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本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記【第二話】はこちらから。
2−2 オーストラリア・エアーズロック
エアーズロック 最初の夜
エアーズロックは、バックパッカーという旅のスタイルにはいささか不向きな場所なのかもしれない。
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まず宿泊費が高い。バックパッカーといえば大抵はゲストハウスやホステルなどの安宿を宿泊施設に選ぶことが多いのだけれど、エアーズロックがあるウルル周辺にはゲストハウスが一つしかなく、その宿泊費たるや、日本のちょっとしたビジネスホテルと同じくらいか、やや高い。
そもそもオーストラリア全体がそうなのだけれど、物価が高い。逆に、物価さえ安ければ世界で一番住みたい国、それがオーストラリアだとも言える。
それに加えて乾燥した大地の真ん中に位置する場所である。基本的に人が生活を営むには極端に不向きな場所だ。
つまりは観光のためだけに開発された土地である。ちょっとしたカフェで、コーヒーとサンドイッチを注文するだけで10ドル以上のお金が飛んでいってしまう。お腹も全然いっぱいにならない。ビールも高い。
では自炊すればいいじゃないかと思われるかもしれないけれど、エアーズロック周辺にはスーパーマーケットが一つしかなく、そのスーパーで売られている食材も決して安いとはいえない。
なのでエアーズロックを訪れる予定のバックパッカーの皆さんは、事前に食材を調達しておかれることをお勧めします。
宿泊施設が整備されているエリアからエアーズロックを間近に見られるエリアまでの移動には車以外の手段がなく、歩いていくには遠すぎる。
僕のようなバックパッカーはツアーに参加してエアーズロックを見に行かなければならない(ヒッチハイクという手段がないわけではない)わけだけれど、そのツアーも当然それなりに費用がかかる。
アボリジニの聖地にしばらく滞在して朝・昼・晩と刻々とその姿を変えるエアーズロックを、物思いにふけりながら眺める、お金のかからない贅沢な毎日を過ごしたい・・・という夢は、経済的な事情で諦めざるを得なかった。まぁ事前の情報収集不足ですね。
ここのゲストハウスでは、ドイツ人の親子(父と娘)とオーストラリア人のバックパッカーと同室になった。
このお父さんは随分とおしゃべり好きで、カンガルーを見にいくんだとか、あそこのレストランのご飯がどうだとか、最近のドイツの経済状況はどうだとかいうようなことをひたすら同室のオーストラリア人に向かって話し続けていた。
そんな50代と思しきお父さんがアジア人の僕に興味を示さないわけがない。
僕がそれなりに英語を理解することがわかると、どこから来たのか、なんの目的で旅をしているのか、ドイツには行ったことがあるかなど、これから世界中の旅先で世界中の旅行者から質問されることになるあれこれについて話すことになった。
落ち着いた感じのお嬢さんがそれを聞くともなく聴きながら時折あいづちを入れたり、お父さんの不確かな記憶や情報を適宜訂正しつつさりげなく会話に入ってきたりする。
随分聡明な印象のなお嬢さんであったので、どんな職業についておられるのか、大学では何を専攻していたのかなど尋ねてみると、ドイツの大学で看護を学んだ後オーストラリアで看護師として働いているという。なるほど。
今は休暇中で、もともとお父さんと旅行するのが好きで、世界のいろんなところを旅しているのだという。はたから見ていても、お父さんの行動力(と経済力)、お嬢さんの冷静な判断力は絶妙のコンビネーションのように思われた。
それにしてもドイツではお父さんと娘がバックパッカースタイルで旅をして、同じ部屋に宿泊し・・・というのは一般的なんだろうか。日本ではあまり考えられないことだけれど。
僕は日本で、「ソーシャルワーカー」という仕事をしていて、旅に出る前は精神科の病院に勤務していたので、それなりに共通の話題のようなものは見つけやすかった。
看護師である彼女とはそれなりに話が弾み、日本の医療やドイツのそれについて、あるいは社会福祉や社会保障に関して、それなりに英語でやりとりできたのはとても楽しかった。
別にドイツの医療や社会福祉にそれほど興味があったわけではないけれど、そういうことをしている自分がなんだか不思議というか、「旅をしているなぁ」としみじみと思ったものである。
ただ、連絡先を交換したり、それがなんらかの友情のようなものに発展するような感じはなく、あくまでその場の、あの時限りの交流だったわけだけれど。
そんなふうにして、ウルルの最初の夜は更けて行った。
旅に「自分らしさ」を求めることと、エアーズロックを訪れるということ。
二日目は午前中に一通り買い物を済ませた後、宿泊施設の近くにある小高い丘の上に登ってはるかかなたに小さく見えるエアーズロックを眺めていた。
周囲は見渡す限りの赤茶けた平らな大地。その中に圧倒的な存在感をもってたたずむエアーズロック。これほど分かりやすい風景はない。
その日は夕方からウルルに沈むサンセットを見るツアーに参加した。間近で見るエアーズロックは、昨日高台の上から眺めてみたときに想像した通り、やはり圧倒的な存在感でそこにあった。
旅を長く続けていると、いわゆる「観光地」に慣れ、次第に辟易するようになってくる。
雑誌で、書籍で、あるいはウェブで。すでに誰かが経験した感動が、ソフィスティケートされて、パッケージされた商品として陳列されている。きちんと捌かれて、ピカピカのパックに包まれてスーパーの棚に並んでいる生鮮食品みたいに。
旅に慣れてくるとそんなうがった見方をしてしまいたくなるくらい、僕たちはある意味商品化された、消費されるべき情報に囲まれ、知らず識らずのうちにそれらに導かれて、旅をしている。
それは誰かがすでに経験した感動を追体験するものであり、そこには「自分らしさ」のようなものは、あまりない。
けれど一方で、旅人は多かれ少なかれ「自分らしさ」のようなものを求めて旅に出るのではないだろうか。
それはあたかも「自分らしさ」を演出するために流行のファッションに−つまりその時期その季節に多数の人が選ぶ同じようなアイテムに−身を包むことが「個性的」であるという不思議な信憑にどこか似ている。
もちろんそのようにして旅をしたりすることがよくない、というようなことを言うつもりはない。そもそも、他人の趣味嗜好についてとやかく言えるような見識を僕は持ち合わせてはいないし、そのようなことにそもそも興味もない。
ただ、僕に関しては、と言うことだけれど、そのような矛盾(のようなもの)に直面した時に、つまり「自分らしさ」を求めて旅をしている自分の自己欺瞞性にきづいてしまった時に、ある種の居心地の悪さのようなものを感じずにはいられなくなってしまったのだ。
エアーズロックを訪れた時は、そんなことにはまだ気づいてはいなかった。
そして旅を終えた今、そんな「観光地化された」場所にも、訪れるべきいくつかの例外があることに気がついた。
そこへ行くことが一つの商品として消費されるような場所でありながら、それでもそこに行くことでしか得られない何かを得ることのできる場所。そういう場所が世界にはたくさんあること。
そしてエアーズロックは間違いなく、そのような場所の一つであると言うこと。
「過去」から「未来」へと時間が流れることのない場所。
エアーズロックを聖地とするオーストラリア先住民、アボリジニは「時間」という概念を持たないと言う。
持っているのかもしれないけれど、その「時間」なるものは僕たちが認識しているような「過去・現在・未来」というシンプルな直線で、左から右に一直線にイラストレートできるような、一方通行的なものではないらしい。
アボリジニの人々は神話の時代を生きているという。神話の時代と「現在」に、時間的な隔たりがない。どうやらそういうことのようだ。
人によっては、そのような感性をプリミティブなもの、未開の、遅れたものとして捉えてしまう人もいるかもしれない。そのような原始人的な考えが、現在のアボリジニの人々の恵まれない境遇の原因の一つになっているのだ、と。
けれど、あの圧倒的な存在感を放つ一枚岩を間近に見てそこに流れる空気感を全身で経験した今となっては、アボリジニのそれが後進的なものであり、私たちが有しているそれが先進的であるという無邪気な信憑に、どうしても違和感を抱かずにはいられなくなった。
それはまさに「圧倒的な存在感」でありそこには「悠久の時間」が流れていた。
そういった表現がとても陳腐で、安物のポエムにもならないということはわかっている。
もちろん、自分自身の語彙力の貧困さや表現力の稚拙さは認める。十分すぎるほど認識している。
それでも、おそらくどのような優れた小説家や叙述家によっても記述できない世界というのはあるはずで、そのような世界を言葉に代わって切り取り、表現するのが芸術の役割なのだとしたら、言葉とはいかに無力で儚いものなのかと思わざるを得ない。
(事実、アボリジニは文字を持たず、彼らは「アボリジニアート」と称される、色とりどりの不思議な模様で世界を表現する)
アボリジニが有する時間感覚を素直に受け入れてしまえるような圧倒的な現象の前で、僕は自分が持ち合わせている度量衡がいかに小さく、脆くて壊れやすいものであるかということを痛感せずにはいられなかった。
そのような経験を、今こうしてどうにかして言葉にしようとしているこの営みそのものが陳腐なものにならざるを得ないような空間が、この世界にはある。それをこの旅で一番最初に教えてくれたのが、このエアーズロックだった。
それは日本で擦り切れ、いつも何かに追いかけられながら過ごしているような毎日を相対化し、言語化して認識の俎上に載せること、つまり了解可能にすること、には十分の経験だった。
僕が日本で感じていた(と信じていた)不安、苦しさ、孤独は、ある具体的な実態なり現象を伴う何かというよりもむしろ、一時的で、空虚な、観念的なものに過ぎないのかもしれなくて、
僕が絶対だと信じているものも、あるものはエアーズロックの存在感に比べれば、ほとんど実体のないに等しい、虚ろな観念にすぎないのかもしれない。
そして、やはりこんな風に陳腐な表現でしか、それらの感覚なり感情を表現することができないという事実そのものが、(僕の表現力の不十分であることはひとまず脇におくとして)僕が苦しかったと信じていた日々なるものの小ささと、虚ろであることを証明してくれているように、あの時の僕には思われたのだ。
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