けれどそんな風にできない人だって沢山いて、そしてそんな人の、いわば取るに足らない人生もまた素晴らしい。そのことを僕は15年間の職業生活で学んだ。心に病や障害を負ってもなお生きていこうとするクライエントさんの支援を通じて。それは僕をあれだけ傷つけて損なうことになった職業生活から僕が受け取った大切な贈り物である。これだけは、簡単に手放すわけにはいかない。

 

セーチェーニ鎖橋

自分の人生を振り返ってみると、僕はいつも「不確実性」の中を漂っていたと思う。「何をやっても思い通りにいかない」というのを少しだけかっこつけていうとそういうことになるだろうか。

 

それは僕という人間の計画性のなさや未来に対する想像力の欠如を意味している。僕は全然合理的な人間ではない。むしろ情に流されやすくて自分が「今これがしたい」と思うことを優先させてしまう傾向がある。そんなふうにして僕は旅に出た。きちんとした計画も、旅のテーマのようなものもろくに決めずに。

 

けれど社会が要請するのは、将来の見通しを立て、それに向かって計画的に人生をデザインすることのできる(あるいは計画しているようにうまく辻褄を合わせることのできる)人物だ。僕のようないわば「行き当たりばったり」の生き方をしている人間というのは、どうしたって評価されにくい。

 

それが僕の生きづらさの原因になっていたことは否定できない。もちろん、そんな社会を否定するつもりはない。なぜなら僕もまた、その社会の紛れもないファクター(要素)であり、その社会そのものでもあるのだから。

 

 

未来はいつも予測不可能だ

「世界一美しいマクドナルド」と言われているマクドナルド西駅店。ブダペスト西駅の構内にある。

様々な偶然が織りなす未来の始まりがここブダペストでの滞在だった。旅の始めには全く訪れることを想定していなかった場所に僕の人生の大きな転換点があった。僕は思うのだけれど、どのような論理的思考が今のこの生活を予測できただろう。どのような合理性が、このような帰結を導くことができただろう。僕がここハンガリーで経験した様々な出来事のどれか一つが欠けていたとしても、僕の現在は全く違ったものになっていたかもしれないのだ。

 

ブダペストが「東欧のパリ」「ドナウの真珠」と呼ばれる美しい街であることを僕はここを訪れるまで知らなかった。ドナウ川右岸の高台に、数多くの世界遺産の構成資産を有する地区があるというのは管理人の金子さんに教わって初めて知った。そこを歩いている時に突然僕を襲った体調不良。それが僕の世界一周を強制終了させることになる原因のひとつになるなんて、その時の僕は知る由もない。そんな風にして突如訪れることになった旅の終わりが、僕をセブ島に誘ってくれることになることもまた、あの時の僕は想像することができなかった。

 

奇妙な運命論や決定論のようなものを持ち出すつもりは僕にはない。ただ、偶然性と幸運によってもたらされることになった今の生活と、旅に出る前の絶望に打ちひしがれていた自分、旅をしていた時の孤独な自分について思う時、同時にいつもこのことを思う。未来は常に予測不可能で、だからこそ、僕たちの生は生きるに値するのだと。

 

仮に僕たちがある種の論理的思考や合理性から導き出した未来が暗澹たるものであったとしたならば、その未来に向かって歩みを進めていくことに積極的な意味を見出すことは難しい。41歳の夏に仕事を失い、家族との縁も途切れ、多くの親友と疎遠になっていた人間に、ロジカルな思考が提示してくれる未来なんて、どうしたってパッとしたものにはなりえない。

 

それでも人は前に進んでいくことができる。それは「自分自身の想像力の限界を超えたところに、論理的思考の彼方に、自分たちが全く想像することもできない未来があるかもしれない」という可能性を、僕たちが経験的に熟知しているからだ。僕はそんな可能性のかすかな光の方に向かって行くように旅に出た。何の未来も、何の保証も無いままに。

 

旅を終えてみて思う。合理性や論理的思考が僕たちを幸福にしてくれるのではないのだと。それらは僕たちにもたらされることになる理不尽や悲劇に対する緩衝材にはなりえても、それ自体が幸福を生み出すことはあまりない。むしろそのような合理性や論理的思考によって導かれる帰結の向こう側の、人間の想像力の及ばないところにある何ものかによって、僕たちの生は真に生きるに値する、豊かなものになっているのだ。

 

夜のブダ城。

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osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。