【第9話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記【第8話】(前回)はこちらから

※今回のブログ記事内の写真は、ボリビアのウユニ塩湖で出会った旅人Ayako Miyoshiさんに提供していただきました。この場を借りてお礼申しあげます。ありがとうございました。

Ayakoさんの旅の記録を綴った素敵なブログはこちらからご覧頂けます。

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 4−1アルゼンチン・ブエノスアイレス

エセイサ国際空港

Photo by Ayako Miyoshi

「わかった。1000はペソ払う。だから、暴力はやめてくれ!」

アルゼンチン、エセイサ国際空港の玄関ロビーを出てすぐのタクシースタンド付近で「Where are you from?」と笑顔で近寄って来た、陽気な感じのアルゼンチン青年に案内されるがままに乗り込んだタクシー。久しぶりに聞いた英語。

何の疑いもなくその好青年を信用した。そうして案内されたタクシーの後部座席に座った途端、運転手と、僕をタクシーまで案内してくれたその好青年の態度が豹変した。

「ちょっと高いな」。そう思いながら、1000ペソ(日本円に換算すると6000円弱)を運転手に手渡す。僕が運転手に告げた目的地は空港から2kmほど離れた宿泊施設だ。日本なら初乗り程度の運賃で十分たどり着けるはずの距離。6000円はどう考えてもおかしい。僕の聞き間違いか?もしかしたらお釣りを渡してくれるかもしれない。というかそもそもメーターは使用してくれないんだろうか?

それから事態を把握するまでにあまり時間はかからなかった。僕をタクシーまで案内してくれたその青年が、助手席のドアから上半身を車内に突っ込んで、僕の鼻先に顔を近づけ「俺にも1000ペソ支払え」と凄んでくる。

タクシーがたくさん並んでいるスタンドには向かわず、少し離れた人気の少ない場所に停車している怪しげな自動車まで彼が僕を案内した時点で、何かがおかしいと気付かなければならなかったのかもしれない。

けれどその時の僕は疲れていた。とにかく南米は英語が通じない。通じないとは聞いていたけれど、そうは言っても英語はもはや世界共通語である。ここはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスの国際空港だ。世界中から旅行者が訪れるその場所で、まさか英語が通じないということがあるはずがないという僕の楽観は、すでに完全に打ちくだかれていた。

英語が通じない国

アルゼンチン・ブエノスアイレスの「7月9日大通り」。世界一幅の広い道路として有名。 Photo by Ayako Miyoshi

エセイサ国際空港に到着してからすでに数時間が経過しているけれど、イミグレーションの職員以外まともに英語を話せる空港職員に全くと言っていいほど出会わない。レストラン、キオスクはもちろん、インフォメーション・カウンターの職員ですら、英語が通じないか英語で話しかけるとたいそう嫌な顔をする。

南米ではアジア人に対する差別意識が強いという話を聞いたことがある。そのこともその空港職員が英語で話しかける僕を無視して後ろのスペイン語話者を優先して案内する理由の一つなのかもしれない(信じられないかもしれないが本当にあった出来事だ)。

国際線を利用して空港に到着した僕がいつも一番最初にするのが、ATMで現地の通貨を出金することだ。クレジットカードを利用することがあまり好きではなくて旅中はなるべく現金で決済するようにしていたので、とにかくまずデビットカードを利用することができるATMマシンを探すことが、新しく訪れた国で荷物をピックアップした後に僕がするべき最初の仕事ということになる。

エセイサ国際空港には4箇所のATMコーナーが設置されていたように記憶している。

到着ロビーから一番近いATMがイギリスの某大手銀行のもので、これをすぐに利用すればよかったんだけれど、初めての南米、少し空港の中を歩いてみたいという衝動に駆られてそうしているうちに現金がなくなってしまったのか(南米では、ATMの中の現金が尽きたために機械がout of order になってしまうということがよく起こる)戻って来てみてみると、その銀行のATMは使えなくなってしまっていた。

他のATMマシンは見たことのない南米の銀行のもので、デビットカードが利用できることを示すマークがどこにも見当たらない。試しにスロットに手持ちのカードを挿入してみるが、ディスプレイに表示されるのは僕には馴染みのうすい言語〜スペイン語だった。

冷静になれば表示を英語に切り替えるためのボタンがタッチスクリーン上に表示されているのを見つけることができたのかもしれない。けれどなにせ疲れと緊張と、聞いたことのない言語が飛び交う環境で冷静さを欠いていたようだ。僕の目に映っていたのは、ほとんど意味を解すことのできないアルファベットの文字列で埋め尽くされた寒々としたスクリーンだった。

少し休憩したい。そう思って立ち寄ったカフェテリア。メニューはかろうじて英語とスペイン語が併記されているけれど、店員が英語を理解しない。そしてどうやらクレジットカードが使えないようだ。コーヒーすら飲めない。

仕方なく隣のキオスクに立ち寄る。何か飲み物を購入しようと思ったのだが、あいにく僕にはこの時点において未だ現金の持ち合わせがない。こんなことなら事前に英語圏の空港なり換金所で、幾らかのアルゼンチンペソを用意しておくべきだった。

あるいは米ドル。南米では米ドルが非常に強くて、だいたいどのお店に行っても米ドルがそのまま使えてレートもそんなに悪くない。ただ、当時の僕はそんなことは知らなかった。これから向かう旅先の情報をきちんと収集しておく、というような初歩的な手間を惜しんだばっかりに、40を超えたいい大人が、ジュース一本、菓子パン一個も買えないという惨めな思いをしなければならなくなったという訳だ。

こちらは世界で二番目(?)に美しいと言われる書店「エル・アテネオ・グラン・エスプレンディット」 Photo by Ayako Miyoshi

言葉の通じない環境でどう振る舞って、まずは何をするべきなのか。スマートフォンを使って調べよう。そう考えてロビーの床にじかに座り(この空港は利用者の割に椅子の数が圧倒的に少ない)Wi-Fiを探す。当然この空港にもWi-Fiがあるにはあるのだけれど、肝心のネットへの接続の仕方がわからない。

なにせどこへ行ってもなにをしようとしても、全てはスペイン語で表記され話されるのだ。

話せないのはもちろんのこと、読めない、聞けない、書くこともできない。それがどれだけストレスフルなことか、今まで想像したこともなかった。

日本人は英語が話せないとよくいうけれど、どれだけ学生時代に英語が苦手だった人であったとしても、多少は理解できたり読んだり聞けたりはするものだ。僕たちは日本という国にいながらにして、知らず知らずのうちに英語に接し、慣れ親しんでいる。そのことから受ける恩恵に僕らは無自覚なだけなのだ。

けれどここ南米ではそうはいかない。子供の頃からスペイン語に接する機会というのは、それが世界で三番目にたくさんの人々によって話されている言語であるにもかかわらず、日本で生活する人間には開かれてはいない。空港に降り立ってからもう4時間以上が経過しているというのになに一つできていない。

言葉がわからない。そのことがどれだけ人を擦り切れさせ、不安におとしいれていくのか、長時間のフライトで疲れた体を引きずりながら、その時の僕は身を持って経験していた。

とにかくこの日、ニュージーランドからの10時間のフライトを経てたどり着いたアルゼンチンの空港で、まともに英語で意思疎通を取ることができた唯一の人物が、冒頭のそのタクシーの青年だったのだ。

海外で初めて感じた身の危険

「カルロス・トアイス植物園」Photo by Ayako Miyoshi

僕は思い切って、窓から上半身を突っ込んで凄んでくるその青年に、どうしてそんなお金を払う必要があるのか、そもそももう運転手にはお金を支払っているじゃないか、そんなに高いんならもうこのタクシーには乗らない、降りたい、というようなことを言った。

けれど、当然のことながら彼の答えはNoである。青年はもはやしびれを切らせて感情的になっている。スペイン語なまりの英語なのかスペイン語そのものなのか、もはや理解できない言葉でまくし立ててくる。ドアはすでに外からロックされていたし、首尾よく降りられたところでそのたくましい感じの青年から逃げられる可能性はほとんどゼロに近いように思われた。

その彼が、持っていたカバンの中から何かを取り出す素ぶりを見せた時に、大げさだけれども、僕は身の危険を感じた。凶器を取り出すと思ったのだ。そういうわけで、僕はつい先ほど、ATMでやっとの思いで出金することができたなけなしの現金(out of orderだったイギリスの銀行のATMが復活していたのだ)ほぼ全てをその彼に支払うことになったのだった。

命さえ失わなければ、それ以外はなにを失っても構わない。危険に遭遇した時はそう肝に命じて行動するようにといろんな先輩旅人から口を酸っぱくして言われていた。だから僕はそのようにしたのだ。

Photo by Ayako Miyoshi

今にして思えば、僕の方に非があるというのは重々理解している。

外国で流しのタクシーを捕まえるというようなことは自殺行為だ。たとえ空港であったとしても、それが空港の正規のタクシー・スタンドに列をなしているタクシーだったとしてもだ。

とりわけ南米では、タクシーに乗った途端に運転手に銃を突きつけられて「有り金を全部出せ」と脅されるというような映画みたいなシチュエーションに遭遇するという話もちらほら聞く。運が悪ければ、全てを差し出した直後に銃で撃たれたりすることさえあるという。

僕がボリビアで出会った日本人バックパッカーは、ラパスの空港を出た直後にデモか何かの集団に巻き込まれて催涙ガスをかけられたと言っていた。小柄な、非力な女性などは、首を絞められて意識を失っている間に、あるいはいきなり刃物で切りつけられて、持っている荷物を全て奪われるといった極めて物騒な話も聞く。

代わりに基本的なこと=流しのタクシーには乗らない、危険な場所には近づかない、貴重品はきちんと身につけておく(バッグの中などには入れない)、夜はなるべく出歩かない・・・といった基本的な注意事項をきちんと守るだけで、そのようなトラブルに遭遇する可能性は格段に減少する。安全で思い出に残る、快適な旅にすることを思えば、そんなものは些細な労力にすぎない。

そして僕は、その基本的な注意事項すらきちんと認識しないまま些細な労力を惜しみ、スペイン語もろくに理解できない状態でアルゼンチン・ブエノスアイレスに降り立ってしまったのだ。いわば遭うべくして遭遇した出来事だった。怪我ひとつなく、2000ペソ程度の出費で済んで、むしろラッキーだったと言わなければいけない。

Photo by Ayako Miyoshi

そうしてようやくたどり着いた宿で、シャワーヘッドから温かいお湯が出ないと分かった時に、なんだか全ての緊張が解けてしまったような気がした。「あぁ、これが旅人の間で有名なお湯の出ないシャワーか」。チェックインの前にシャワーからお湯が出るかどうか、確認するのはバックパッカーの常識だ。それもまた、怠ってしまっていた。

冷たい水に打たれながら、悔しさと寂しさと情けなさで涙が止まらなくなった。頬を伝うシャワーの水は温かいのに、火照った体を流れていく水は冷たい。声を出して泣いていたのかもしれないけれど、その声はシャワーの音でかき消されていたのか、僕はあんまり覚えていない。よく覚えているのは、火照った肌と冷たい水が混ざり合って、自分自身と自分以外のものの輪郭が曖昧になってゆく感覚だ。肌が冷たいのか、それとも水が温かいのか、そういうことを考えるともなく考える。

そうしていろんな感覚と共に、自分自身の感情もまたないまぜになっていく。自分がしたかった旅はこういうものだったのだろうか?どうしてこんな思いをして旅をしているのだろうか?する必要があるのだろうか?辛い思いをして一人で南米を旅することに何の意味があるというのか?自分自身に問いかける。

けれど誰もそんな問いには答えてくれない。なにせ僕は一人ぼっちで地球の裏側にいるのだ。

そもそも今自分は誰に向かってそんな問いを発しているのだ?そのような問いを発しているジブンとは一体誰なんだろうか?

いくら考えてみたところで、あの時の自分にその答えが見つかるはずもない。

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今回の素晴らしい写真の数々は、ボリビアのウユニ塩湖で出会った旅人Ayako Miyoshiさんから提供していただいたものです。謹んで御礼申し上げます。ありがとうございました!

Ayakoさんの一人旅の記録を素敵な写真とともに綴ったブログ「My treasure chest」はこちらです。

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1 個のコメント

  • 今回も面白い。そして私もこのトラブルに遭ったら同じようにしたと思います。ゆっくり読み進めています。

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    osugi

    2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。