【第4話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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2−3 オーストラリア・ケアンズ(グレートバリアリーフ)

人の生活を感じることができなかった街

ケアンズの海はどこまでも青く続いていた。空の青さがその青をより一層引き立てる。世界には本当に様々な種類の青がある。

一年以上旅をしたんだけれど、ビーチリゾートのようなところにはほとんど行っていない。

「日本にいたのに、沖縄行ったことないんですか?」
「メキシコ行ったのに、カンクンに行かなかったんですか?」

いろんな旅先で、いろんな旅人から「どうして海に行かなかったのか?」ということをよく聞かれたんだけど、興味がないんだから仕方がない。

いや、厳密にいうと興味がなかったわけではない。行きたくなかったのだ。

海を見て癒される、というのは多くの人に共有されるであろう感覚だと思う。(仮に海で癒されることがなかったとしても、例えば川の近くであるとか湖の畔であるとか、水が豊かにある場所の近くというのは心が落ち着くものである)。

だから旅の初めにオーストラリアに行くことを決めてから、世界最大級のサンゴ礁を有するというケアンズのグレートバリアリーフを旅の予定に含めることはとても自然なことだったし、そこを訪れることをとても楽しみにもしていた。

けれど僕はその時「一人で」そこを訪れなければならないということを完全に勘定に入れ忘れていた。

というよりも、一人であるということがこれほどまでに自分の心を損なっていくということに、旅に出る前の僕はあまりにも無自覚だった、と言い換えたほうがいいのかもしれない。

海は、少なくとも僕にとってはということだけれど、一人で行くようなところではない。

行った先で友達を作ったりできるような社交的な性格ならば、あるいはそういうのもいいのかもしれない(少し心身が疲れている時も、海を見に行くというのはいいのかもしれない)。

けれど僕はとてもではないけれど社交性が高いとは言い難い人間だし、一人というシチュエーションをずっとエンジョイできるほど孤独を愛する人間でもない。

まぁ身もふたもない言い方をすると、寂しがり屋なのに一人でいることは苦手なのだ。

我ながら随分と身勝手な話だ(これは僕が旅を通じて痛感することになる、僕の面倒な性質の一つである)。

 

ケアンズの街に一週間近く滞在してみてわかったことは「一人で海を見にいってもどうしようもない」ということだった。それ以外に、僕がケアンズの街で得た教訓のようなものは何もない。

とても綺麗な街だったし、空はいつも晴れていて、雨の気配のようなものもない。申し訳程度に時折さっと降る雨は、全く不快なものではなくて、乾いた大地に優しく潤いを与える恵みの雨である。

大気はいつも程よく乾燥していて、木陰に入ると大変過ごしやすくなる。

ちょっとした広場のようなところには、必ずと行っていいほどよく手入れされた芝生が敷き詰められていて、等間隔に植え並べられた枝ぶりの大きい木々が、心地の良い空間と、適度な木陰を提供してくれている。

海辺の広場。こういった場所が、ケアンズの街にはいたるところある。そういえば、この近くの動物園のようなところでコアラを抱っこした。

街は大きすぎず小さすぎず、レストラン、バー、スーパーマーケット、旅行代理店、そしてゲストハウスから高級ホテルまでの宿泊施設が碁盤の目のように整備された区画にとても効率よく並んでいる。

僕の滞在したゲストハウスはダウンタウンの中心からは少し外れたエリアに位置していたのだけれど、一週間足らずの滞在期間中、不便を感じることは全くと言っていいほどなかった。

そんなふうに計画的に整備された街は、観光で、数日訪れ過ごすには最適な街なのかもしれない。
けれどそこでは、「人の暮らし」のようなものを感じることはできなかった。

それが、この街の印象がとても薄い理由の一つであるように思われる。

旅は、どこに行くかではない。誰と行くかだ。

グレートバリアリーフの海はエメラルドグリーンに輝いていた。緑色の海というものをみたのはこの時が初めてだった。

二つ目は、やはり、この海の美しい街を一人で訪れてしまった、ということに尽きると思う。

旅は、どこに行くかではない、誰と行くかだ。

これは、僕が旅を通じて得たいくつかの教訓めいたもののうちの最も重要なものの一つである。

旅はどこに行くかではなく誰と行くか、であり、何を食べるかではなくて誰と食べるかであり、どこで過ごすかではなく誰と過ごすか、である。

旅における素晴らしい経験は、素晴らしい仲間と共有することでより素晴らしいものになり、辛い経験、苦しい体験は、仲間と協力することで、一人でそうするときよりもより容易に乗り越えることができるようになる。

僕は一年に及ぶ長い旅のほとんどの期間を一人で過ごした。そして、これは正直にいうのだけれど、僕にとっての旅は、愉しく心温まる経験よりも、辛くて、苦しくて、そして孤独な時間で満たされている。
旅は楽しいことばかりではない。人生が楽しいことばかりで満たされているわけではないのと同じことだ。

だから一人の辛さは(いくつかの例外を除いて)痛いほど理解しているつもりである。

それが、この連載のタイトルになってしまうくらい、旅における一人の辛さには精通しているつもりである。

一人の時に経験するネガティブな感情や出来事の数々は、それそのものが持つ否定的な側面よりもむしろ、「一人である」という状況によってもたらされ、強化される。

僕がここで改めていう必要もないことだけれど、人は一人では生きられない。

そんなことはない、という人もいるのかもしれないけれど、少なくとも「人間は一人で生きていくことができる。

他人と助け合う必要なない」というようなことを是とするような個人ばかりで構成された社会集団というものは、おそらく地球上には存在しない。

あったのかもしれないけれど、そういう集団はおそらく長い歴史の中で淘汰されていったはずだ。

だから、と言って良いのかどうかはわからないけれど、本当に数少ない、旅の仲間と過ごした日々は、旅を終えた今も僕の中で輝いている。

その思い出は、赤飯における小豆くらいの割合しかない(卑近な例でごめんなさい)のだけれど、そういう思い出があるからこそ、旅に出たことを後悔せずにいられるのだし、辛い経験について書くことができるのだ。

この美しい海を有するケアンズ、グレートバリアリーフを心からエンジョイできなかった理由。

それは、僕が一人でいることそのものをうまく楽しむことができない人間であり、そこがあまりに美しすぎる海を抱く美しい街であるがゆえに、一人でいることのデメリットが強調され過ぎてしまった、ということに尽きると思う。

最後の海

グレートバリアリーフの入り口「グリーン島」のビーチ。サマーベッドに横たわってしばらく海を眺めていた。

オーストラリアを訪れる前は、フィリピン・セブの語学学校で英語を勉強していた、というのは前述のとおりである。その時のバッチ・メイト(同期入学の同窓生)と週末に、一泊二日で訪れたボホール島が、40年以上生きてきた中で僕が見た最も美しい海だった。

白い砂浜と青く澄んだ海。色鮮やかな熱帯魚。

そういったものが実際にこの世界の存在するということを経験しないでこれまで生きていたということを後悔した。

大げさに聞こえるかもしれないけれど、そこを訪れた時の僕は本当にそんな風に考えていたのだ。

ただ、旅を終えた今、そのように鮮やかに彩られた旅の思い出は、あの時同じ釜の飯を食べ、共に励ましあいながら英語の学習に勤しんだ仲間と共にあったからこそのものだったんだと思っている。

彼らと一緒に過ごしたからこそ、どこまでも続くあのエメラルドブルーの海や真っ白な砂浜が、より鮮烈な色彩を伴って僕の心の中に繰り返し繰り返し思い出され、満天の星空はより美しく、瑣末な出来事さえも大切な思い出となって、僕の心をいつまでも満たし続けてくれるのだ。

グレートバリアリーフもまた、その海の美しさで言えば決してボホールのそれに引けを取るものではない。

海の美しさというものは、その場所によってその美しさが異なるものである(らしい)のだけれど、ケアンズの海は、その鮮やかさで、透明度の高い碧で、僕を楽しませてくれるはずだった。

けれどそこはやはり一人で行くべき場所ではなかったようである。海の青さも空の高さも色とりどりの熱帯魚も、僕の心に深く刻まれることにはならなかった。

もちろん、旅の序盤であったので、そんな理由に気付くはずもなく、どうして自分はこの美しい海を見てもこんなに心が動かされないんだろうと、自分自身の感性を疑うより他はなかったのだけれど。

海辺の気持ちいい芝生の広場に寝転がってみても、綺麗に整備された街を歩いてみても、心のどこかに薄暗い影のような、靄のようなものを感じながら過ごしていた。それは時間を「潰す」という表現がぴったりの、あまり建設的とは言えない時間の過ごし方だったように思われる。

日本での多忙な日々が未だ記憶の片隅にあった当時の僕は、それでもそうやって日がな一日何もせずに過ごしている自分からある種の満足感を得られていたし、そうすることに肯定的な意味を見出すこともできていた。

けれど、それはこの次に訪れる街、ニュージーランドのクイーンズタウンで感じた豊かな時間とはかけ離れた、どこかくすんで色あせた感じの否めない、正直に言えば少しだけ退屈なものだった。

そしてここ、ケアンズ・グレートバリアリーフ以降、僕は青い海を一度も見に行ってはいない。

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ABOUTこの記事をかいた人

osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。