【第19話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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ペルー  クスコ・マチュピチュ

孤独感

ペルー 名物「ピスコサワー」。少し強めのカクテル。ライムに似た風味の柑橘系の酸味を卵白がまろやかに包み込んで何杯でもいけるのですが、この標高でこの強さのお酒を飲むと結構すぐ酔っ払います。

ペルーにはあまり思い出がない。いいものも悪いものも含めて思い出そのものがない。唯一の思い出といえば、僕がフィリピン・セブの語学学校で一緒に学んでいた保育士の女の子とクスコの街でピスコサワーを飲んで、ペルー料理を食べながらひたすら話をしたことくらいだ。

 

不思議なもので、ある一定の時間を経て再会した旅人同士はあまり旅の話をしない。いや、変な一般化は良くない。僕に関してはと言うことだけれど、久々に会った友人や仲間と呼べる人とたちと、これまでの旅で行った場所や出会った人などについて話すということはあまりなかった。その代わりにこれまでのことやこれからの事、夢、希望、そんな話をする。この時もそうだった。

 

そういう話ができる相手というのはある程度心やすい存在でなければならない。見ず知らずの人にそう簡単に自分の全てをさらけ出して語れるほどの勇気はないし、僕はそこまで人懐っこくもない。代わりに旅の話をする。旅人にとって旅の話はいわば世間話のようなものだ。バス停で、電車で、隣に座った見知らぬ人とお天気の話をするようなものである。当たり障りがないし天気の話と違ってそれなりに話も弾む。

 

考えてみれば当たり前のことなのだけれど、そういう当たり障りのない会話ばかりを一定期間続けていると孤独感ばかりが募るようになっていく。当たり障りのない会話を通じて自分が一人であるという事実の否定的な側面を確認しているかのようだ。そういう自傷行為的会話がどのような建設的な意味を持っていたというのだろう。時が経つにつれ、自分にはどんな危険や辛い経験もシェアしていけるような旅の伴侶がいないという事実に押しつぶされそうになってゆく。

 

ずっと一人で旅をしてきてもう3ヶ月が経過していた。大半は言葉もなかなか通じない南米。素晴らしい出会いもあったけれど、基本的には重いバックパックを背中に抱えてずっと一人でここまできた。一人旅の気楽さと引き換えなら、そんな孤独感はとるに足らないものだと思う人もいるかもしれない。けれどそういう孤独感は弱い酸のように少しずつ心を蝕んでゆくのだ。生きる気力を減殺し、前に進もうとする力を奪ってゆく。

 

今こうしてクスコでの滞在中に撮った写真を見てみると、随分綺麗な建物が並ぶ素敵な街に僕は滞在していたのだなと思う。けれどツーリストとしてこの町を訪れたことについての思い出は残念ながらあまりない。写真の大半はその友人との待ち合わせの時間までの暇つぶしに撮ったものである。僕の気持ちはこの街にはなく、この街を出ていかなければならないこと、つまり来るべき「別れ」の瞬間を想像的に先取りして少し憂鬱な気分になっている自分自身の内側に向けられていた。次に向かうマチュピチュをキャンセルしてでもいいからここでもう少し滞在していたいという気持ち。あれから一年経った今クリアに思い起こせるのはただそれだけである。

 

 

本当の自分に出会う旅

クスコの町の中心にある広場と、その前にある教会。

様々な出会いや素晴らしい経験について書いてきたけれど、僕の旅の大半は一人で過ごした時間で占められている。僕はバックパッカーであるので安宿に宿泊することになる。当然全ての食事を自分自身で用意するなり何処かに一人で食べにいくなりしなければならない。ランドリーサービスがあるわけでもないので洗濯物は自分で洗わなければいけない。欧米と違って南米では洗濯機が普及していないし、あったとしても毎回お金を使うのがもったいなかったので節約のためほとんど手洗いしていた。

 

長年一人暮らしをしてきた僕にしてみれば、それは日本での日常をそのまま海外に持って出てきたのと同じようなものだった。旅は非日常的な経験で満ち溢れているのではない。非日常的な経験で溢れる旅とはすなわち商品としてやりとりされている旅であると言えるかもしれない。

とりわけ僕のようなバックパッカーのそれはむしろ退屈な日常の繰り返しであると言っても過言ではないと思う。「海外で経験する日本の日常」。旅に出る前はそういうのもまた旅の醍醐味の一つである「非日常」の一コマとして考えていた。

 

けれど旅の期間が長くなっていくにつれてそれもだんだん億劫になってゆく。日本にいた時と同じで1日三度の食事は本当に苦痛だった。一人で摂る食事というのは本当に味気ないもので、これだけは何年一人暮らしを続けても慣れることができない。とりわけ海外で経験するそれは本当にキツかった。あぁ、またハラが減ってきた。お腹がすかなければいいのに。食事の時間は一人であることを痛切に感じる時間でもある。あまり人と関わるのが得意でない僕は、その辺にいる旅行者に声をかけることもできずいつも一人悶々としながら過ごしていた。

 

けれどそういう経験以上に辛かったのがなんらかの失敗をしたりトラブルに遭遇した時だった。空港は僕にとって鬼門のような場所になっていた。振り返ってみれば、その国での滞在中に怠った準備や情報収集のツケが出国時に回ってきていたに過ぎないのだけれど、慣れない外国の空港のイミグレーションで出国カードを紛失していることに気づいたり、ビザの延長を忘れていて罰金を払わされたり。そういうことを経験する度に自分は旅に向いていないんじゃないだろうかと自己嫌悪に陥る。

 

体調不良。これも辛かった。風邪をひいたこともあったし、食あたりなどの消化器系が原因の体調不良で何日も寝込んだりすることを余儀なくされたりもした。病院に行くかいくまいか、そんなことを考えながら外国人に囲まれてゲストハウスのベットに一日中横になっている時は本当に日本に帰りたいと思ったものだ。日本に帰りたいと思った経験は数しれないけれど、体調不良時のそれは本当に切実だった。これもある意味では日本で経験するそれと同じ、身を切るような寂しさを伴う辛い経験だった。

 

つまり一人旅の間に経験したそのほとんどの感情は日本にいたときのネガティブなものとあまり変わりがなかったというわけだ。そういうものから逃げ出したくて旅に出たのに、情緒的・感情的な経験は日本にいたときのそれとそんなに変わりはしない。それがバックパッカーになるということの、僕にとっての一つの偽らざる現実であったと思う。ある場所から逃れられたとしても、日常や生きることそのものから逃れられるわけではない。身も蓋もないのだけれど、旅はそう簡単に自分を変えてくれたりはしない。だいたい同じようなことで悩んだり落ち込んだり傷ついたりしている自分がいるという事実を俯瞰できるもう一つの視座が自分の中にできるだけだ。

 

ただ、それだけのことが僕にもたらしてくれたものはとてつもなく大きかった。いろんな感情や思考を整理できたし、自分がどういう人間であるかを深く洞察することができた。まだまだ分からないことも多いけれど、あのまま自分を見失ったままで日常を過ごしていたとしたら今頃どんな自分になっているだろうと考えると少しぞっとする。最も怖いのは、自分が自分のことをよく分かっていないということに気づかないまま生活していたに違いないということだ。本当の自分は自分自身の中にはない。

 

「今を生きる」

マチュピチュ遺跡。

僕はすでにペルーレイルのチケットと、マチュピチュ遺跡の入場チケットをオンラインで購入していた。もっといえばこの後アメリカに飛んで先日イースター島を一緒に回った仲間とルート66を横断することになっていた。「その時の気分で旅の予定を自由に変えることができる」という長期旅行者の特権をここでは行使するわけにはいかなかった。

 

拠点となるクスコからマチュピチュまで歩いてしまうツワモノもいるという。けれど僕にはとてもじゃないけどそういうことをする気力はなくて(ちなみに日本にいる時の趣味の一つがフルマラソンだったので体力には自信がある。あくまで気力がなかっただけだ)、早々と最も楽な手段を選んでマチュピチュ村に向かうことに決めていた。

 

列車はとても快適で、窓の外を流れる景色は絶景だった。森を抜け、川を渡り、谷に沿って、汽車はぐんぐんアンデスの深い山中に分け入ってゆく。このようなところに、こんな規模の遺跡を残せるような文明がかつて存在したのだということが僕の胸を打った。その一方で文字を持つことはなかったというアンバランスさ。そんなミステリアスさが世界中の旅行者を惹きつけてやまない理由の一つなのだろう。

 

ペルー レイルの終着駅、マチュピチュ。背後の山の稜線に分厚い雲がかかる。

マチュピチュ村は終始雨だった。一泊二日の滞在中(今思い返してみても随分タイトなスケジュールだったなと思う)ずっと曇り空で、時折激しい雨が山あいに開かれた小さな村を激しく叩いた。雨が上がってもなお、まるでいつでも雨を降らせる用意はできているとばかりに分厚くて薄暗くて陰鬱な雨雲が、村と村の四方を囲む山々の上に低く垂れ込めている。

 

雲間が切れて青空がのぞいたのは唯一、マチュピチュ山に登った時だった。長期で旅をしていると、マチュピチュ遺跡のような有名な観光スポットに飽き飽きしてくる。何を買っても何を食べても高いだけで、人は多いし楽しみにしていた風景は写真で見るよりずっと退屈である。そういう経験は国内外を問わず多分誰しもあって、そういう風景に出会った時に、旅行業のコマーシャリズムにうんざりしたり、ちょっとした徒労感を覚えたりする。

 

けれど南米のそれは僕の期待を裏切ることはなかった。ボリビアのウユニ塩湖然り、アルゼンチンのペリトモレノ氷河然り。そしてここペルーのマチュピチュ遺跡もまた写真でみるそれよりはるかに素晴らしいものだった。これまで垂れ込めていた雲が晴れて、一気に視界がクリアになるというちょっとした演出のようなものも手伝ったのか、随分印象的な光景として今も思い出すことができる。

 

マチュピチュ山の山頂から遺跡を望む。中央に小さくマチュピチュ遺跡。本当は遺跡のすぐ背後にそびえる「ワイナピチュ」に登りたかったんだけど、あいにくチケットが売り切れでこちらに登ることに。結構タフな山で、ここに登ったというと結構な人がびっくりしてくれました。

それでもやはり、それが忘れがたい経験であったかと言われるとそうではないと言わなければならない。あの絶景の前でも僕の心はやはり明るくはなかった。心はここマチュピチュにはなく、先日経験した仲間との別れと数日後に控えたシカゴでの仲間との再会の方にあった。

その瞬間を大切にすることができない。別れた仲間との時間のことを考え、これから会う仲間のことを考える。ペルーにいた時の僕はまさに空白そのものだった。

 

日本にいた時もそうだった。過去に囚われ未来に不安を抱く。結果的に「今」が自分の生から抜け落ちている。完全に抜け落ちている。これはいずれ書くことになると思うのだけれど、「今を生きる」という価値観を全面的に肯定するには僕はいささか馬齢を重ねてしまっているし、ネガティブな経験もたくさんしてきた。要はそこまでイノセントにはなりきれないというわけだ。

 

けれどこの時の自分は本当にいけない。冒頭に「ペルーには思い出がない」ということを書いたがそれはなるべくしてなったということができる。過去にとらわれ未来に不安を抱き続ける人間に「今」があるわけがない。代わりに「今」のポジションを埋めるのは空虚感だけである。結果的に空虚で満たされた(空虚で満たされているというのも随分形容矛盾ではあるけれど)時間だけがすぎてゆく。気がつけば年齢だけを重ねていて、後に残るべくして残るのは「後悔」ただそれだけである。まるで旅に出る前の自分の日常そのものだ。地球の裏側にきても、やっぱり僕は旅に出る前の僕のままなのだ。少なくともこの時点においては。

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ABOUTこの記事をかいた人

osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。