【第6話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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3−2.ニュージーランド・ミルフォードサウンド

生まれながらの旅人

今週の週末の、あるいは向こう一週間のスケジュールが決まっていないことにちょっとした不安や寂しさを覚える一方で、今日も明日もその次の日も同じ日常が繰り返されることに退屈さを感じる。

そういう両価性のようなものが僕にはあって、それが、日本という日常を生きていた僕をいつも縛っていた。

明日なにが起こるかわからないような今日を生きてみたい。そう願う一方で、明日の予定が決まっていないことに不安とちょっとした苛立ちを覚える。それが週末であったりすればなおさらだ。

僕のような長期旅行者は、予定が特に決まっていない状態で旅をしているケースが多い。

もちろんそういう例は全旅行者を分母にとってみれば圧倒的に少数派になるであろうことは理解している。

十分に時間のある旅行者でさえも、例えば「世界一周航空券」を利用している旅人などは、当初予定していた通りの旅程に比較的忠実に旅を続けていることが多い。

そのような人たちにはきちんと帰るべき場所があり、戻るべきポジションがあって、そして彼ら彼女らを待つ人々がいて、水が高いところから低いところへと流れて行くように、ごく自然に自分が元いたその場所へ帰って行く。つまり、出発地を旅の最終目的地として旅を始めるのだ。

けれど自分にはその当時そこへ戻ってゆくことが極めて自然であると自信を持って言えるような、そんな素敵な場所はなかった。

その代わりにと言っていいのかどうかはわからないけれどその時行きたい場所に行く。そうして選んだ次の場所で、その次に行きたい場所がまた見つかる。

そういうことを数え切れないくらい繰り返したその後に、気がつけば随分遠くに来てしまっている。当初想定していた「一年くらい」というリミットでは時間が足りなくなっていって、ずっと旅を続けていたいと思うようになる。

旅するように生きていきたいと願うようになってゆく。

そういういわば「行き当たりばったり」で紡いで(つむいで)ゆく旅が不自由であると感じることももちろんある。

けれど次第に気に入った街に長く逗留(とうりゅう)したり、旅先で出会った仲間から勧めてもらった場所に赴くべく急遽予定を変更したすることに抵抗感がなくなってゆく。そういうのもまた、ある種の旅の醍醐味のであると感じるようになる。

明日この宿を出なければならない、けれどその明日の予定が決まっていない。どこかへ向かうためのチケットもまだ購入していない。そもそも次の目的地自体が未だクリアでないのだ。そしてそういう日々が次第に当たり前になっていく。

旅程も次第に大雑把になってゆく。「来月くらいには、南米大陸を出た方が良さそうだ」みたいに。そういう感覚が日常になってゆくのはなかなか素敵なことだと思うようになるまでに、僕の場合はそんなに多くの時間を必要とはしなかった。きっと、生まれながらに旅人なのだ。

そして、これは僕の一つの持論なんだけれど、生まれながらにして旅人でない人というのは一人もいないはずなのだ。みんないつも、ここではないどこかへ、まだ見知らない別の場所へ、行ってみたいと願っているのだ。

人の数より羊の数が多い場所。

日本を出発する前、僕が大まかに描いていた旅程の中に、ミルフォードサウンドは含まれていなかった。

まずニュージーランドそのものを訪れるつもりがなかった。

ニュージーランドに行く必要が生じたのは、オークランドから南米・アルゼンチンに向かう飛行機の航空券が一番リーズナブルであると世界一周をスタートする二週間前に気づいたからである。

クイーンズタウンに行ってみようと思ったのは、せっかくそのニュージーランドに行くのなら(次にいつ来ることができるかわからないので)南島・北島の両方を訪れておいたほうがいいだろうと思ったからである。

そしてセブ島での予定の留学期間を消化して出発を目前に控えたある日、その週の日曜日に新しく入学してきた女の子から「クイーンズタウンに行くなら」ということで教えてもらったのが「ミルフォードサウンド」だった。

 

実はそれ以前に、少なくとも日本を出国した時点において、僕はそんな場所の名前は聞いたこともなかった。

どうしてその女の子の意見を取り入れてみようと思ったのかはわからない。彼女の話を聞いてその場所への憧れが自分の中で急激に膨らんでいったというわけでもない。

スター・ウォーズだかなんだかのロケ地になった、という彼女の話を聞いて行ってみたくなったわけでもない(僕はスター・ウォーズにはあまり興味がない)。

そもそもその会話自体が本当に短いやり取りで、とりたてて印象に残るようなものには思えなかったのだけれど(ごめんなさい)、時間が経つにつれなんだかそのミルフォードサンドとやらに行かずにニュージーランドを離れることがとんでもない逸失になってしまうような気がして、クイーンズタウンから片道5時間かけて、世界遺産に登録されているというその場所に行くことに決めたのだった。

クイーンズタウンに降り立った2017年1月の、とてもよく晴れた日だった。

いくつかの山と、小高い丘と、いくつかの河を越えてバスは淡々と進んで行く。あの丘を越えた向こうに広がるのは見渡す限りの牧草地で、その牧草地の向こうにある丘陵を越えたその向こうに広がるのもやはりまた牧草地だ。所々に小さく見える白いドットは羊(か牛)だ。そういう風景が延々と続いている。

きっとこの国は、人の数より羊の数の方が多いに違いない。

走っても走っても、バスがゆくのは羊がのんびりと草を食むばかりの単調な風景の中である。退屈な人には極めて退屈に映るであろうこの風景を飽きることなく眺め続けていた僕には、5時間のドライブは文字通りあっという間だった。

なにかものを考えるでもなく、バスの車窓を流れ行く牧歌的な風景をカメラに収める訳でもなく、ただ淡々と時の過ぎゆくままに時を過ごす。

「時間がもったいない」とか「時間の無駄」というような表現があるけれど、ニュージーランドに来てからの僕といえば、もう思いっきり「時間」を「無駄」に「浪費」しまくっていると、人には映るのかもしれない。

ただ一つ言わせてもらうならば、ここに流れる時間は、有益であるとか無駄であるとか、勿体ないとかあるとかいうような価値基準とは別の次元で語られ、扱われるべきものだ。

時折穏やかに風がそよぐ緑の絨毯の上で羊の群れが思い思いに草を食み、互いに毛繕いをしたりしている様子を眺めながら、分単位でスケジュールを消化してゆくような先進国の大都市的時間感覚を維持し続けることは僕にはできない。

時間は世界中のすべての場所で、一様に、同じ速度で流れて行くものではないのだ。

ミルフォードサウンドからタスマン海へ。

フィヨルドランド国立公園はニュージーランド南島、タスマン海を西に臨むエリアに位置するニュージーランド最大の国立公園である。

日本にも、おそらく数百万年も前からそこにあり続けたであろう手つかずの自然というものはあるのだろう。けれど外国のそれはもう規模が違う。加えてクイーンズタウンもそうなんだけれど、氷河が削って作り出した景観というものには一種独特の雰囲気があって、これは日本では絶対にお目にかかることができない種類のものだ。

僕は先の、語学学校で出会ったその女の子に本当に感謝しなければいけない。

ミルフォードサウンドは、僕の想像をはるかに上回る素敵な場所だった。

氷河を見たのもフィヨルドを見たのももちろん初めてだった。僕が参加したそのツアーにはフィヨルドランド国立公園内のガイドと、フィヨルドによって形成された峡谷を1時間程度クルーズできるオプションが含まれていた。

切り立ったフィヨルドエリアをタスマン海からの冷たい風を受けながらクルーズ船は進む。ときおりイルカが船の周りに遊びに来る。

ミルフォードサウンドの向こうに広がるタスマン海。

断崖絶壁が途切れたその先に広がるタスマン海が視界に飛び込んで来たときの感動は、あれから一年以上経った今も忘れることができない。

船の乗客たちから一気に歓声が上がる。ある人たちは手を取り合いながら、ある人たちは抱き合いながら、目の前に広がる絶景に心を奪われている。英語、スペイン語、中国語。様々な言語が飛び交っている。もちろん僕にその全てがわかるはずもないけれど、その時その場にいた人々が口々にこのフィヨルド峡谷の美しさを、その場にいることの喜びをシェアしあっているのであろうことは理解できた。

船の上はまさに歓喜の渦に満たされていた。

そんな光景を一人で眺めていた僕は、ふとその感動をシェアできるような旅の伴侶が自分にはいないという事実に気がついて、今さらながら少し呆然としてしまった。

タスマン海が視界に飛び込んで来たときの感動とほぼ時を同じくして訪れた、自分は徹底的に一人であるという現実を突きつけられたような、あの時の感覚もまた、一年以上経った今も忘れることができない。

それは両親との連絡が永らく途絶え、心を開けるようなパートナーや親友もいなくて、昨日と同じ退屈で抑圧的な今日を過ごすだけの毎日が、旅という新たな日常を生きていたはずの当時の僕の心の中にすっと暗い影を落としていったかのような、少し苦しい瞬間だった。

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ABOUTこの記事をかいた人

osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。