こんにちは。
今回は連載企画「”魂が震える”世界史の授業」の第二回目です!!
【連載!”魂が震える”世界史の授業】とは・・・
この連載企画の主人公は・・・元世界史教師のまえてぃー。
世界史の先生をしていた時、ふと思いました。
世界史の教科書って、教科書じゃなくガイドブックとして使ったら最強じゃない?
- 世界地図は載ってる。
- 今では世界遺産になってる場所がたくさん載ってる。
- 何より先人たちの歩んだ道のりがスゴかった!!
そして、ただ今、教科書片手に世界周遊をしています。そんなわたしが、ゾクゾクっと来た・・・まさに”魂が震える”ほどの衝撃を受けた場所について授業をするのがこの連載企画!!
第一回目は、カンボジアのアンコールワットでした。
【連載】生きる活力を感じよう!まえてぃーが教えるアンコールワット
わたしがどんな人か詳しく知りたい方はこちらを見てみてください!!
「ぼうけんをはじめますか?」
「はい!!」
目次
まえてぃー、カンボジアの首都プノンペンに着いた
こんにちは!
旅での歴史は出会い、歴旅中のまえてぃーです。
今回は前回に引き続き、カンボジアです。
急速な経済発展中のカンボジアは世界経済成長ランキングでは堂々の第7位(日本は155位)。※GLOBAL NOTE2016参考
その首都「プノンペン」
高層ビルやおしゃれなカフェも立ち並び、生活は活気に満ち溢れています。
今回の”魂が震える”場所ってどこ?
早速ですがみなさん、こちらの写真をご覧ください。
どうですか??
とても穏やかな昼下がりという印象でしょうか。こんな場所で読書でもしながらコーヒー飲むとかしてみたいですよね。
でも、実はこの場所こそが、今回の主人公。
カンボジアが経験したとてつもなく大きな負の遺産。「キリングフィールド」です。
まえてぃーの“歴旅”。キリングフィールドで、『魂が震えた!!』
みなさんは“嘘つき”って言われたらどうします??
また、“お前がやったんだろう”って言われたらどうします??
もし、事実であれば謝ったり、または言い訳とかをするかもしれません。まえてぃーもたくさんしてきました。
でももし間違ってたら??
自分は何も悪いことしてないのに決めつけられたら??
きっと反論したり、怒ったり、悲しんだり、恨んだり、無実を証明したりするんじゃないでしょうか。
ここ、「キリングフィールド」は、そんな言われもない罪を着せられ、弁解の機会も与えられないままに殺されていった人たちの無念の思いを受け継ぐことが出来る場所です。
キリングフィールドでいったい何があったのか!?
カンボジアでは1975年~1979年の間、国家による国民の大量虐殺の歴史がありました。
しかも同民族によって。
当時800万の人口に対し、300万人の国民が殺されたのです。
今回ご紹介する歴旅ポイントは、正直行っても全く楽しくない場所です。むしろ心が苦しくなるかもしれません。
でも、耳をふさぎ、目をそむけたくなるこの現実と向き合った時、
きっとあなたの魂が震える。
そして感じる“生の力”。
生きる勇気と責任を、私たちはこの場所から受け継ぐことが出来ると信じています。
「キリングフィールド」=「殺しの場所」が作られてしまった背景
この「キリングフィールド」は、首都プノンペンからトゥクトゥクで30分ほどの郊外にあり、往復チャーターして10ドルくらいでしょうか。まえてぃーはかなり長い時間(3時間ちょっと)滞在させてもらったのでお礼もかねて12ドル払いました。
このキリングフィールドについてお話しする前に、簡単に当時のカンボジアの歴史について知っておきましょう。
第二次世界大戦で日本が負けた後、カンボジア独立
カンボジアは古くからフランスの植民地でした。それが第二次世界大戦中、私たち日本がフランスを追い出し、カンボジアを統治し始めましたが、敗戦により撤退。
再びフランスが植民地化しようとしましたが、当時の王様「シアヌーク」を筆頭にフランスに立ち向かい、ついに1953年、カンボジアは社会主義国として独立を果たしました。
世界を取り巻く冷戦時代
当時、世界では冷戦の真っ最中。
冷戦とは、資本主義(自由に稼げ!貧富は生じるが責任は君だ!)を掲げるアメリカと、社会主義(利益はみんなで平等に!どんだけやっても平等が大事!)を掲げるソ連(今のロシア)が
お互いに爆弾をぶっ放すとかではなく、軍事力や科学力、宇宙開発などでどちらが世界のリーダーかを競い合っていた時代のことです。
これだけ聞くと、さほど問題とは思いませんが、お互いの力を誇示するため、核兵器が大量に生産されたのもこの頃です。
そして冷戦時においてもう一つ忘れてはならないのが、勢力の拡大競争です。
「世界地図」ってみなさんみたことありますよね。
ロシアのデカさってすごくないですか??ユーラシア大陸のほとんどを飲み込めるんじゃないかってくらいですよね。
そして、大きな海(太平洋)を挟んでアメリカ。陸続きにはカナダとメキシコしかありません。
- もし、ソ連がユーラシア大陸をぜーんぶ自分の仲間にしたら??
- アジアも中東もヨーロッパのそれぞれの各国もソ連の仲間になったら??
アメリカとしては面白くないわけです。
だから遠く離れたアメリカは、第二次世界大戦を終えて焼野原になっていたヨーロッパの国々(主に西側)を援助したり、アジア各国の政治の在り方にも介入してきました。
まぁよその国からすると、せっかくお気に入りの服を着て生活してたのに、いきなり知らんおばちゃんに“そんなん似合わん、こっちの方がいいから”って無理やり変えられたって感じでしょうか。
着せ替えくらいならどうってことないですが、「言うこと聞かなかったら戦争だぞ」ってことなので、そりゃあヒヤヒヤします。
そんなアメリカと徹底して戦っていたのがカンボジアのすぐ横の国、「ベトナム」です。
ベトナムとアメリカの戦争をベトナム戦争(1955-1975)と言い、詳しくは次回の歴旅でご紹介します。
殺人組織、クメール・ルージュの登場
カンボジアとベトナムは日本のような島ではなく、大陸で繋がっているので、ベトナムで戦争が起こっていると言ってもカンボジアにも被害はあるわけです。
しかも、独立を果たした時、カンボジアが選んだ土台はアメリカの反対の社会主義。アメリカとしてはアジアでソ連の仲間の社会主義の国が増えたら面白くありません。
ベトナムとの国境付近に位置するカンボジアの農村地帯にもアメリカの空爆があり、多くの人が亡くなっていきました。そしてベトナム戦争が終結しても、カンボジアは混乱を極め内戦状態。貧困や飢餓も合わさって、国民たちは疲弊しきっていました。
そこで現れたのが「クメール・ルージュ」という共産主義を掲げた政治組織です。
クメールはカンボジア人のこと、ルージュは共産主義のイメージカラーの赤。だからクメールルージュと言います。
そして、そのリーダーの名がポルポト。
彼はフランスに留学経験があったり、強いリーダーシップを発揮し、まさしく国民にとっては希望、でした。人々は新しい政権に歓喜します。
これで平和になる。これでご飯も食べられる。これで夜も眠れる。と。
しかし、カンボジアの人たちにとってこれは悪夢の始まりでした。
クメールルージュが掲げていた政策は徹底した「原始共産主義」でした。
クメール・ルージュが求めた理想は、原始時代だった
経済なんて必要ない。
経済があるから競争が生まれ、争いが起こる。
利益は個人のものではなく国家のものとし、全ての階級も廃止。
つまり、農業のみで国を成立させ、農民こそが真の国民という考え方です。
原始時代に還るという感じですね。
そしてそこには知識を持つ国民は必要ない。
なぜって?
「農民こそが真の国民」であり、知識を持つ国民は争いを呼ぶ。だからいらない。むしろ危険人物。
じゃあ今いる知識を持つ人々はどうするの?
・・・
“殺せ(処刑すれ)ばいい”
次々と逮捕されるカンボジアの知識者たち
首都プノンペンに拠点を置いたクメールルージュは住んでいた市民を地方の農村部に追い出し、農業という強制労働に従事させます。もちろん逃げないように監視付きで。
そしてその中から知識を持つ人々を選別し、別の場所に連れていきます。
知識を持つも人々とは主に公務員、教師、医者、法律家など、国づくりに物を言いそうな職業の国民のことを言い、片っ端から捕えていきます。
が、罪もないのに処刑することは出来ないので、『無い罪をあるものにするため』に、まずは徹底した取り調べを行います。
その場所が、「トゥールスレン虐殺博物館」です。
トゥールスレン虐殺博物館に行ってみたら、そこは学校だった
元・高校で行われるおぞましい拷問
トゥールスレンで行われたのは取り調べという名の拷問。罪を疑われた段階で“決定”しているのですから、あとは本人に認めさせるのみです。
収容された人数はおよそ20000人。うち、この場で死ぬこともなく、処刑場に送られることなく、生きて出てこれた人数はたった14人でした。
元々は子どもたちが通う高校でした。
ここに連れてこられた知識人やその子どもなどの家族(共犯とみなされる)は、連行され、尋問という恐ろしい拷問を受けました。
- FBIのスパイだろう
- 政権に対して不満を述べただろう
- 仲間がいるのだろう
など。
動けないように手足を固定され棒やナタで殴られ切られ、爪を折られ、骨を折られる。。。
あなたなら“耐えられますか??”
こちらはもともと学校で使われていた遊具です。
が、ここでは拷問器具に変わります。首を絞めるように吊るされ、気絶すると糞尿の溜まった壺に顔面からつけられ、意識を取り戻すとまた吊るされる。。。
そんな拷問を何度もここに連れてこられた人たちは受けていました。
“認めてしまったほうが楽なのではないか…”
多い人は1日に3回もこのような拷問を受けなければなりませんでした。そして、拷問を受けない間、閉じ込められる場所も狭く暗い場所でした。
まえてぃーはあまりの空気感に個室に入ることは出来ませんでした。
日々エスカレートしていく逮捕、そして拷問
知識人の範囲は日増しに拡大していきます。
- 眼鏡をかけている(知識があるに決まっている)
- 手が柔らかい(農作業に従事していない知識人に決まっている)
- 外国に行ったことがある(外国のスパイに決まっている)
- 恋人がいる(風紀を乱すに決まっている)
そして容姿端麗というだけでも連行の対象になり、知識人の家族だ、親戚だ、友人だ、近隣に住んでた、噂があった、名目なんてなんでもよかった。
ただ、捕え、拷問した。
外国に留学中のカンボジア人(知識人に決まっている)にも嘘の連絡を入れます。
「新しい国づくりには先駆的な知識を持ったあなた方が必要だ。国づくりのために力を貸してほしい」と。彼らは新しい国のために力になれると思い、祖国の地を踏みますがそれが最期となりました。
かずかずの拷問。
拷問に耐え切れず亡くなった人もいます。
そして、耐え切れなくなり、してもいない罪を認め、自分の処刑のサインを、自分で記入するのです。
思い出してください、この場所は元々は高校でした。そう、命を伸ばし育む、“学校”だったんです。
生徒たちの笑い声、真剣な表情。時には悩み、ケンカをしたこともあったでしょう。でもその全てが、人生において大切な時間だったであろう学校です。
それが、国によって国民を苦しめる場所に変わったのです。
処刑が決まった”犯罪者”は「キリングフィールド」へ
そして、処刑が決まった国民が次に連れていかれた場所が、ここ「キリングフィールド(処刑場)」です。
ただ殺されるためだけに運ばれ、自分の想いも、願いも言うことも出来ず、残虐な方法で殺されていきました。
連行される人々。
残虐な方法で殺される罪のない人々
連れてこられた人々はすぐには殺されません。
こちらをごらんください。
これはカンボジアによく生息している木なのですが、枝がとても固く、鋭利にできています。連れてこられた人々はこの鋭利な枝を使って喉をかき切られます。
叫び声をあげられないように。
そして、この場所では一日中、大音量で革命歌とディーゼル車のエンジン音のような音が鳴らされていました。
叫び声が周囲に漏れ、ここが処刑場だということを隠すためです。
そして、費用がないため銃弾などの使用を控え、処刑には斧やナタなどの農業器具が使われました。
つまり、処刑されると一言で言っても、“一撃”で死ぬことはできないのです。
ここでもまた何度も痛み、何度も苦しみ、何度も生まれたことすら呪った彼らの命と人生は、ボロボロの限りを尽くされ、奪われていったのです。
キリングフィールド内は音声ガイダンスに沿って回ることが出来るようになっています。(日本語ももちろん準備されています)
こちらのスペースには多くの首のない遺体が無造作に埋められていました。
「キリングツリー」=「殺すための木」
また、こちらの木をご覧ください。
その名も“キリングツリー”
この木の歩んだ歴史を耳から聞いた時、頭での理解が追い付かなくなりました。実は、この木には生まれて間もない赤ん坊や幼児が、足を持たれ頭を木に打ち付けられて殺されていった木です。
しかも母親の目の前で。
想像してください。わが子じゃなくていい。まえてぃーも子どもはいません。
でも道行く子どもが、抵抗も、犯行も出来ないヨチヨチ歩いている子どもが、頭を木に叩きつけられて死んでいったのです。
楽しいことも悲しいことも、人生の喜びも何もかもまだ知らないうちに、血を流しながら死んでいく。
痛かっただろうな。
止めてほしかっただろうな。
たくさん泣いたんだろうな。
助けてほしかったよね。。。
そしてそんな我が子を助けられず、ただ見させられる母親。そして自らも兵士たちによって強姦され、蹂躙という蹂躙の限りを尽くされ殺されていきました。
想像できますか??
1970年代といえば、日本という国では、戦後復興の元に大阪万博が開催されたり、マクドナルドをはじめファーストフードやファミリーレストランが沸き上がり、日清カップヌードルが発売されたり、
上野にパンダがやって来たり、コンビニができたり、キティちゃんが登場したりでイケイケの時代に、カンボジアでは意味もなく子どもが殺されていったのです。
今からたった40数年前です。
ポルポト政権のことは教科書に書かれてあったとしても、その政権によってこのような行為が行われていたという事実はほぼ記載されていません。教科書では学べない。学校でも学べない。
でも、“旅”でなら、この歴史と出会うことができ、知り、学ぶことが出来るのです。
たくさんの鎮魂の思いが掲げられています。
どうしてこの残虐な行為が数年にも渡りできたのか?
処刑を行っていたのは子どもだった
注目すべきは誰が拷問や処刑という行為を行っていたのか。
驚くべきことに、拷問や処刑を行っていた人間の大半が13歳程度の子どもでした。
なぜって??
子どもはまだどんな思想にも染まっておらず、教育も受けていない。つまり、この状態こそがポルポトの理想であり、自らの思想に染めやすかった存在なのです。
- 自分たちは正しいことをしている。
- 国のためになることをしている。
そう考えることで、拷問も処刑も正当化できる正しい行為だったのです。たとえその対象が、自分の親や友人であったとしても。
「罪人を逃すことは、罪のない人を裁くことより重罪だ」
ポルポトの言葉だそうです。
”教育”とはいったい何なのか?
みなさん、教育って何のためにあるんでしょうね?国って、何のためにあるんでしょうね?
私たちが生きるのって、いったい何のためなんでしょうね。。。
少なくとも、殺したり、殺されたり、こんな狂気的な経験をするために生まれてきたんじゃないって思うし思い続けたい。
まえてぃーは元・先生です。今まで自分がしてきた教育という行為が、一歩間違うととても恐ろしい未来をもたらしてしまうということに恐怖を感じました。
ポルポト政権終了時、国民の全人口の85%は14歳以下の子どもでした。いかに多くの国民が犠牲になったのかが分かりますね。生き残った数少ない大人と、多くの子どもたちと若者たちが、この国カンボジアをこれまで支えてきました。
カンボジアの現実
しかし、今でもカンボジアでは先生が足りません。学校は午前チームと午後チームに分かれ、半日だけの授業しかなく、体育や音楽の情操教育はほぼありません。先生がいないのです。
そして、これらの負の歴史についても学ぶ機会や場所はあるけれど、今の子どもたちは実感が湧かないことも多いそうです。
とある先生が話してくれました。
トゥールスレン虐殺博物館やキリングフィールドに見学に行ったとしても、事実と受け入れることができずに“冗談でしょ”と聞き流す子も多いそう。
なぜかって??
事実を知る人の多くはその時に殺されて、すでにいないからです。
経験した多くの人が亡くなっているので、実感として学ぶことが難しいそうです。
悲しみの歴史を忘れさせてしまうことは、未来に生かすチャンスを失わすということ。それはつまり同じことを繰り返すということにも繋がります。しかも、誰も気づかぬうちに。
声をあげれぬ人たちが犠牲になっていくという事実
日本で生活していると、国や政治に無関心でもさほど影響は感じません。カンボジアのような道を辿るとも思えない。
でも実際、日本が戦争中は選挙権は25歳以上の男子しか与えられていませんでした。
- その中で徴兵されたのは?
- 特攻で散っていたのは?
- 沖縄のひめゆりで死んでいったのは?
その多くが選挙権のない若者たちでした。国に物言えぬまま、国のために死んでいった時代が私たちにもあったのです。
国と私たち国民の関係…。
そんなことを考えさせてくれるこの「キリングフィールド」。
ぜひ、カンボジアに来た際は、この教科書には載らない歴史に会いに来てください。
カンボジアで暮らす人々の、当たり前の日々の大切さ
そして、キリングフィールドを訪れた後、カンボジアで暮らす当たり前の人々に目を向けてみてください。きっとこれまでと違って見えます。
生徒と先生が毎日笑顔で過ごせる日々が…
「俺のトゥクトゥクかっこいーだろー」と自慢できる仕事が・・・
誕生日ケーキに感動できる瞬間が…
大切な家族を抱きしめられる手が・・・
実はとっても特別だということを、気づかせてくれるかもしれません。
時間に余裕のある人は「トゥールスレン虐殺博物館」と「キリングフィールド」はセットで訪れてみてください。1日、いや半日でも大丈夫です!!
そして、今回ご紹介したキリングフィールドは実は一か所だけではありません。このキリングフィールドはキリングフィールドの中でも最大規模でもっとも有名なチュンエク村のキリングフィールドです。
キリングフィールドと呼ばれる処刑場はカンボジア国内にはこの他にも数百か所ありますので、旅に応じて訪れるキリングフィールドに“縁”を感じてみてください。
過去の歴史たちは私たちに教えたりはしない。ただそこにあった事実だけをじっくりと残し、私たちを試している。
次回予告
次回はフォーはフォーでもビーフシチュー味が美味すぎるベトナム!!
「ベトナム戦証博物館」
武器を持たずに戦争を止めたジャーナリスト達に会いに行きましょう。
前回の記事
これから世界一周をしたい旅人の方へ
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わかりやすい投稿ありがとうございます。
多くの人に読んで貰いたいですね。