【第39話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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コペンハーゲン・デンマーク

Copenhagen AirPort Terminal

北欧の玄関口、コペンハーゲンに到着したのは2017年8月。バゲッジクレームでいつものようにノースフェイスのバックパックをピックアップしてロビーへと向かう。「世界一美しい空港」とも言われるコペンハーゲン国際空港。到着ロビーの控えめな照明が、広々とした空間に心地よい親密さを与えている。到着ロビーのシックな雰囲気と、ガラス越しの青い空とのコントラストがなんとも言えず美しい。

 

世界には様々な色の青があり、様々な色の青空がある。ここコペンハーゲンのそれは、僕が8月の青空としてイメージする、刺すような、抜けるような青ではなくて、今まで僕が見たことのないような控えめで優しい印象の青だった。これが北欧の青空なのかと僕は思う。青空がこのターミナルの親密な空間を、ロビーの落ち着いた照明のトーンがターミナルの外に広がる控えめな青空をお互いに引き立てあっていると思う。そしてデンマークの、コペンハーゲンの青空はこの色でなければならない、と思う。

 

今振り返ってみると、コペンハーゲンという街自体はそんなに印象深いものではなかった。街並みはとても美しく、北欧らしい洗練されたものではあるけれど、そこには他のヨーロッパの国々のそれと比較してみるとなんとも言えない「垢抜けなさ」のようなものがついて回る。パリ、バルセロナ、ローマ、ベルリンといった都市は言わずもがな、例えばリスボンの持つ洗練されていてかつ控えめな印象とも異なるし、ダブリンのチャーミングな街並みともまた異なる。

 

色んな国を旅した今、こうしてコペンハーゲンのことを思うと、率直に言って何が何でも訪れたいと思うような場所ではなかったような気がする。この街の観光で僕が一番印象に残っているのは「チボリ公園」という世界最古のテーマパークだ。1843年オープンのそのアミューズメントパークの、全てがちょっとずつ古くて最先端からちょっとずつ遅れている感じ。それから比較的新しいものとそんなに古めかし過ぎもしないものが共存していて、でも全体としての統一感はかろうじて保たれている感じ。それが僕のチボリ公園に対する印象であるのと同時に、コペンハーゲンという街に対する印象にもなっている。決して悪くない。でもとても素晴らしいということもない。

 

それでも僕は、他のどの都市よりもここコペンハーゲンに来ることを楽しみにしていた。やっとここまでたどり着いた。2016年の11月、世界一周をするために日本を出国してすでに10ヶ月(途中一時帰国している)。スタイリッシュに洗練されたコペンハーゲン空港のロビーの外側に広がる青空を見て、僕の胸は高鳴った。

 

学び

クロンボー城の展望台から。中央の尖塔はヘルシンゲル大聖堂

2016年の秋、日本を出発した僕が最初に向かったのがフィリピン・セブ島だった。ここで8週間留学して、錆びついた英語力をどうにかするのだ。

 

11月の最初の日曜日、同じ日に同じ目的で、つまり世界一周前に英語を学ぶために、その学校を訪れた夫婦がいた。それが「とおるさん」と「なっちゃん」との出会いだった。ふたりとも同い年で、僕とは年齢が一回り離れている(もちろん二人のほうが若い)。

 

これは僕が旅中に得たささやかな経験則のひとつなのだけれど、僕のように基本的にあまり社交的ではない中年・無職の旅人に話しかけてくれる若い人たちにはおしなべて一つの共通点がある。「聡明さ」だ。旅に出てくるような若者である。彼らの聡明さは「未知なるものに対する抑えがたい興味」によって支えられていて、僕のような「何をしているのかわからない人間(おっさん)」を放っておくことができないのだ。

 

僕はこれを書いている現在42歳。この文章が記事になってみなさんの目にとまる頃にはおそらくまた一つ馬齢を重ねていることになる。その僕が、つまり紛うことなき中年バックパッカーである僕が、若い時の自分を懐古的に振り返る時にいつも苦々しく思うのが「もっと勉強しておけばよかった」という、おそらくはほとんど全ての大人が一度は経験したことがあるであろうあの忸怩たる思いである。

 

自分の想像もつかないような場所があり、自分には到達し得ない高みにいる人がいて、自分には決して触れることのできない知性がある。そのような想像力は未熟な自我には芽生えにくい。自分が知らないことがある、自分の知らない場所があるという感覚は、子供にだって直感的には理解できる。理解できている。けれどそれを自分自身の「欠乏感」や「欠落感」と結びつけてそこからの跳躍を試みようとするような振る舞いはまた別のものだ。

 

今の自分が抱いている不全感や欠乏感と、そのような高みにある存在とのギャップを少しでも埋めようと努力すること。両者を架橋する手段について想像力をたくましくすること。つまり「自分の知らないこと」に対する渇望を持つものだけが、そこに到達することができる(ジャック・ラカンはそのような渇望のことを「欲望」と言っているのだと思う)。そしてその渇望(欲望)を満たす手段のことを、僕たちは「学び」と呼んでいるのだ。

 

そのような「学び」の姿勢が身体化している人とそうでない人がいる。後者にとって「学び」とは、単に自己利益を増大するための手段に過ぎない。少しでもいい会社、少しでも高い給料。そういうもののために、多くの現代人は学ぶ。そのような学びの姿勢を持つ人を、僕たちの国は構造的に量産し続けている。高い偏差値と高い学歴といい就職先と高いサラリーが大体イコールで結び付けられているという幻想を共有することで、僕たちの社会は成り立っている。

 

一方で、純粋に知的好奇心を満たすことに貪欲で、自分の知らないことを知りたいと欲望することが身体化している人がいる。彼らにとっては世界そのものと、そこに属する全てのものが「学び」の対象であり、手段であり、方法だ。僕が先日セブでお会いした中村雅人さんという方が主催している『世界一周学校』がそのことを端的に表すいい例であると思う。中村さんのような方にとって、まだ見ぬ世界は常に刺激的な学びをもたらしてくれる「学校」なのだ。僕が先に「聡明さ」という述語で表現したのはこのことだ。

 

(中村雅人さんの「世界一周学校」のホームページはこちらから

 

そのようにして世界のいろんな旅先で、僕はその「聡明な」若者たちと語らうことになった。彼らの興味は尽きることなく、僕はますます饒舌になって、やがて夜は更けていく(でも中村さんとはあまりゆっくりお話することができなかった)。ちょっと喋りすぎたかなと思う。けれど相手も概ね僕の話に満足してくれている。単に彼らが聞き上手なだけなのかも知れない。けれど聞き上手であるためにもやはり、それなりの知性や聡明さは必要だ。

 

聡明でない人たち

ローゼンボー離宮

そして残念ながら「聡明でない」方の人たちは、同じく聡明でなさそうな若者たちと徒党を組んで、大きな声で夜遅くまでおしゃべりをしている。そこで繰り広げられているのは概ね旅の自慢話であり、自分がいかに危険な目に遭いそれをかいくぐってきたかという武勇伝や、自分はいかに節約が上手いかとか、寝た女性の数だとかと言ったような話である。

 

そのような若者は世界中どこに行ってもいて、判で押したように同じ話をしていた。彼らは話が長くなるに連れてテンションが上っていって、すべからく声が大きくなっていった。注意されるまでやめないし、注意されても程なく元のボリュームに戻っていく。

 

そしてそこにいる中年バックパッカーの僕にいかなる注意を払うことなく、僕などあたかもそこに存在しないかのように振る舞うという点においてもまた、彼らは概ね共通していた。話の内容から察するに彼らに共通している傾向は「自分の想像力の及ぶ範囲のことにしか興味がない」ということであるように僕には思われた。自分の知りえないことは知らなくてもいい。そもそもそのようなものがあり得るという可能性に思いを馳せる習慣がない。それは「学ぶ」という営みから最も遠い場所にある振る舞いである。

 

そんな若者を見ている時に僕がいつも抱く確かな感覚が一つだけある。それは彼らが「若かりし頃の僕」そのものであるということだ。

 

彼らの横であたかも「いないもののように」扱われている僕。その時僕が感じる居心地の悪さは、自分が軽く扱われているとか自分が若い人から相手にされなくて寂しいというよりは(そういう感情もなくはないのだけれど)むしろ、自分自身に対して抱く嫌悪感なのである。若い頃の自分。そして今、もっと勉強しておけばよかったと後悔している自分そのものなのだ。

 

要は僕が若い時に「自分の価値基準では図ることのできないもの」にたいして向けていた冷笑的な態度が、おっさんになった今、世界を旅している自分に向けられているということに過ぎない。そして当時の自分といえば「聡明さ」とは程遠い場所で、高い学歴と潤沢なサラリーを求めて、偏差値を1つでも上げるべく勉学に励んでいた。そんなものは「学び」に対する冒涜である。「もっと勉強しておけばよかった」という悔恨は、僕においては物理的な勉強時間の多寡についてのものではない。まだ見ぬ世界に対する、自らの想像力の貧困に対する救い得ない絶望感によるものである。

 

 

まんぷく夫婦

まんぷく夫婦(後ろ姿)

なっちゃんととおるさんのことを書こうとしてずいぶん長い迂回をしてしまった。二人は(僕とは違って)紛うことなき「聡明な」人たちである。彼らはまだ見ぬ世界に興味津々で、まだ味わったことのない食べ物にも興味津々の人たちだった。「まんぷく夫婦」たる所以である。なにはともあれ、彼らが僕に示してくれる興味や関心や親密さは(彼らの食に対する興味ほどではなかったのかも知れないけれど)、概して僕にとって心地よいものだった。おかげで僕たちはすぐに仲良くなることができた。

 

コペンハーゲンは僕にとって、10ヶ月ぶりに彼らと再会するための約束の場所だった。

 

夫である「とおるさん」はいつも穏やかな物腰で、自分が今置かれている状況を静かに分析しながら自身の行動を決定していく人である。というとなんだか冷たい人間に聞こえるかも知れないが、そのような冷静沈着の人がホットな心とそれなりの笑いのセンスを持ち合わせているとなると一気に親しみが湧くというものだ。とおるさんの意見はいつもだいたい間違っていなくて、とおるさんがぼそっと呟くときは大体なにか面白いことを言うときで、あまり「スベる」ということがなかった。なにせ聡明なのだ。

 

そのとおるさんが「おすぎさん、考えてることブログに書きなよ。絶対面白いよ」と言ってくれたのがきっかけで、僕は旅中にささやかなブログを書くことになった。アカウントの開設からなにからを手伝ってくれて、僕は約半年間、誰が読んでいるともわからないブログを書いていたのだけれど、それが時を経て世界一周を終えた今の僕のこの仕事につながることになるなんて思いもしなかった。

 

奥さんの方の「なっちゃん」はといえば、こちらはまるで太陽のような女性である。いつもだいたい笑っていて、その笑顔はとても素敵である。そんな彼女は笑うときは大きく開けた口を手元で隠そうともせず笑う。それが本当にチャーミングなのだ。

 

なっちゃんは(多分)直感型の人だけれど、思慮が足らないというわけでは決してない。ときおり見せる繊細さや女性ならではの細やかさが、なっちゃんという女性に深みや奥行きを、そしてこちらも聡明な印象を与えている。芸術にせよ食にせよなんにせよ、「大胆さ」と「繊細さ」といった相反する性質を同時に兼ね備えたものを人は好む傾向があると思うのだけれど、僕にとってなっちゃんはまさにそのような人である。二人を見ていると世の中には人の数だけ「聡明さ」があるんだなと思わずにはいられない。

 

まんぷく夫婦(チボリ公園にて)

 

そんな素敵な二人の旅が素敵でないはずはなく、そんな二人とともにする旅が最高の思い出にならないはずはない。僕が旅中に出会ったすべての旅する夫婦がそうであったように、彼らはお互いの長所を最大限に活かしあい、お互いの短所によってもたらされるであろうリスクを最小限に留めることができるように支え合っていた。お互いがお互いにとって最高のパートナーとなるべく、彼らは感覚的に、理性的に行動していた。端的に言って素敵だった。

 

僕たちがコペンハーゲンで落ち合うことの目的の一つが、同じ語学学校で知り合ってコペンハーゲンで働いている「こなえちゃん」に合うことで、もう一つが、二人とアイスランド行の便に乗って一緒に彼の地を旅をすることだった。そんな訳で、僕はここコペンハーゲンに来ることを本当に楽しみにしていた。僕の旅はたくさんの失敗に彩られた旅だったけれど、聡明なとおるさんとなっちゃんのおかげで、僕はコペンハーゲンの彼らが指定してくれた場所で、よどみなく彼らに合流することができた。

 

クロンボー城

繰り返しになるけれど、コペンハーゲンの街そのものはどうしたってパッとしないものである。けれど街そのものが持つ価値以上に、何を目的にそこを訪れて、誰とどのように過ごすかがその街の、国の印象を決定付ける。この連載でくどいくらい書いてきたことだ。

 

ハムレットの舞台となった世界遺産のクロンボー城は美しかったけれど、それほど強い感動を僕に与えてくれるものではなかったし、そこで行われていた「ハムレット」の寸劇はそれほどクオリティの高いものには思えなかった。ニュー・ハウンのカラフルな建物はアイルランドのダブリンのそれに比べるとどうしたって観光客向けにデフォルメされた「わざとらしさ」を感じずにはいられなかった。チボリ公園にいたっては前述のとおりである。

 

だから多分もう、あそこに行くことはないと思う。それでもこの街で過ごした四日間は僕の大切な旅の思い出のひとつだ。それは他でもないまんぷく夫婦のおかげであり、彼らの聡明さの賜物である。だから二人には本当に感謝している。

 

僕が世界一周を終えてどうしても会いたかったのが「大輔さん」と「真弓さん」という、語学学校の素敵なマネージャー夫妻だった。こちらは実際にお会いして、現にこうして同じ空間で生活をさせていただくという幸運を得ている。けれどまんぷく夫婦に関しては、僕が旅を終えてそのままセブに来てしまったので未だに再会する機会を得ることができないままである。

 

そのことは少し寂しいけれど、世界の色んな場所に、こんな風に「また会いたい」と思える人がいるというのは本当に幸せなことだとつくづく思う。旅に出る前には考えられなかったことだ。日本にいた時の僕は、「もうこの人とは二度と会いたくない」という人の数が「また会いたい」と思う人の数を上回っていた。その日本にもし帰ったら、と僕は思う。日本に住む彼らに会えると思える。それだけでももう十分、旅に出てよかったと思えるのだ。

ニューハウン

 

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ABOUTこの記事をかいた人

osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。