【第38話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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アウシュビッツ強制収容所・ポーランド

ホロコースト

「生きられることのなかった過去」のことを考えて、時々眠れなくなることがある。無数の、実現することのなかった過去の集積によって、今の自分があると思うからだ。現在は、過去から一直線に続く歴史の一点を指すのではない。歴史は過去から未来に向かって一直線に進む物語ではない。歴史も人生も複雑系なのだ。そんなに単純にはできていない。

 

アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所は雨だった。未明から明け方にかけてポーランドの古都クラクフを激しく叩いた雨は僕がここに到着した時にはもう幾分かはマシになっていた。けれどここを覆う灰色の雲はそれでも陰鬱で冷たい雨をこの場所に降らせ続けている。その雲の重苦しい灰色は、この場所に塗り込められた歴史の色だと僕は思う。少なくとも、この場所に抜けるような青空は似つかわしくないのかもしれない。

 

エントランス前に溢れる世界中からの観光客は、この場所の歴史的な意味を写し込んだかのような表情で、静かに入場の順番をまっていた。世界各地の観光地に溢れる笑顔や歓声、喧騒からは程遠い何かがこの辺りを覆っていた。

 

あの場所では一体どんな表情がふさわしいのかなんてきっと誰にもわからない。もしそんな表情があるのだとしても、それは今まで誰も表出したことのないような表情に違いない。人間を効率よく大量に殺戮するためだけに施設されたような場所に似つかわしい表情なんて、一体だれがそんなものを持っているというのだろう。

 

アウシュビッツ強制収容所から車で10分程度走ったところに「ビルケナウ強制収容所」がある。僕たちが一般的に「アウシュビッツ」と読んでいる収容所はこのビルケナウ収容所とアウシュビッツ収容所を合わせたものだ。

 

赤茶けた煉瓦造りの壁に吸い込まれていくかのように一直線に敷設された鉄道の引込線をご覧になったことのある人もきっと多いと思うのだけれど、あれはビルケナウ収容所の施設である、ということをこの時知った。

 

送迎のバンを降りて収容所の敷地に張り巡らされた煉瓦造りの壁の方に向かって歩いていくと、程なくしてその線路にたどり着いた。世界中から訪れた見学者が思い思いにその線路の前で記念写真を撮っている。当然僕も持っていたコンパクトデジカメのシャッターを切る。

 

人間を大量にかつ効率的に殺戮すること「だけ」を目的に作られた場所。その象徴とも言えるのがこの線路だと思った。壁のあちら側に向かって、つまり死に向かって、最短距離で敷設された一直線の鉄の構造物は、世界中にあるどんな鉄の構造物よりも冷酷で無慈悲で、合理的だ。その目的のためだけに確保された敷地はあまりにも広大で茫漠としていて、そのアンバランスさが僕の心をより一層暗いものにした。

 

「ユダヤ人に労働を提供するため」という名目で開設された収容所で、最終的に行われていたのは「一度掘った穴をまた埋め直す」という行為を永遠に繰り返す作業だったそうである。ガイドのポーランド人女性が教えてくれた。ドストエフスキーが『地下室の手記』で示唆していた拷問だ。それが実際にここで行われていたのかと思うと吐き気がした。

 

一度山頂まで運んだ岩を再び下におとす。それをまた山頂まで運ぶ。シシフォスの神話に登場する拷問だ。賽の河原然り、古今東西人間が思いつく究極の拷問は、「無意味な作業の永遠の繰り返し」であるらしい。多分それが人間の精神を破壊するために最も効率的な行為であるということを人は知っているのだ。人間はしばしば思いもよらない残虐性を発揮することがある。そしてそのような残虐性に正当な理由を与えるために行使される「正義」が、ロジックがある。

 

アウシュビッツは僕たちが今生きている世界とはっきりと地続きであると思う。ホロコーストは遠い異国のクレイジーな独裁者による百鬼夜行では決してない。僕たちの社会はそのような暴力性を孕んでいて、そのことに無自覚だ。何かの歯車が一つ狂えば雪崩を打ってとんでもない方向に向かって進んでいく危険性。日本から少し離れて生活している今、そのことを強く感じることがある。

 

人間は人間自身が思っているよりはるかに残酷で無慈悲だ。大量虐殺に与えられる合理性がある、つまり人種という「概念」(「幻想」と言いかえることもできるのかも知れない)に対してすら、僕たちはリアリティを感じてそれを排除したり虐げたりすることができるのだ。虐待やいじめ、性差別からちょっとした仲間はずれにいたるまで、残虐性の発動に合理的なロジックを見つけることなんて訳はない。

 

現在になることのなかった未来

「生産性のある」ユダヤ人は右側のホームで降ろされて強制労働に。「生産性のない」人間は左側のレールに乗ってそのままガス室に。人間を生産性の有無で選別する。

アウシュビッツ強制収容所には数多くの非人間的な行為の痕跡が展示として残されている。荷物棚のような寝台。ガス室は言わずもがな、立って寝ることを強いられる拷問部屋やユダヤ人を射殺した場所とされる煉瓦の壁、ゴミ焼却場のように見える施設は次から次へと運ばれてくる死体を焼くためのものである。

 

そんな中にあって最も印象に残っているのが、被害者の遺品が大量に、うず高く積み上げられて展示されているガラス張りの空間だった。強制連行されることになった人々がトランクケースに詰め込んできた生活用品−食器類、衣服、ハンドクリーム、櫛、それから靴―。圧倒的な量のそれらが人間の背丈よりも遥かに高いところまで無造作に積み上げられている。

 

そして僕は、その膨大な量の遺品のそれぞれが持つ「意味」に圧倒される。

 

それらの物品の一つ一つは、犠牲になった人々の生活のなかの取るに足らない一部に過ぎなかったはずだ。そしてそれらの取るに足らない生活用品が、あの暴力の犠牲となった人々の遺品であるという事実が、その取るに足らないものであるはずの生活用品を「意味あるもの」に変えてしまっている。そのことに吐き気をもよおす。

 

そしてそれらが「無意味なもの」であった可能性に思いを馳せずにはいられないという事実によって、アウシュビッツの悲劇がより一層の悲劇として現前してしまう。この展示において、大切なことは「アウシュビッツで残虐なことが行われた」という事実の方にあるのではなくて、むしろ「そこに展示されているものそれ自体の『無意味さ』」の方にある。

 

言うまでもないことだけれど一番幸福なのは、持ち主たちの身の上に何事も起こらず、そこにあった日用雑貨がとるに足らないものであり続け、僕たちの目に触れることなく、僕たちがユダヤ人について思いを馳せることなんか何一つ無く、僕がこのアウシュビッツを訪れることすらなかったという「現在になることのなかった未来」である。

 

僕は2016年の1月に青信号を横断中に車にはねられた。腰椎を骨折する重症で、すぐさま救急車で近くの救急病院に搬送され、およそ10日間入院することになった。

 

上半身を固定するコルセットができて病院を退院した後、僕は当時一人暮らしをしていたアパートに帰った。ベッドの上には脱ぎっぱなしのパジャマがあって、テーブルの上には食べかけのスナック菓子と、読みかけの本が置かれていた。お世辞にもきれいな部屋だとは言い難かったけれど、そんなに散らかっていたわけでもない。

 

そのあたりに無造作に置かれている本や衣服やパソコンは、僕が車にはねられることなくあのまま帰宅していたとすれば僕にとって日常の光景として何の違和感もなく受け入れられるものだったはずだ。僕はその本の続きを読み、少し湿気ったスナックの残りを食べ、パソコンの前に座ってインターネットを閲覧する。掃除はまだしばらくはしなくて大丈夫だな、と思う。

 

けれど事故にあって帰ってきたそのときに僕があの空間にみたものは、僕がもう決して戻ることのできない日常の残滓だった。そこにははっきりとした断絶があった。「現在になることのない未来」の延長線がそこには見えた。そしてもう僕は決して「あちら側」には行けないんだと直感的に理解した。

 

それはアウシュビッツであの生活用品を見た時の感覚に近い。1DKのアパートと、そこに置かれたおびただしい数の僕の所持品は、僕に、僕がそれまで当たり前過ぎて意識することすらなかったはずだった日常を強く意識させることになった。同時に、そこにもう戻ることのできない、「もう決して現在になることのない未来」の存在を強く感じることにもなった。「断絶」とはそういうことだ。もう決して現在になることのない未来と、これから僕が過ごすことになる未来の確かな分岐点が、「散らかった部屋」として僕の目の前に広がっている。事故に遭わなければ存在を意識することすらなかった日常。それがあの日から僕について回ることになる。

 

事故に遭わなければ存在するはずのなかった未来の存在をありありと感じることになった僕は、そのような未来を「取り戻す」べくリハビリに励んだ。それは存在するはずのなかったものの存在をありありと感じる事によってもたらされることになった日常生活の変化だった。

 

存在するはずのなかったものの存在をありありと感じることができる、というのは人間だけに備わった特殊な能力の一つである(でなければヒトは墓を作らない)。そしてその時の僕にとって、それを取り戻すことはある種の達成を意味していた。

 

けれどそれは、とんでもない間違いだったのだ。

 

「徹底的に無価値なものが、ある悲劇によって徹底的に価値あるものに変容することがロマンなら、もっともロマンチックなのは、そうした悲劇さえも起こらないことである。」(『断片的なものの社会学』岸政彦 朝日出版社 2015年)

 

アウシュビッツ強制収容所にうず高く積み上げられた日用雑貨は、それがうず高く積み上げられる前の、個々の所有者の手元にある状態、つまり僕たちにとって「無意味なもののままであり続ける」状態こそが素晴らしいのではなかっただろうか。なぜならあれらの日用雑貨に特別な価値を付与しているのは、紛れもないホロコーストだからである。

 

ホロコーストと僕の個人的な交通事故の話を並列にするのはとてもおこがましいけれど、僕が「失われてしまった」と感じた未来は、「交通事故」によって存在することになってしまった未来である。あの事故を経験しなければ、「失われた未来」を意識することなんてなかった。意識することがないということは存在しないということだ。つまり、「そうした悲劇さえも起こらないこと」、そして「徹底的に無価値なもの」が無価値のままであることこそが、もっともロマンチックで美しいということになる。僕はこの意見に100%与する。

 

物語

「2016年の冬に交通事故に遭った。それからいろいろあって僕は会社をやめて旅に出た。あの時の事故があったから今の自分がある。苦しみも悲しみも全て今のためにあった。だからそのことにとても感謝している」。耳障りの良いお話だ。

 

確かに僕は今自分が置かれている環境にとても感謝している。けれどそのことと僕が交通事故にあったこと、うつ病になったこと、家族と疎遠になったこと・・・を短絡的に結びつけるわけにはいかない。「あの時苦しい思いをしたことには意味があったんだね。」というような言葉を軽々しくかけてくる人間を、僕は基本的に信用しない。

 

辛い出来事は辛い出来事であり、喜ばしい出来事は喜ばしい出来事である。それらを結びつけることによってある一つの物語を紡いでゆくことが人間の理性のあり方であるという事実を僕は認める。けれどそれは個々人の世界の認識の仕方に委ねられるべきものであって、他人が人に押し付けるものではない。

 

人間は、少なくとも僕は弱い人間なので、そこから始まる人生そのものを見ようとせず「交通事故」という出来事に意味をもたせようとしてしまった。そこに耳障りの良い物語を創出するために。だからリハビリを頑張った。僕たちの社会はそんな耳障りの良い物語を飽くこともなく生産し消費し続けている。そのような物語が物事の本質を見る目を曇らせてしまうことに無自覚なままに。

 

アウシュビッツを後にする時、あれほどしつこく振り続けていた雨はもうすでに上がっていた。あの赤レンガで囲まれた空間は、ただそこにあって、世界中から訪れる人々を受け入れていた。

 

あたり前のことだけれど、もうすでに起こってしまったことをなかったことにはできない。失われてしまったものの存在をありありと感じてしまうのは人間に与えられた優れた能力の一つだけれど、それを取り戻しに行ったり自分に都合よく利用したりしようとすることは厳に慎まなければならない。思い出すのも忌まわしいような出来事がある。生きていくということは、そうやってエンドレスに湧き上がってくる「ままならなさ」と折り合いをつけていくことだと思う。

 

そのようなままならなさに「良い・悪い」の価値を付与してしまうこと、そして数々の、思いもよらない出来事たちを無邪気に「物語」によって架橋すること。これらが「暴力」になりうる可能性を僕は考える。誰も傷つけず、誰からも傷つけられない世界は可能なんだろうか?他者と関わりを保ちながら、そんな世界を築き上げることは可能なんだろうか?

 

僕たちはその強制収容所がある世界に生きている。その強制収容所とはっきりと地続きの世界を生きている。そのような強制収容所が現に存在している世界の中に、僕たちは生まれ落ちてしまっている。

 

その事実とともに生きていく。そこから始めて、あらゆる価値判断や物語への誘惑を留保したままそこに留まりつづけることができるなら、少なくとも自分が直接触れることのできる小さな社会くらいなら、肌触りのいいものに変えていけるかも知れないと思う。世界のことを考えるのは、そこからずっとずっと先のことだ。社会を一気に肌触りのいいものに変えようとする企ては、必ず非人間的な手段を迂回するということを、他でもないこのアウシュビッツが教えてくれているのだから。

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osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。