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本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記【第4話】(前回・グレートバリアリーフ編)はこちら
目次
3−1 ニュージーランド・クイーンズタウン
聞き慣れた言葉が決して聞こえない場所で感じる「自由」
シドニーから3時間、クイーンズタウン空港はその名の通り、ワカティプ湖畔に開かれたニュージーランドのリゾート地、クイーンズタウンの玄関口となる空港である。
周囲を山と緑に囲まれた、このこじんまりとした空港に降り立ったのは2017年1月の終わり。
南米に向かう飛行機が飛び立つオークランドへの経由地として、世界的にも有名なこの街に一週間弱滞在することに決めたのは、この街を訪れる、ほんの数週間前のことだった。
フランスに「モン・ブラン」という山がある。世界中の人々を魅了してやまないこの名峰のフランス語名を日本語に訳すと「白い山」である。そのままだ。あの秀峰の美しさの前ではいかなる修辞的な表現も陳腐化してしまわざるを得ないので、これ以外の呼び名を誰も思いつくことができないのだろう。
そういえば日本にも「白山」という秀麗な山がある。
「クイーンズ・タウン」という地名にもまた、同様のネーミングセンスを感じる。
「女王の街」。この街の穏やかで落ち着いた、気品のある街の佇まいはまさに「クイーン」の名にふさわしい。
なんでもイギリスのヴィクトリア女王にふさわしい街ということで名付けられたんだそうである。この「ひねりのなさ」そのもののうちに「モン・ブラン」に通じる美しさを感じてしまう。
一月の終わりということは、日本を出発してからすでに3ヶ月半、フィリピンのセブ島を後にしてはや2週間以上が経過しようとしていることになる。
環境の変化そのものには少し慣れては来ていたのだけれど、言語環境の変化ということになればやはりまだまだで、もうずいぶん長い間日本語を話していないような気がしていた。
日本にいる時もそうだったんだけれど、耳慣れない言葉が行き交う環境に身を置くとき、僕はいつも少しだけ自由になれたような気がする。
大阪で40年以上生活していた僕は、あの関西弁のアクセントが聞こえなくなるだけでずいぶん遠くに来たような気がしてしまっていたものだけれど、オーストラリア・ニュージーランドは当然のことながら完全な英語圏である。日本語なんて聞こえやしない。
日本語話者である僕が関東のイントネーションで話される言葉を理解するのに特別な注意は必要ない。
けれど、ここで話されている言葉は当たり前のことだけれどほとんどが英語だ。
フィリピンに10週間留学していたとはいえ英語がそれほど堪能ではない僕にとって、それらが言葉であると認識すること、つまりそれらがある意味をなすひとまとまりの音声の集合であると認識するためにはある程度の集中を必要とする。
旅を始めてからずっとそういう環境に僕はいた。そしてそのことは、日本にいた時に感じていたそれよりはるかに強烈な自由の感覚を僕にもたらしてくれるのだ。
ただその自由の感覚は、必ずある種の寂しさを伴っていた。
長年慣れ親しんだ言葉が聞こえない場所に、今自分は居る。自分のいたい場所にいるということは、多かれ少なかれ自分が何者にも縛られていないことを意味しているのだけれど、それはある種の満たされなさや孤独と必ずセットでやってくる。
そしてそのような「孤独」と「自由」のコントラストがあるからこそ今ここにいる、なにものにも縛られていない(ように表面上は見える)自分が愛おしく思えるのだ。
人と同じであることが必要ではない場所。
クイーンズタウンの夏は、この街の夜が短いのと同じように短い。この街を行き交う人々の服装の多様さが、この街の夏という季節の特徴(それはサッとやってきて、束の間の至福の時間をもたらした後すみやかに去って行く)を端的に表しているように僕には思われた。
僕のように真夏の格好で歩いている人がいるそのすぐ側を、ダウンジャケットを着込んだ大柄な白人男性が通り過ぎていく。ダウンジャケットを着ている彼と腕を組んで歩くブロンドの女性はキャミソールにデニムジーンズといった装いだ。足元には涼しげなミュール。
日本にいるときは、「他人がどういう格好をしているか」は自分が服装を選ぶときの大きな基準の一つになっていた。けれどここではそんなことを考える必要は、全くといっていいほどない。
これはクイーンズタウンに限らず外国にいれば多かれ少なかれ感じることではあるのだけれど、自分一人だけがジャケットを羽織っていたり、逆に半袖のTシャツを着ているからといって気まずさを感じる必要は全くないのだ。服装に限らず、自分が参照するのは常に他者ではなく自分である。
この街の太陽は、午後の9時になってもまだ沈まない。
この美しい街に訪れる、短い夏を少しでも長く楽しむことができるよう、神様はきっと粋な計らいをしてくれたのに違いない。そんな祝福に値するだけの気高さとたおやかさが、「クイーン」の名を冠するこの街を穏やかに包み込んでいる。
そんな街で、僕はただ、時間が過ぎていくことそれ自体を楽しんでいた。
どこにいっても美しいこの街で、どこに行こうかと逡巡する必要は全くない。
街にはリーズナブルなものから高級なフレンチ、イタリアンに至るまで、多種多様なダイナーが軒を連ねていて食べるものに悩む必要はない。
そこにはその時の自分の感覚にフィットした何かが必ず用意されているからだ。レストランで食事をするのが億劫なら、近くのスーパーマーケットで購入した食材をゲストハウスで調理するなり温めたりして食べればいい。
夕日が見たくなればゴンドラで小高い丘に登ればいい。あるいは波止場のベンチに腰かければいい。そしてそのどちらにも、感じのいいバーやパブが必ず用意されているのだ。
今日はこれからどこにいって何をしようかと、誰かに相談する必要もない。一日中何もせずに過ごしている僕を妙だと思う人もいない。僕の服装を笑ったりする人がいないように。
そう、どんな時間の流れに身をまかせるか。それらは完全に旅人である僕だけに与えられた選択の自由であり、旅人という生き方を選んだ人々に与えられた、数ある特権の中の一つなのだ。そしてそのような特権の恩恵を存分に堪能できる場所がここクイーンズタウンだった。
孤独は決してネガティブなだけの感情ではない。
日本にいる時、僕は自由をある種の孤独や寂しさとトレードオフすることで得られるものだと思っていた。
一人でいることは寂しい、パートナーがいないことは辛い。
友人がそれほど多くない自分にとって孤独は退屈と隣り合わせの感情だった。つまり自由は、寂しさや退屈に耐えることと引き換えにえられる報酬のようなものだとおもっていた。
もちろん退屈が完全な悪なのではない。暇や退屈は時に人間の思考を賦活させ、より高い場所に僕たちを連れていってくれることがある。だから僕たちは暇や退屈を得るために寝食を惜しんで働くという倒錯に、それほど強い違和感を感じずに生きていられるのだ。
けれど僕のような凡庸な人間にとっては厄介なことに退屈は必ず孤独と、つまりなんらかのネガティブな感情とセットでやってくる。そう思っていた。少なくともこの街に来るまでは。
日本から遠く離れた、夜の短いこの街で
朝、目を覚まして少し強めのブラックコーヒーを飲む。それから深呼吸してこの美しいクイーンズタウンの街の美しい空気を胸いっぱいに吸い込む。
街まで歩いてみる。あるいは美しい湖畔を散策してみる。
なにも考える必要はない。一人でいるということも、自分が孤独であるということも、少なくともこの街で過ごすに当たってはなんらネガティブな要素にはならない。行きたいところに行き、過ごしたいように時間を過ごすことの自由。
この街で一人で過ごすことは、それ自体がこの街とこの街に流れる時間を素晴らしいものにするスパイスになる。そういう「孤独」がこの世界にはある。日本から遠く離れた、夜の短いこの街に。
自由は何らかのネガティブな感情と引き換えに得られるものではない。
ネガティブな感情とトレードオフされた何かは、つまるところネガティブな何かにしかなりえない。
もしそういうものを自由と呼ぶのだとするならば、それはおそらくは「自由」という肌触りのいい言葉で注意深く覆いかくされた、少し悲しいなにか別のものなのだ。
はじめまして。
前から気になっていたのに何故か読んでなかったこのブログを昨夜から読んでます。
どうして今まで読んでなかったんだろうと後悔するくらい言葉の一つ一つがとても素直に心に響いてきます。旅の風景とともに。
この先もこれから読みたいと思います。
ついしん 6月にクロスロードに行きますがいらっしゃるんでしょうか?
はじめまして。お読みいただいてありがとうございます。
読者の方の顔が見えない状態で「こんな感じでいいんだろうか?」と模索しながら書いているので、メッセージ本当に嬉しく拝読しました。本当にありがとうございます。
もう1年以上、少し先のことがわからない(決まっていない)という生活を続けているので、6月に自分がどこにいるのか、正直わかりません(笑)もしかしたら引き続きクロスロードで文法の授業をさせてもらっているのかもわからないですし、旅に出ているのかもしれないし・・・。
でもいつかどこかでお会いできたら素敵ですね。
今後とも、セカパカをどうぞ宜しくお願いします(^ ^)
じっくりじっくり、今ここです。読む世界一周、毎日仕事終わりに楽しませていただいております。
はしまきさんありがとうございます。今後とも宜しくお願いいたします!