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本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記【第19話】(前回)はこちらから。
アメリカへ
フォートローダーデール
ペルーの首都、リマを飛び立った飛行機が早朝フォートローダーデールの空港に到着した。眠い目をこすりながらトランジットまで移動する。眠気覚ましにコーヒーを一杯飲もう。シカゴ行きのフライトを待つゲート付近にあったコーヒースタンドでエスプレッソを注文することにした。
“Can I have a cup of espresso, please?”
“Which size would you like, Sir?”
“Large one, please.”
英語が通じる。隣のゲートで搭乗手続きが始まろうとしている。まず英語で、次にスペイン語でアナウンスが流れる。
随分久しぶりに聴く英語のアナウンスに、僕の心は少しだけ高鳴った。なんだかすごく懐かしい感じがした。もちろん僕はフロリダになんか来たことはないし、そもそもアメリカに来ることすら初めてだ。英語を聞いてノスタルジーを感じることができるほど英語環境に長くいた経験があるわけでもない。にも関わらず、CNNのアナウンサーのような流暢なアメリカンアクセントで流れる搭乗アナウンスを聞いた瞬間の僕は、まるで日本に戻って来たときのように、あるいはそれ以上に懐かしさや安堵感といった肯定的で優しい感情に包まれていた。英語を聞いて心が穏やかになるなんて、旅に出る前の僕には想像もできなかったことだ。
フィリピン・セブの英語学校には結局2ヶ月半お世話になった(そして旅を終えた今もお世話になっている)。僕の錆びついてボロボロになった英語力はその留学で幾分かはマシになった。相変わらず定期的に錆を落とし、グリスをさしてスムーズに動くようにメンテナンスする必要がある。語学というのはそういうものだ。使わなければ簡単に錆び付いてしまう。反対に、使い続ければ、例えば僕のような凡庸な人間にも十分使いこなせる魔法の道具になる。
これさえあれば、世界中のいろんな人とコミュニケーションをとることができる。何か困ったことがあったときにも誰かが必ず助けてくれる。けれど僕は今回「英語は決してただの道具なのではない」と言う話をしようとしている。
DERAY
ペルーからアメリカへは三本の飛行機を乗り継いで行く予定だった。けれど最初のクスコ〜ペルー間でとんだ失敗をやらかしてしまった。飛行機に乗り遅れてしまったのだ。
その日は朝からあいにくの空模様で、ゲストハウスから空港に向かうタクシーの中で降り出した雨は空港に到着した途端に雷雨へと変わった。とりあえず荷物をチェックインして中に入る。飛行機の離発着は軒並み遅延していて、中には欠航になった便もあった。電光掲示板には遅延の文字が並ぶ。スペイン語のアナウンスが絶え間無く流れ続けている。
僕の便もまた遅延となっていた。念のために搭乗口に向かう。出発は何時くらいになりそうか、グランドスチュワーデスに確認するが無言で背後の電光掲示板を背中越しに指さすだけだ。愛想のかけらもない。相変わらず英語話者には冷たいな。けれど現地の言葉を理解しないまま旅をすることがなんだかその土地の人たちに対する礼を失した行為であるようにすでに感じるようになっていた僕は、笑顔で「グラシアス」といってその場を後にした。次に来るときはいくらかスペイン語を練習してこよう。そんなことを考えながらその場を後にして空港のラウンジに向かった。
窓の外の雨はいささか小降りになってはいたけれど、雷の閃光が時折鋭く辺りを覆う。相変わらず電光掲示板には遅延の文字がずらっと並んでいる。上から下まで、ディスプレイに表示された全ての便が皆遅延している。もう出発予定時刻から一時間以上が経過している。まだしばらくかかるのかな。そこで安心してしまった僕はしばらくの間搭乗案内をチェックするのを怠ってしまった。次に僕がスマートフォンから目をあげてラウンジ内の掲示板を見たとき、そこに表示されていたはずの全ての便が-僕が搭乗予定だった便も含めて−すでに離陸した後だった。
慌ててゲートまで移動する。ゲートの職員にボーディングパスを見せると大声で笑われた。いま何時だと思ってるの?とでも言わんばかりに(いや、多分彼女は現にスペイン語でそういったと思う)手に持っていたボールペンで搭乗券に印刷された出発時刻を指す。いやいや、さっきまで「遅延」だったじゃないか。アナウンスとかはないのか?そういうことを英語で伝えてみる。でももう離陸してしまったものは仕方ないじゃない。そう言って彼女は再び笑った。彼女の言う通りだ。
とりあえず今晩中にリマまで行かないと次のフォートローダーデール行きの便の乗り継ぎに間に合わない。空港の職員に事情を説明して、もと来た道を辿って再び空港のチェックインカウンターまで戻ってきた。他の便への振替は可能なのか、チェックインカウンターの女性に確認する。できますよ、でも明日以降の便になります。それだと間に合わないんです。じゃあ新しいチケットを購入するしかないですね。ちなみに今日の最終便は二時間後に出発します。オーケー、ちょっと考えてみます。そう言ってカウンターを後にした。窓の外はすでに暗くなっていて、空にはそれまでの荒天がウソのように星空が広がっていた。
4月7日の15時にシカゴに到着しなければならない。でないと現地で待ってくれている他の5人の仲間に迷惑をかけることになる。ルート66の起点からアメリカを横断して西海岸へ向けて出発する、その予定が大幅に狂うことになる。それだけは避けたくて、やはり約束の日時にシカゴへ到着することを最優先に考えることにした。多少の出費は仕方がない。改めて航空券を購入し直すことにする。
空港のカウンターで販売される正規料金の航空券はかなり割高に感じられたのだけれどまあ仕方がない。怪しげな青年が数名、航空会社のチケットカウンターの列に並ぶ僕にしきりに英語で声をかけて来た。どこまで行くんだ?リマまでだ。安い航空券があるよ。パスポートを見せてくれるだけでいい。けれど僕にはその青年がどうしても信用できない。I can’t trust you.それでもその青年は怯まず声をかけ続けて来たし、列に並ぶ何人かの人は実際に彼から航空券を購入していた。ね、みんな僕から買っていくよ。だから大丈夫。パスポートを見せてくれるだけでいいんだ。
結局彼からは航空券を買わなかった。無事その日の最終便でリマへ飛ぶことができた。けれどその時、僕は自分のバックパックのことをすっかり忘れていたのだ。いや忘れていたのではない。僕の預け荷物は僕がさっき搭乗を逃した便ですでにリマに飛んでいると思い込んでしまっていただけだ。
ホルヘ・チャベス国際空港
リマの空港に到着してバゲッジクレームのターンテーブルを一通りチェックする。僕の荷物はもうない。近くの職員に自分の荷物がない旨を告げると、航空会社のオフィスを案内してくれた。指示された場所にいって玄関のチャイムを鳴らす。ドアに掲示されていた営業時間はすでにすぎていたけれど、夜勤なのだろうか、陽気な感じの男性職員がドアを開けて応対してくれた。
オフィスのカウンターには3人の男性が立ってそれぞれ作業をしていた。荷物がないんです。オッケーアミーゴ、搭乗券を見せてください。スタッフがカウンターの端末をチェックする。あれおかしいな、この便にはこの荷物は乗ってないみたいだけれど。いや実は飛行機に乗り遅れてしまってね。一通り事情を説明する。それを今度はスペイン語に翻訳して他の同僚に伝えている。
しばらくしてそのうちの別の一人が「わかった」というように改めて僕の方に向き直っていった。「荷物はまだクスコにあります。ここにはありません。」
どうして?説明を求める。彼の返事はこうだった。「チェックインされた荷物の持ち主が搭乗しなかった場合、その荷物は再び飛行機から降ろされて出発地で保管されます。テロ対策です。手荷物だけが飛行機に乗せられるということはありません。その荷物に爆発物が入っていたらどうなると思いますか?」
言葉以上の何か大切なものについて
日本に一時帰国した時に久しぶりに会う友達がいちばん聞きたがるのが旅のトラブルの話だ。そこで今回のこの一件について話すとみんな決まってこう尋ねる。「ごめん、それ全部英語でやりとりしたの?」当たり前やん、俺スペイン語話されへんもん。いやそうじゃない、自分(←大阪弁の2人称)そこまで英語できるん?知らんかった。ペラペラやん、それ。10週間でそんなに喋れるようになるんやな。セブ留学、すごいな。
けれど今、あのフォートローダーデールで英語のアナウンスを聞いた時に僕が抱いた感覚を思い起こしてみると、僕がセブ留学で身につけた「語学力」なるものの正体について考えずにはいられない。
確かに自分でも、かなりプラクティカルな英語を駆使していろんな状況を乗り越えたんだな、とは思う。けれどそのことから僕が得ることのできる自己肯定感や快の感情はほとんどないと言ってもいい。そんなものはジェスチャーその他の「非言語的な」コミュニケーションを駆使すればどうにか伝わるものだ。事実英語があまり堪能でなくても自分の意思を伝えられる人なんていくらでもいるし、前述の友人が正しく指摘した通り10週間も英語環境に身をおいていればこれくらいの意思疎通はできるようになる。流暢であるかどうかは別としてだけれど。
あの時僕が少々粉っぽいエスプレッソを飲みながら聞いた搭乗アナウンスの英語には、明らかに情報以上の何か大切なものが含まれていた。僕が今言いたいのはそのことだ。言葉に含まれる情報以上の何かが含まれているメッセージやコミュニケーション。そういうものにいま、僕の心は強く惹きつけられる。
いつまでもこの人と話していたいと思える人がいる。そういう人と実際にやりとりする言葉には、言葉そのものに含まれるリテラルなメッセージ以上に温かくて優しい何かが含まれている。言葉という媒体に載せて伝達される情報以上に、穏やかさや空気感、信頼、安心感、親密さといった様々な肯定的な感情をやりとりすることで成立するコミュニケーションがあるということ。そんな温かな感情そのものを交換することを目的としたコミュニケーションが存在するということ。それがここセブで僕が学んだ「言葉」ということの、「コミュニケーション」ということの本質ではないだろうかと思う。
何時間も飽きることなく話し続けたはずなのに、後から思い起こしてみるとその内容をうまく再現することができない。だからもう一度会いたいと思う。またどこかで、世界のどこかで。そして次は相手のことをもっと知りたいと思う。自分のことをもっと知ってほしいと願う。そんなコミュニケーションがこの世界にはある。そんなコミュニケーションがあったということを旅に出る前の僕はもう長い間忘れてしまっていた。僕にとって言葉は、自分の意志を淀みなく簡潔に他者に伝えるための手段に成り下がっていた。
けれど今はこんなふうに思う。言葉が純粋にメッセージ「だけ」をやりとりするためだけのものだとしたら僕は絶対耐えられないし、そんな言語が支配する世界には決して住みたくはない。そんな事を考えるようになるなんて想像したこともなかった。セブに来てもう一度英語を学ぶまでは。
言葉を交わす事を通じて、僕たちは言葉以上の肯定的なメッセージをやりとりすることができる。人間にはそういう力があって、そんな素敵な時間をもたらしてくれる人がこの世界にはいる。そんな出会いがここには数限りなくあって、その事実そのものがまた、不思議な温かさでその人が近くにいない今も僕たちの心を満たして続けてくれる。決して忘れられない人がいる。僕にとってはそれがここセブで得ることのできた最も大切なことの一つなのだ。
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