【第26話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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 メキシコ

物乞い

オアハカに向かうバスは僕が宿泊していた日本人宿から路線バスでおよそ30分ほど走った場所にある北バスターミナルから出発する。メキシコシティにはいくつかのバスターミナルがあって、目的地によってそれぞれ出発地のバスターミナルが異なる。僕の次の目的地であるオアハカはメキシコ南東部の街で、バスは23時59分発の深夜便である(もちろんここはメキシコであるので、時間きっかりにバスが出発するはずはない)。ターミナルはとても整備が行き届いていてちょっとした空港よりもファシリティは充実している。長距離バスでの移動が一般的なメキシコならではである。

 

出発ロビー付近のドーナツショップでチョコレートがかかった少し甘めのオールドファッション・ドーナツを一つとエスプレッソを購入し、フードコートのテーブルに座ってバスの出発を待った。物乞いが何度か僕の所に来てスペイン語で何か言った。海外で物乞いを見ることはそんなに珍しいことではないけれど、ある程度旅慣れて海外の生活に馴染んできた今もまだ、僕はどのような顔をしてどのような言葉をかけ、どんな風に彼らに応接すればいいのかわからない。

 

人が集まるところで出会う彼ら彼女らは、その灰色にくすむ何ものをも映さない淀んだ瞳で表情を変えずにひたすら金銭を要求する。僕も表情を変えず、時折ただ首を横に振る。そこにはいかなる感情も、情緒的なやりとりも存在しない。こちらはただ相手が一刻も早く僕の前から立ち去ってくれることを願い、相手はただ僕がポケットから小銭を取り出すのを待つ。

 

そういう無言の非情緒的やりとりのあと、僕の心は所在無くぼんやりとその辺りに佇んでしまうのだ。この時もそうだった。それまで読んでいた本にも身が入らないし、さっき購入したばかりのドーナツを食べる気にもならない。席を立ってターミナル内を少しぶらつくことにする。所在無くその辺りをぼんやりと漂うことになった僕のうつろな心みたいにあたりを彷徨う。

 

深夜になろうとする時間帯であったにも関わらず、ターミナルは大きなカバンやスーツケースを抱えた人でごった返していた。きっとある人は束の間のバカンスを楽しみ、ある人は故郷に帰るためにここにいるのだ。故郷に帰る。先日日本に帰国することを決断したその時の僕にとっては、日本は故郷であって故郷ではなかった。当てもなく日本に帰る。当てもなく旅立った半年前と同じようにもう一度、寂しさから逃げ出すのだ。

この時点での僕は、あの時メキシコシティの北バスターミナルをぼんやりと彷徨った時のように、世界を、南米を、ただ放浪していただけだったということになる。

 

 

オアハカ

オアハカで見つけた雑貨屋さんの庭先。こういう場所が山ほどあるのがオアハカ。女性に人気なのも頷ける。

オアハカはメキシコ南東部の太平洋岸の州である。東のチアパス州の隣はグアテマラで、この街を拠点に中南米・カリブ海地域を移動するという旅人にちらほら出会った。そのうちのいくばくかの人々はスペイン語を学ぶためにここオアハカかグアテマラにまとまった期間滞在するようだった。

 

オアハカのバスターミナルから東に向かうバスに揺られることおよそ12時間でお隣のチアパス州サン・クリストバル・デ・ラス・カサスという魅惑的な古都に辿りつく。ここは僕が村上春樹さんの旅行記『近境・辺境』を読んで以来一度訪れてみたかった場所だった。そのまま東へ抜ければユカタン半島。メキシコ湾そしてカリブ海が目の前に広がる一大リゾート地カンクンはこのユカタン半島の北東の先端部に位置している。目と鼻の先にはキューバ。ここから南に足を伸ばしてベリーズ、そしてブルーホールを訪れるのも旅人にメジャーなルートということになる。

 

しかしながら次のキューバ行きを前にして、僕はこのオアハカ州の州都オアハカで軽く足踏みすることになった。サン・クリストバル・デ・ラス・カサスにもいかずベリーズにも行かず、ここオアハカに留まった。いろんな理由があるのだけれど、一つは単純にここの居心地が良かったからだ。

 

「たなばた」は清潔な設備とオーナー夫妻の手作り料理が自慢の日本人宿で、多くの旅人がここでまとまった期間過ごしているようだった。ある人はここオアハカのソカロ(街の中心広場)付近で販売されている色あざやかな雑貨を買い付けに来ていたし、ある人はここを偶然訪れてここを気に入り、ある人はオーナー夫妻の人柄に惹かれて人づてにここを訪れているようだった。

 

いずれにしても僕はこの時あまり移動したくなかった。ソカロ付近の歴史地区を毎日散歩して、昼になれば広場のカフェで冷たいビールとオアハカチーズがたっぷり入ったサラダを注文して食べた。バランスの取れた、美味しい朝食と夕食がついている宿だったので(それが人気の理由のひとつなのだ)夕方までには一旦宿に帰ってシャワーを浴びて、夜はリビングのソファに座って音楽を聴いた。大体はビル・エバンスのピアノを聴いて、たまにティナ・ブルックスを聞いた。メキシコでビル・エバンス。随分な選曲だ。グアナファトではキース・ジャレット。この時の僕の精神状態を反映しているような、とりとめのないちぐはぐで一貫性のない音楽のセレクトである。

 

この宿でも、あまり他の旅人とは話をしなかった。いつものことといえばいつものことなんだけれど、この時は特に話をしたくなかった。今後の予定を聞かれるのが嫌だったのだ。キューバに行って、それから5月末くらいまでを目処にエクアドルに向かう。それから日本に帰る。それが大まかな今後の予定だった。お仕事はお休みなんですか?いや、もう退職して世界一周をしています。世界一周なのに一時帰国?旅人には何かと理由を尋ねられる。旅をする理由。一人で旅をする理由。そして帰国する理由。

 

旅人に限らず、人は何かと僕に理由を尋ねる。ソーシャルワーカーになった理由。家族と疎遠である理由。友達が少ない理由。彼らにとって、それらの「理由」がどれほど大切だっていうんだろう。なんらかの状況に明確な理由を述べなければならない理由がどこにあるというんだろう。帰りたいから日本に帰る。それだけだ。帰ったって寂しいことには変わりないのは自分が一番理解している。

オアハカ。サント・ドミンゴ教会の前の広場に来ていたアイスクリームやさん。

今となってはこの一時帰国の決断は決して間違いではなかったということができるのだけれど、この時の僕にとってそれはちょっとした挫折のようなものを意味していた。なんらかの事態が生じた時、それに向き合い克服するという行為以外は僕にとっては全て「逃避」−つまり逃げることを意味していたし、旅を通じてそのような逃避それ自体から目をそらし続けていた自分自身についての洞察がいくらかは深まっていた時期だっただけに、孤独を理由に帰国するということに対する自己嫌悪もそれなりに大きかった。

 

ネガティブな経験から得られる教訓は大きく、それらは時に成功体験以上に成長の糧となる。頭ではそういうことはわかっているのだけれど、実際にそのことを自分自身の身体に落とし込んで理解できるようになってきたのは旅を終えた後のことである。この時点での僕のそれは自己洞察という一番辛い作業を欠いたものだった。そんなものは言ってみれば悪しき経験主義みたいなものだ。自分の経験からしか人間は何事かを学ぶことはできないし、また成長することもできないのだというのは僕のような人間においては傲慢以外のなにものでもなかったと思う。なにせ内省や自己洞察を欠いているのだ。いつだって愚者は経験に学ぶのだ。

 

しかしながらこのあと訪れたオアハカで、僕のそんな帰国に対する否定的な感情に少しだけ風穴を開けてくれたのが何を隠そう前述のこの日本人宿のオーナーさんだった。こういう旅の偶然というか機縁のようなものには本当に驚かされる。絶妙のタイミングで絶妙の人物に会うのだ。

ただ、残念ながらその時はその出会いがそんなに大きな意味を持つことになるとは気づいていない。多くの出来事それ自体は常に断片的でとるにたらないものであり(僕の勘が単に鈍いだけなのかもしれない)、時の流れや自分史的な文脈において事後的に意味を帯びてくることが多い。あの時の出会いもまたそのようなものだった。

 

Embrace the shake

オアハカ大聖堂の近くの並木道。カラフルな街並みが有名なオアハカですが、こういう風景もあります。

先日今僕が生活しているセブで、僕の尊敬する大好きな仲間が素晴らしいイベントを開いてくれた。「仕事」について参加者各自の辛い経験を語りシェアするというイベントである。相手はフィリピン人、ベトナム人、中国人、そして日本人だ。つまり英語を使ってコミュニケーションをとることになる。そういうイベントだった。

 

そのセッションの中で、神経に障害を負ってしまい手の震えが止まらなくなった、フィル・ハンセン(Phil Hansen)という芸術家のスピーチ動画をみた(これももちろん英語、サブスクリプションも英語である)。スピーチのタイトルは”Embrace the shake”「震えを受け入れる」。彼は自身に降りかかった「手の震えが止まらない」という神経障害を乗り越えずに「受け入れる」ことによって新しい創作の境地を切り拓いていったという

 

僕の拙い英語力では動画も含めてその内容について行くのがやっとで、そこでやりとりされた奥深くて抽象的なアイディアを理解し議論にきちんと参加することはできなかったけれど、あの場で僕を含めた各国の参加者が共有した感覚は、僕がオアハカでおぼろげに理解した「ほとんど全ての出来事それ自体には意味がなく、意味は文脈依存的であるという」事実のある一つの側面をクリアに照射してくれていたように思う。大切なのはある一つの出来事を「意味づけること」ではない。その事実を、良いものも悪いもの含めて受け入れて「抱きしめる(embrace)」ことなのだ。

 

辛い出来事がある。そこからどうしても目を背けてしまう自分がいる。なかったことにしてしまいたい。これを書いている少し前にもそんな出来事があって、いまも時々そのことを思い出して気持ちが滅入る自分がいる。けれどそのような出来事がこれから先の人生でどんな意味を持つことになるかなんていまの僕には分かるはずもない。ならばそれを一度、自分の弱さと一緒に抱きしめてしまえばいい。そこから始まる何かがきっとあるはずだ。少なくとも目をそらし続けるだけでは決してなにも始まりはしないのだ。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。