【第31話】本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記

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 リスボン・ポルトガル

My favorite countries

サン・ジョルジェ城にて。

「世界一周でどの国が一番良かったですか」というのは最もよく尋ねられる質問の一つだ。正直なところをいうとどの国にも優劣がつけがたい。だから「全部です」というのが一番誠実で正直な返答ということになる。

 

それぞれの国にはそれぞれの国の良さがあって、そこで経験する出来事も多種多様である。考えてみれば当然のことだ。どの人と行ったかとか食事が美味しかっただとか、人に親切にしてもらったとか強盗にあったとか。そういった経験に左右されてその国に対する印象はいくらでも変わる。いわゆるモノサシの数は無限大なのだ。

 

ただ、当然尋ねる方は僕にそんな屁理屈を期待しているわけではない。最初はそういう質問に答えるのが難しかった。だって全部良かったんだから。という訳でアメリカが良かっただとかメキシコだとかスペインですとか、最初のうちはその時の気分で答えていた。けれどさすがに何十人もの人から同じ質問をされるようになると、その都度思いつきで返事をするのがなんだかデタラメなような気がしてきて、だから僕は次第に答えを用意するようになっていった。「一番良かったのは南極です。でもあそこは別格なので、一番はアイスランドになります。」というのが冒頭の質問に対する僕の答えの定型文だ。

 

そこでアイスランドに興味のある方となら話は弾むのだけれど、「アイスランド」という答えを期待していない人の方が世の中には多いというのが僕のささやかな経験則の一つでもある。そのような人たちには自分が行きたいなと思っている国があったり以前ご自身がそこに行かれたことがあって、僕の口からその国の名前が出てくることを期待しておられるのだ。だから景色が一番綺麗だったところ、食べ物が一番美味しかったところ、南米のベスト、アジアのベスト、といったように複数のマイ・フェイバリットを用意しているのだけれど、ヨーロッパに関しては、僕は「ポルトガルです」とお返事することになる。ただ、その理路は少し複雑で偏っている。

 

 

謙虚な街

リスボンの赤い屋根の街並みとテージョ川

随分前置きが長くなってしまったけれど、ポルトガルは本当に素敵な国だ。といっても僕が滞在したのはリスボンで、期間は1週間程度である。前回のニューヨークには2週間滞在したのだけれど、やっぱりその土地の印象について何か具体的なことを述べようとするなら最低2週間から1ヶ月くらいはそこにいなければいけないような気がする。それでもポルトガルが良かったと言える理由の一つは、あの国がおそらく僕も含めていろんな人に受け入れられる要素をバランスよく兼ね備えていると思うからだ。よほどのことがない限り、ポルトガルに行って後悔しましたという人はいないと思う。あまり行ったという人に出会わないのでよく分からないのだけれど。

 

ポルトガルは何と言ってもまず街並みが可愛い。坂の多い街に数多くの歴史的建築物が肩を並べて寄り添うように立ち並んでいてしかも統一感がある。その中をトラムという路面電車が駆け巡る。古い建物をリノベーションして利用することは最近になって日本でも主流になってきたけれど、ここリスボンを含めたヨーロッパの建築物は基本的に何百年単位で使用することを前提に造られているのだろう。とても自然に現代的な感性にフィットしているし、現代の建築やデザインもそういった伝統をうまく取り入れながら進化しているのか、両者が共存することはあっても競合することがない。もちろん僕は建築に関してはズブの素人なのでもし違っていたらご容赦ください。

 

トラム。可愛い街並みを走り回る。

「サン・ジョルジェ城」のような見晴らしの良い高台に上るとよくわかるのだけれど、リスボンの街の屋根は赤色で統一されていて美しいテージョ川とその向こうに広がる大西洋の青が同時にその視界に収まるようになっている。まさに絵に描いたように美しい風景だ。というよりもヨーロッパの街は常に絵に描かれることを前提にしてデザインされているのではないかと思うくらい俯瞰的な視点を備えている、つまり高い場所から見下ろしたときの見え方を意識しているように思われる。それがいわゆる「神」の視点を意識したものなのか、浅学の僕には知る由も無いけれど、何れにしても地べたを這いずり回って生きているだけでは絶対に意識することのできない視点が、風景がそこにはある。

 

そしてここが一番重要なのだけれど、そんなヨーロッパの絵葉書的風景の中にあって、ポルトガルのそれは「押し付けがましくない」のだ。例えばフランス・パリの「凱旋門」の上に登ると、そこから放射状に広がる何本もの通りを目にすることができる。正面の大通りがシャンゼリゼ通りで、そのシャンゼリゼ通りのはるか向こうコンコルド広場があって、その奥にルーブル美術館、というのがいわゆる僕のいう「押し付けがましさ」である。あるいはベルリン・ブランデンブルク門の古典主義様式の建築とパリ広場のそれや、バルセロナのエスパーニャ広場とその向こうのモンジュイックの丘も、そういう押し付けがましさをまとった風景ということになる。

 

もちろんポルトガルもヨーロッパなのだけれど、そこにあるのは他の国々のそれに比べて全てにおいて少しずつ控えめで謙虚な佇まいである。そういうのは日本人好みするのではないだろうか。リスボン大聖堂もコルメシオ広場もジェロニモス修道院もベレンの塔も、いずれも歴史的に重要な遺産であるにもかかわらず、どれだけそこで長い時間過ごしていても「疲れない」。圧迫感がないのだ。かといってすぐに飽きてしまうかと言われれば全然そんなこともなくて、長時間滞在してもそんなにしんどさを感じない。これはヨーロッパにあってはなかなか得難い経験だと思う。

 

栄枯盛衰は世のならい

ユーラシア大陸最西端「ロカ岬」

7月のある晴れた日、ヨーロッパ大陸、もといユーラシア大陸最西端の「ロカ岬」に行った。僕が宿泊していたゲストハウスの近くに「ロシオ駅」というターミナル駅があって、駅舎はちょっとした建築である。始発駅であるその駅から40分程度で列車は「シントラ駅」に到着する。そこからさらにバスに乗り換えてロカ岬を目指すのだ。その日は晴れで、というかポルトガル滞在中は終始晴れていたのだけれど、僕は朝早く目が覚めたこともあってちょっと足を伸ばしてみる気になった。市内の観光で十分満足していたけれど、アメリカ大陸の南の端を経験した僕は、やはりユーラシア大陸の「端っこ」にも行ってみたかったのだった。

 

ロカ岬もまたよく晴れていた。けれどリスボンの市内と違って風が強く、しかも大西洋からのそれはとても冷たかった。きちんと上着と持ってきていなかったのであまり長居はできなかったのだけれど、眼下に広がる大西洋は空の青を映して光り輝いていた。比較的穏やかに見えるその海を500年以上前、数えきれないほどの船乗りたちが富と名声を求めて航海したのだ。そのうちのいくばくかの人々は成功を収めて、ポルトガルを当時のスーパーパワーへと押し上げた。

 

けれどいまのポルトガルの国際的なプレザンスの低下を象徴しているかのように、かの国の栄光の歴史を想像することはちょっと難しいと言わざるを得ないような殺伐とした風景が、ユーラシア大陸の西の端には広がっていた。ここポルトガルでは「兵(つわもの)どもが夢の跡」は夏草ではなくて殺伐とした断崖絶壁の向こう側に広がる外洋なのだ。

 

三代の栄耀一睡のうちにして。芭蕉が「奥の細道」を読んだ時、ポルトガルはすでに海洋帝国の座をイギリス・オランダに奪われつつあった。栄枯盛衰は世のならいである。そうして今ではヨーロッパの西の端にちょこんと佇むようにしてあるポルトガルに、僕のように何らかのシンパシーを感じる人は少なくないのではないか、旅を終えた今そんな気がしている。

 

 

成熟の国

ベレンの塔。世界遺産。

ポルトガルに限らず、ヨーロッパの先進国というは「老い方」が上手いなと思う。かつて「太陽の沈まない国」だったスペインもイギリスも、ここポルトガルのように破竹の勢いで国土を拡大していった時代があって、そして時代の流れに応じてそれらを少しずつ手放していった。若者だった時代の苦い経験や目を背けたくなるような過去が人間誰しもにあるように、国家にもまたそれらを受け入れて統合してゆくことが困難であると思われるような過去がある。僕は世界史には全然詳しくないけれど、ヨーロッパの国々というのはそのような歴史を「加害者」の立場から受け入れることに概ね成功しているように思う。

 

僕ももう40歳を超えて、これからは何かを手に入れることよりも手放すことの方が多い年代になった。もちろん生涯かけて「成長する」ことの尊さは認めるけれど、同時に「成熟」ということも考える必要がある年齢に達しているという気がする。そして僕においては「成熟」は「手放すこと」とだいたい同じ意味なのだ。それは「あきらめる」という感覚に近いのかもしれない。欲しいものを欲しいだけ手に入れたいと思うこと、そしてそれを明確に行動に移すことはある種の若者の特権だと思う。「夢を追いかける」というのは、そんな欠乏感を埋めようともがき続ける人間の振る舞いの、ある一つの側面のことを言うのかもしれない。

 

もちろん僕だってまだ夢はあるし、それを追うことを自体を諦めるつもりもない。けれど同時にいろんなものを少しずつ手放している自分がいる。僕の中にある残り少ない「余地」にスペースを、空白性を与えるために。

 

そんな風にして得られた空白性のなかにそっと忍び込んでくるものがある。それがいいものであるか悪いものであるかは分からない。真善美の基準は極めて文脈依存的だし、それらをうまく言語化して伝えることができるほど、僕は日本語が堪能であるわけでもなければ成熟しているわけでもないのだ。

 

いずれにしても、そのようにして手に入れることになった、空白性によって僕にもたらされたものに、いまの僕は大体満足している。時々襲ってくる寂しさはとても苦しいものだし、自分の手持ちのリソースの絶望的な少なさに嫌気がさすことだってある。もっと頭が良ければと思う、もっとお金があればと思うこともある(下世話な話でごめんなさい)。

 

実際にそれらを求めることはもう難しいのかもしれない。悲しいことだ。けれどそれらを求めることを止めてみることで逆に得られた何ものかを思うとき、ポルトガルの町の美しさがちょっとした僕の心の慰みになるような気がしている。現在のポルトガルのGDPはいかほどのものだろうか。国際社会における今のポルトガルのプレザンスはいかばかりのものだろうか。僕にはよく分からないけれど、それは身もふたもない言い方をすればあまりぱっとしないものであるはずだ。

 

その代わりに、と言っていいのかどうかは分からないけれど、ユーラシア大陸の西の端に、このような美しい街並みとともに佇んでいる小さな国ポルトガルは間違いなく愛すべき場所であり、愛されるべき場所であると思うのだ。派手さはないしこれと言った観光スポットもない、世界中の人が知っているような名物料理があるわけでもなく、ポルトガル語はマイナー言語である。でもここを訪れる人はきっと何らかの満たされた気持ちを持ってこの国を後にすることになると思うのだ。

 

そんな小難しいことを考えなくても、この街はやっぱり可愛いし、ほかのヨーロッパの国に比べて物価は少し安めで、ポートワインはなかなかの美酒である。全てにおいて平均点をバランスよく上回っている国。それが僕がポルトガルをお勧めする理由である。

サンタ・ジュスタのエレベーターの展望台から見たリスボン市街地。中央はロシオ広場。

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osugi

2016年11月から約400日間、世界を旅してまわっていました。 現在は旅を終えて、フィリピン・セブ島の旅人たちが集まる英会話スクール「Cross x Road」で、素晴らしい仲間に囲まれながら、日本人の生徒さん向けに英文法の授業をしつつ、旅に関するあれこれを徒然なるままに書く、という素敵な時間を過ごしています。