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本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記【第10話】(前回)はこちらから。
4−3 ウシュアイア
世界で一番南極に近い街
海岸線に沿って広がる比較的狭隘な平野のそのすぐ後ろから山がせり上がっていく地形、というのが昔から好きだ。海に囲まれ、国土の70%が森林である日本という島国にあって、そこに住む僕たちの祖先は遥か昔から海に近く、山に沿って、その自然の恩恵を最大限に享受しながら生活を営み続けてきた。
だからなのかどうかはわからないのだけれど、そういう場所に行くとなんだか少しホッとする。僕は関西の人間なのでよそのことはよくわからないのだが、神戸などはその典型だろう。明治維新の頃には寒々とした漁村として少数の村人によって細々と生活が営まれていたようだけれど、もとは福原京があった場所、つまり日本の首都であった場所だ(もちろんこの当時「日本」と言う国家はまだ存在していない)。いずれにしても開国後の発展と日本経済に対する貢献具合をみてみれば、僕たちの祖先が有していた「土地」がもたらす恩恵についての洞察にはただただ驚くばかりである。
また同じ関西の紀州紀伊半島の太平洋岸などは、何度行っても心が癒されるものである。「熊野古道(大辺路)」として、古くから多くの人々に親しまれているというのもなるほど、頷けるのだ。霊験あらたかな熊野は、海の幸、山の幸の豊富な「純粋な自然の贈与」に溢れるパワースポットでもあったというわけだ。
「純粋な自然の贈与」と言えば人類学者、中沢新一氏の著作のタイトルでもあるのだけれど、その中沢氏によると私たち日本列島に住む人々は「半島」つまり海に向かって突き出した地形に独特の霊性を感じていたのだという。先の紀伊半島然り、恐山で有名な青森県の下北半島然り。パワースポット(という言葉はあまり好きではないのだけれど)として有名な出雲大社も、島根半島の、比較的海に近い場所に位置している。
10万年前にアフリカを出た人類の祖先が、僕たち日本人のような感性をもってこの南米最南端の街「ウシュアイア」に到達したのかどうかはわからない。南アメリカ先住民が、僕たちと同じような感性でこの南アメリカ大陸最南端の街を捉えているのかどうかもわからない。
けれど海岸沿いのとても狭隘な平野部から、アンデスの黒々とした山々がせり上がるようにそそり立つこの街に、何か特別なものを感じるのは人類共通の感性なのか、はたまたあるいは合理的な思考からなのか、ここウシュアイアは古くは「監獄の街」として、凶悪犯を収容するための施設とともに発展してきたのだそうである。海に面して屏風のようにそびえ立つアンデスの黒々とした山々を眺めていると、この場所にはある種の「凄み」のようなものさえ感じる。
そしてこの街は、地球上に最後まで残されていた人類未踏の場所「南極」に、世界で一番近い場所でもあるのだ。
ラスト・ミニッツ
僕の旅は比較的予定に縛られない勝手気ままなものとして始まったのだけれど、2月のこの時期にこの街を訪れることはずいぶん前から決めていた。南半球が夏になるこの時期は南極観光のベストシーズンである。
ここで二つの疑問を抱かれることになるのだろうと想像している。というのも、世界中のあちこちでいろんな人から「なんのためにウシュアイアに行ったのか?」を聞かれた時の答えとして「南極に行くために」と僕が言った時点で、次の二つの質問が間髪入れず飛んでくるという経験を何度もしたからだ。
一つは「南極って、行けるんですか?」というもので、もう一つは「どうやって行くんですか?」というものである。
前者については当然「Yes」と、後者については「船で」とお答えすることになる。
ウシュアイアの街には世界中から観光客が訪れる。目的は様々なのだろうけれどそのうちのいくばくかの人々は、この街から出港するクルーズ船を利用して南極大陸への上陸を夢見ている人々である。そして僕も、そのような旅行者の一人としてこの街を訪れたというわけだ。2月の、南米最南端のこの街が旅行者で賑わうとても短い夏の日だった。
とはいえ夜はやや冷える。ウシュアイアの空港に降り立ったのは夕方で、プエルト・イグアスからブエノス・アイレスを経由してのフライトだった。すでに日が暮れていたウシュアイアは日本の初冬を思わせる寒さだった。バックパックの底の方に追いやられていたウインドブレーカを慌てて取り出す。もう3ヶ月以上も暑い地域を旅し続けていたので、空港のロビーからターミナルの外に出た瞬間のあの身を切るような寒さやパタゴニア地方独特の強い風が今もとても印象に残っている。
空港からダウンタウンまでの乗り合いタクシーをみんなでチャーターしようと、30代くらいのヒッピー風の男性が、比較的アクセントの強い聞き取りにくい英語で声をかけてきた。空港内のタクシーカウンターはもう営業を終了していて、事前にホテルのピックアップや何らかの方法で移動手段を確保していた旅行者以外は流しのタクシーを利用せざるを得ない。僕を含めたそのような行き当たりばったりの旅人が数名、いつくるともわからないタクシーを、空港前のロータリーで、寒さに震えながら待っていた。
だから彼の提案はとても素晴らしいもののように思われたのだけれど、おそらく彼のガールフレンドであろうと思われる女性が、別の場所で違う乗り物をつかまえてきたようだ。結局その乗り合いタクシーの話も流れてしまって、仕方なく後に続くタクシーを待つより他になくなってしまった。
実は僕は事前に南極行きのチケットを持ってこの地を訪れたわけではない。
単にこの街の港から出航する船に乗船するためだけに、僕はウシュアイアを訪れたわけではなかった。この街に数ある旅行代理店をくまなくまわって、南極船のチケットを「ラストミニッツ」を利用して手に入れること、それが最大の目的だ。
ラストミニッツは、出港直前まで売れ残ったチケットを本来の金額から値引きされた金額で(うまくすれば半額以下で)手に入れることができるシステムだ。
当然不便なことも多々あって、例えば自分の希望するツアー会社や船室などを自由に選択することはできないし、出発の日程も売れ残っているチケットの中から選ばなければいけないので自分が希望する日に出港できるとは限らない。
それでも僕のように時間が(当面は)無限にあって、できる限り出費を抑えたい向きの旅人にはおあつらえ向きのシステムである。だからこの街には特に予定も決めず、ラストミニッツが手に入るまで滞在しようと決めていた。ただしこの後新月のウユニ塩湖を目指して北上する必要があったので、タイムリミットがないわけではなかった。運良くラストミニッツをゲットできればいいのだけれどそれができるかどうかは神のみぞ知る、である。
昔と違って、現代はインターネットが普及している。したがってラストミニッツの入手方法も様変わりしていて、今では複数の旅行会社にオンラインでアポイントメントをとって適宜情報を提供してもらいながら自分が折り合いをつけることのできる金額のラストミニッツが出た時点でオンラインで一気に決済まで済ませてしまうという方法が主流になっている。
それに伴ってなのかはどうかはわからないけれど、南極クルーズの価格自体もずいぶん高くなっているそうだ。
僕がオークランドのゲストハウスで出会った50代くらいの女性の話によると、昔(10年以上前)はラストミニッツを利用すれば3000ドルくらいか、あるいはそれ以下で南極に行くことができたそうである。
実は僕も、オーストラリアにいた時からすでに、比較的評判がいいという旅行代理店2社と、コンスタントに連絡を取り合っていた。ただ金額的なところが折り合わず、ギリギリまで粘ってみて最悪の場合現地で代理店に飛び込んで相談してみようと考えていた。2月は南極のベストシーズンで、僕が訪れた時期は中国の春節(旧正月)にあたる。したがって旅行会社も結構強気で8000ドル(!)を切るか切らないか、というあたりが相場だった。
最終的に僕が契約にこぎつけたのは出港の5日前、ウシュアイアに到着した次の日の夜で金額は6000ドルだった。この1ヶ月後くらいに南極を訪れたという僕の仲間が同じ会社のラストミニッツを5000ドルで購入したというので、あるいは少し焦りすぎたのかもしれないけれど、その前の段階のやりとりがあったので僕としてはまずまず満足のいく金額で決済できたと思っている。そして南極から帰ってきて一年以上経った今も、この時の出費を高いとは全く思ってはいないし、後悔も全然していない。
最高のご馳走
そんなわけなので、この街には5日間滞在することを余儀なくされたわけなのだけれど、僕にとって今回の世界一周の旅で訪れた街の中でウシュアイアは最高の街の一つだった。前述の通り、海に沿って山に近い場所というのは僕の心をとても穏やかにしてくれる。
車もまばらで、街の中心から少し離れたところで牛や馬が草を食む。ウシュアイアには自然がふんだんに残っていて、空気がとても澄んでいた。終始吹き続ける強い風もまた、この地方の空気を清浄に保ってくれているのだろう。ゲストハウスも清潔でこざっぱりとしていてなかなか快適ではあったのだけれど、僕はほぼ毎日終日外出して海や山を眺めながら過ごしていることが多かった。
ゲストハウスの近くのスーパーで購入した安価な食材でサンドイッチを作り、ワインと一緒に海や山の見える場所まで持って出かけてのんびり過ごす。もちろんお金を出せば美味しいご飯はいくらでも食べられる。けれどその時の僕にとって、海が見える丘の上の草むらに直に座って食べる数百円程度の出費でこしらえたサンドイッチとワインは、どんなレストランでも供されることのない最高のご馳走のように思われた(アルゼンチンはチリに匹敵するクオリティのワインをチリよりも安価で購うことができる天国のような国である)。
このまま次の街に移動したとしても、十分に素敵な思い出として、ここウシュアイアでの滞在を振り返ることができていただろう。
けれどやはり、この後訪れた南極大陸の印象は圧倒的だった。うまく書くことができるかどうか甚だ自信がないのではあるけれど、次回はそのことについて書いてみようと思っている。
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