本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記の概要はこちらからご確認お願いします。
本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記【第15話】(前回)はこちらから。
5−3 チリ インテルナシオナル・ディエゴ・アラセナ空港
フライト・キャンセル
チリ、サンティアゴの北方およそ1000km、ペルーとの国境にほど近い太平洋岸に「イキケ」という、空港以外にはこれといったものが何もない街がある。2017年3月25日、僕はその街の「インテルナシオナル・ディエゴ・アラセナ空港」で途方にくれていた。
多くの旅人はチリ〜ボリビアの国境を陸路で越える。一つはもちろん移動費の節約が目的であり、今一つは世界一美しいと言われる「アタカマ砂漠」の満天の星空を楽しむ目的で。けれど僕には時間がなかった。2日後の3月27日にはどうしてもウユニ塩湖に到着しておきたかったのだ。新月のウユニ塩湖に。
そういうわけで移動手段として飛行機を選択したわけなのだけれど、これが結果的には裏目に出た。15時40分発LATAM航空968便は、エンジントラブルによりフライトキャンセルとなった。フライトがキャンセルになる、というのが初めての経験で、どうやってこの状況に対処すればいいのか、その時の僕には見当がつかなかった。
というよりも新月のウユニ塩湖に間に合わない。そのことの方が僕にとってははるかに重大事だった。
ウユニ塩湖はボリビアの高地にある日本の新潟県くらいの広さの塩の湖で、昔アンデス山脈が地殻の変動によって隆起した際に一緒に押し上げられた大量の海水が干上がってできた塩の湖である。降雨のあと湖面にうっすらと水が張ると、その広大な湖面が空を映す鏡になることで有名だ。どんな「世界の絶景」本にも必ず写真が掲載されている。僕が3月27日の到着にこだわったのは、この日が新月の日、つまり月明かりがなくなる日だったからである。
月明かりがないということは星空が美しく見えるということで、その星空が湖面に映ると、足元に星空が広がってこの世のものとは思えないような幻想的な光景が辺りを包み込むという。足元に広がる星空。文学的修辞でもなくメタファーでもない、そういうものがこの世界には存在するのだ。リアルなそれをこの目でどうしても見てみたい。3月27日の夜、ウユニ塩湖。これは絶対に外すことのできない僕の旅のアイティネラリーだった。
旅は自分を変えてはくれない
とりあえず状況が飲み込めなくて、適当な人だかりを見つけてそこで交わされている会話を盗み聞きしてみる事にした。一つのグループが英語で会話していたのでその輪に入る。エンジントラブルが原因である事、今日は振替の便がもうないので明日以降のフライトになる事、などが分かった。
では今日の宿泊先はどうなるんだ。空港の周りは本当に何もない。人が住めそうな気配もない荒野が広がっているだけだ。今夜の宿泊先、振替便の依頼。そういうのを英語で交渉して伝えるにはどうすればいいんだろう。というよりも(くどいようだけれど)新月のウユニに間に合わない。
辺りにいたスタッフを捕まえて、とりあえずサンティアゴ行きの便はないか尋ねてみた。こうなったらサンティアゴまで一旦戻ってそこから陸路で移動した方が早く、確実に新月のウユニ塩湖に到着できるんではないか?もちろんそんなわけはないんだけれど、ここで1日何もせずに過ごすくらいならそうした方がマシなような気がしたのだ。
けれど航空会社のスタッフの返答はあっさりとしたもので「サンティアゴ行きのフライトは今日はもうない」ということと、この空港からサンティアゴまで行くバスは一日一本しかなく、今日の便はもうすでに出発してしまっているということだった。「あとはカウンターに行って相談してください」そう言ってフライトアテンダントの彼は足早にその場を後にした。
結局それ以降は誰に何を話しかけても「スペイン語で話してください」と言われてどうにもならなくなってしまった。途方にくれて空港のロビーでぼんやりするより他にすることがない。他の乗客もみんな所在無くロビーでぼんやりしている。こういう時空港職員に当たったり怒鳴り散らしたりする人がいないところが外国のいいところである。
やがてスペイン語のアナウンスが流れ、ロビーで待機していた乗客たちが列を作って並び始めた。スペイン語ができない僕はとりあえずわけも分からず他の乗客と同じように列に並んでみる。僕の前に並んでいた白人男性にとりあえず英語で声をかけてみる。どうやらこれはバスに乗るための列らしい。そのバスの中で今日の宿泊先を割り振ってくれて、そのままそこまで連れて行ってくれる。だいたいそういうことらしい。航空券とパスポートを用意しておいたほうがいいよ。しかし災難だったね。そんな感じのことを言っていたように思う。
チリのこんな辺鄙な場所にある空港で、今更焦ったりジタバタしたりしたところでどうにもならないのはよくわかっていたのだけれど、それでも新月のウユニ塩湖のことを考えて少し冷静さを欠いている自分がいる。
自分は今冷静さを欠いているな、そういうことを客観的に理解できる程度の理性はあって、やっぱりこういう時に慌ててしまう自分は相変わらず日本にいた時の自分と同じだな、と思わずにはいられない。
旅に出たところで、どれだけ旅先で多くの経験を積んだところで、人間なんてそう簡単に変われるものではない。そういう事実に思いが至って本当に情けない気分になる。でもそれが現実だ。
自立と孤独を履き違えてはいけない
航空会社が用意してくれたのは、空港から20km以上離れたイキケの市内の豪華なホテルだった。窓の外には海に沿って走る道路の街灯が海岸線をなぞるように並んでいるちょっとした夜景が広がっている。その向こうには漆黒の海。海を含む夜景は街の灯りと海の黒とのコントラストが美しい。夕食はホテルのダイニングでディナーのコースが供された。
けれどそういうシチュエーションを楽しむゆとりはあまりなかった。部屋にたどり着いた僕がしたことといえばバックパックの荷物をひたすら整理することだった。日本にいる時、頭の中がもやもやしているときはよく走りに行くか、自宅の部屋を整理していた。習慣というのはそう簡単に変えられるものではない。新月のウユニに間に合うのだろうか。頭の中はそのことでいっぱいだった。
イキケからまずはボリビアの首都ラパスに向かう。そこで一泊してから翌日のフライトでウユニを目指す。ウユニには新月の日の前日に到着できる。それが当面の予定で航空券もそのように手配していた。けれどその予定が今日のフライトキャンセルでもう崩れてしまっている。日程が少しタイトすぎたかもしれないな。とりあえず今晩のラパスの宿はキャンセルしないといけない。部屋に入ってWi-Fiをつないですぐにメールを送信した。
もうすでに取得済みのイキケ〜ラパス・ラパス〜ウユニ行きの航空券はどうしよう。明日の振替便のフライトの時間はまだ聞かされていない。もし遅い便であれば、ラパス・ウユニ間のフライトに間に合わない。その場合、他の便に振り替えてもらえるんだろうか。もしできるとして、その空港の職員はきちんと英語で対応してくれるんだろうか?考えても詮無いことなのだけれど考えずにはいられない。
捨てる神あれば拾う神あり、という。本当にラッキーなことに、この日同じ事情でイキケでの宿泊を余儀なくされた日本人の中になんとスペイン語が堪能な在チリ大使館員がいた。翌日プールサイドの瀟洒なダイナーの朝食ビュッフェ(これも無料)で同席になった僕と同じ歳の頃の男性が、農林水産省から出向しているという官僚の方だったのだ。
休暇でボリビアに向かい、現地の同僚(ボリビア大使館員)と合流してショートトリップに行く予定だというその男性のおかげで、僕は首尾よく新月の日の前日に、ウユニにたどり着くことができたのだ。二言目には「邦人保護は私たちの重要な職務の一つですから」というその男性が、チケットの再手配その他、必要な空港での交渉等を全て代行してくれた。本当に親切な人だった。
旅の醍醐味の一つに「日本で生活していると決して交わることがないような人との出会い」がある。日本人は日本人同士で固まって行動してしまうというのはよく外国人に指摘される僕たちの悪い習性のなのだけれど、そのおかげで思いもしないような職業やキャラクターの持ち主と出会えたりもする。国家公務員、フライトアテンダント、釣り師(彼のことはいつか書きたい)、大学教授、東大生(東大生は職業じゃないですね)などなど。そういう方たちとの出会いは本当に刺激的だ。同時に、普段自分がいかに狭い世界の限られた人間関係の中で生活しているのかということをまざまざと思い知らされる。
そういう狭い世界の中で擦り切れて、傷ついて、傷つけ合っている。互いの足をひっぱり、時に陰口を言って束の間の心の慰めのようなものを得る。誹謗、中傷、批難、嘲笑。狭い世界で繰り広げられるそれらがいかに非生産的でくだらないものか、そういうことを図らずも教えてくれるのが、世界という舞台で出会うスマートで魅力的な人たちだ。
その狭い世界で生活している人には本当に申し訳ないのだけれど、人間の生きる活力を減殺するようなそのような行為で溢れる世界に帰るということは、僕にとってはほとんど自死に等しい。幸か不幸か(まぁ不幸ですね)僕には帰る家がない。帰るべき実家もなくて、家族はすでに離散している。母に至ってはもうどこにいるのかもわからない。どこに日本に帰らなければならない理由があるだろうか。
考えてみれば、僕はなるべくして旅人になったんだな、本当にそんな風に思う。人は社会からドロップアウトした根無し草の僕を嗤(わら)うかもしれない。そんなものは所詮負け犬の遠吠えだというかもしれない。社会不適合者の自己弁護であると、「自己責任論」を好む多数の日本人は僕を非難するかもしれない。
けれど僕はあえて言いたい。多数派の臆断から物理的にも精神的にも距離を置いて、地球の裏側で自分自身と自分が属する社会を俯瞰(ふかん)してみるというのはある意味では優れて知的な営みなのではないだろうか。
旅は素晴らしい思い出に満ちているが、それと同じくらい辛くて惨めな経験もまた含まれている。そしてそれらにどうしても直面せざるを得ないのも旅の、ひとり旅の現実である。
『「旅先で何もかもがうまくいったら、それは旅行じゃない」というのが僕の哲学(のようなもの)である。』と村上春樹が言う通り(※)、旅はままならないことの連続だ。人生と違うのは、途中でやめて帰ることができるかできないか、と言うことだけである。一度続けることを決めたなら、それは人生と同じだ。どうにもならない事態にも対処しなければならない。そういう時に頼りになるのは自分のスキルや経験値だけではない。
人が一人で生きていくことができないのと同じように、人は完全に一人の力だけで旅をすることもまたできない。「自分は一人だけの力で生きている」という信憑は、経済的に恵まれた状況にある先進諸国の一部に人に共有された、いわば「民俗誌的奇習」のようなものだ。自立と孤独を履き違えてはいけない。孤独の先にあるのは自由ではない。絶望なのだから。
(※)『ラオスにいったい何があるというんですか』村上春樹著 文藝春秋 2015年
村上春樹の「ラオスにいったい何があるんですか」の本 いま私のベッド脇にあります。
何故なら「旅先で何もかもがうまく行ったらそれは旅行じゃない」の帯の言葉に惹かれて購入し、そして私は6月にセブ滞在のあとラオスに行く予定にしながらこの本を再度読みつつ想像してます。
私は単発で一人旅をしていますが やはりどうしてよいかわからず 一人ミーティング?をします(笑)
焦るな・・冷静に・・と言いきかせながら。
でもあとから考えるとそんな上手くいかなかったことが思い出深く思ったり、なるようにしかならないのだと開き直ったり そんな事が旅なんだと思ってます。
また今後も楽しみにしてます。
いまちょうど一年前を振り返っていらっしゃるのですね。
旅先で経験するネガティブな出来事ほど、後から考えるといい思い出になっていたりするもので、それがあったから今こうして連載をさせていただいてるわけですが(笑)、その時っていうのはなかなか前向きにはなれないものです。
月並みなんですが、人生も同じことが言えるのではないかって思っています。ただ人生においてはネガティブなそれを咀嚼して「良い経験」に読み替えられるようになるまでには多少時間がかかるんですが。
村上春樹の紀行文集はどれも本当に素晴らしいと思うのですが、「ラオスに〜」は本当にいいです。僕も旅中はずっとKindleで読んでいました。