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本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記【第14話】(前回)はこちらから。
5−2 チリ・イースター島
絶海の孤島、繁栄の面影
モアイ像で有名なイースター島はとても穏やかな島だ。
僕が宿泊していたゲストハウスは海岸線沿いの舗装路に面して敷かれた青々とした芝生がとても印象的な宿泊施設で、庭先にはカウチソファが並べられ、飽きるまで海と空を眺めることができた。イースター島に到着したその日、そして二日目は終日そうやって時間を過ごした。食料は十分に買い込んであったので、お腹がすくとキッチンでパスタをゆでて食べた。お腹がいっぱいになれば昼寝をして、夜になれば海からの夜風に吹かれながら波の音を聞いて過ごした。
周囲を海に囲まれた小さな島であるにも関わらず、ここで新鮮な魚介類を手に入れるのはなかなか難しい。だからスパゲッティを茹でる時はいつも野菜を中心としたパスタをこしらえることになる。とはいえ玉ねぎとにんにくをふんだんに使ったトマトソースが関の山だ。ローリエはある。そこにアンチョビやツナの缶詰を加える。チリ本土のスーパーで安く購入しておいたものだ。
すぐそこに海があるにも関わらず、およそ4000kmも離れたチリの本土で製造された海産物の加工食品をわざわざ運んできて調理するというのはなんだかすごく無駄の多い営みのような気もするのだが、世界はエネルギーの蕩尽を前提として成り立つ経済によって回っているのだ。
そんなマクロな話を持ち出すまでもなく、島のスーパーやグローサリーストアで売られているホールトマトの金額を事前に知れば、嫌でもみんな本土から各自自前の食料品を持ってこざるを得ないだろう。
そもそも島を取り巻く海底の地形が漁港には不向きだったようである。イースター島にたどり着いた海の民(それはルーツを台湾に有するポリネシア人だったようだ)は食料自給の手段として漁業を選択することはなく、もっぱら農業によって日々の糧を得ていた。原始的な部族社会ならいざ知らず、モアイ像を製造できるような高度な文明を有する社会である。そこには統べるものと統べられるものが存在し、文字があり、計画的な農業があって、そして部族間の闘争があった。(※1)
モアイを製造するために人々は島の木という木を切り倒し、結果的に土壌は痩せて農耕には不向きになって行く。そのような土地で、一旦計画的な食料生産によって爆発的に増加した人口を維持することはできない。それでも古今東西、地球上のあらゆる場所で行われてきたように、人々はそのような環境の破壊を簡単に止めることはできなかった。そして1722年の復活祭(イースター)の日にこの島がオランダ人によって「発見」されたことを機に、この島の稀有な運命は大きな転換を迎えることになった。(※2)
見渡す限り広がる草原とその後ろに穏やかに広がる太平洋を見ていると、そのような悲運や、いささか血生臭くもある歴史を想像することはとてもではないけれどできない。けれど島全体に広がる草原は、紛れもなく木が切り倒されたせいで土壌の養分が海に流出した結果農耕に適さなくなった土地の残滓であり、倒されて目玉を抜かれたモアイ像は部族間の熾烈な闘争によって打ち捨てられた巨石文明の残骸である。(※2)
そのことがどうしても僕には信じられなかった。穏やかに草を食む牛や馬の群れを見ていると今も昔もこの島はこのように平和で穏やかな姿であり続けたということに疑問を挟む余地はないように思われたのだ。
午睡から覚めて、特に目的もなくぶらぶらと海岸線沿いを歩く。あるところではサーフィンを楽しむ人がいて、ある場所ではダイビングを楽しむ人がいて、その先のビーチでは海水浴や日光浴を楽しむ人々がいる。所々にモアイ像が立っている。海に背を向けるように立っている。そういうのを見るともなく見ながら歩いているうちに、モアイ像の背後の海に夕日が沈んで行く。さっきまで高かった日が沈んでゆく。その水平線の向こうに、僕がいろんなものを置いて出てきた日本がある。そんなことを思いながら歩く。
日本においてきたもの
この時に書いた日記を読み返して見て思うのは僕が日本においてきたものの「小ささ」である。僕が思い切って捨ててきたと思っていたものはあまりにも小さくて些細なものに過ぎず、様々なものを「犠牲」にしてまで守らなければならないような種類のものではなかったと今となっては思う。銀行口座に毎月振り込まれるサラリーや、他の労働者に比べて少しだけ多い有給休暇。少しだけ豊かな福利厚生。ちょっとだけ高価な服や靴。たまにしか会わない友達。たまにしか会えない家族。
それらを手放してはならない、一度手放してしまえばもう元に戻ることはなくて、後に残るのは惨めな生活だけなのだという強迫観念のようなものから日々の生活を構築している自分がいた。結果的にはそういうものに逆に絡め取られてがんじがらめになっていた自分がいただけだ。僕が大事だと思っていたそれらのものが僕を幸せにしてくれるというのは一種の幻想だったという訳だ。
もちろん労働や家族や、物質的な豊かさや月々のサラリーを否定するつもりはない。
けれどこの島に流れるたおやかな空気、時間はそういうことをある意味相対化してくれる。もう少し直接的にいうと「そんなことはどうでもいいじゃないか」と思わせてくれる。世界中にはそういう場所が至る所に点在していて、世界中の旅人を現実からの束の間の逃避行へと誘ってくれる。多くの場合、そのような逃避行の後には現実が再び僕たちを絡め取るべく待ち構えているのだが、その時の僕には当然戻るべき日常のようなものはない。従って、イースター島は僕が訪れた旅の中で最高の場所の一つということになった。
未来はいつだって予測不可能だ
もちろん滞在中ずっとそうやって日がな一日何もせずに過ごしていたわけではない。イースター島を思い出深い場所の一つにしてくれた理由の一つが、ここを一緒に旅した仲間である。巨大なモアイ像も、太平洋の大海原に沈んでゆく夕日もラノ・カウの絶景も素晴らしいものであったのだけれど、それらを目にした時の感動をシェアできる仲間がいたということが、この島での経験をかけがえのないものにしてくれた。
旅はどこに行くかではない、誰と行くかである。
そのことをつくづく実感したのがこの絶海の孤島、イースター島で過ごした五日間だった。
その日は朝からレンタカーを借りて、バルパライソの「汐見荘」で出会った女の子三人に、彼女たちと同宿の女性一人を加えた四人と僕で島内を周遊した。ほんの数時間もあれば一周できてしまうくらいの小さな島にモアイ像が点在している。それだけのことなのだが、ずっと一人で旅を続けていた僕にとって、旅先で誰かと一緒に時間を過ごすのは本当に新鮮だったし楽しかった。
些細なことも意味のあることに思えたし全ての経験がかけがえのないものになるように思われて、一瞬一瞬を大切にしたいような、しなければならないような気がしていた。
そんな大切にしたい瞬間の中の最たるものが、頭上に広がる夜空を眺めていた時のものだった。
今目の前にあるものを全力でエンジョイする。そういう習慣があの時の自分の中では廃れてしまってもう随分長い年月が経ってしまっていたように思う。将来のために、未来のために、今この瞬間から得られる愉悦を少しだけ我慢する。来るべき未来をより良いものにするために今を少しだけ犠牲にすることは、人間と他の霊長類を分かつ能力の一つである。
けれど同時にこうも思う。「過去にならない今」がないのと同様に「未来にならない今」もまたないのだと。何かを犠牲にして過ごした時間の集積が未来になってゆくのだとしたら、そのようなネガティブなマインドによって形作られた未来もまたネガティブなものにしかなり得ないのではないのかと。
そして旅に出るまでの自分の日常は、概ねそういうものではなかったのかと。
とっぷりと日がくれたイースター島を漆黒の闇が包み込もうとしている。海から吹く風の音と絶え間なく寄せては返す波の音。海風に乗って運ばれてくる潮の香りが心地いい。海ってこんなにいい匂いがするんだな。そんなことを思う。そして頭上には満天の星空が広がっている。
少なくともこの時まで僕にとって星空は静寂のうちで眺めるものだった。人里離れた山奥で、あるいはアルプスの稜線の上で。だから潮騒に包まれて仰ぎ見る天の川というのは初めてで、五感を刺激するすべてが心地よくて、ずっとこんな時間が続けばいいと願わずにはいられなかった。それをシェアできる仲間がいることが本当に幸せだった。
イースター島にきて、モアイではなく星空に感動するなどということをついぞ想像することはなかった。旅はいつも予測不可能なことに溢れている。予測不可能な出来事にあふれている営みのことを「旅」というメタファーで語ってもいいのではないかというくらいだ。
そして星空に関して言えば、このあと訪れたウユニ塩湖で見た星空が、この時イースター島で見た星空の美しさをはるかに上回るものであったということもまた、全く予想外の出来事だった。全くもって未来はいつも予測不可能なことであふれている。いやむしろ、予測不可能性に満たされた時間のことを未来と呼ぶのかもしれない。
僕たちが豊かで奔放であると思っている想像力なんて、未来という予測不可能な現象の前では本当にちっぽけで儚いものにすぎないのかもしれない。そんな未来のことを思い悩んで肩をすぼめてどうにか日々をやり過ごす。あるいは未来のために、いまそこから得られるはずの感動や快楽を我慢する。多分それが「生きる」ということの一つの重要な側面なのだ。
もちろん刹那的な生き方を良しとするつもりは毛頭ない。ただ、一様に耐えること・我慢することそのものを是とするような価値観に対しては、果たしてそれが将来どのような意味を持つことになるのかについて、もう冷静に少し考えてみてもいいのではないか。どこまでも続く草原をそよぐ心地いい潮風を感じながらそんなことを思っていた。なにせ世界はこんなにも広くて刺激に満ち溢れているのだ。
(※1)『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド著 草思社
(※2)これは現地のガイドさんから英語で聞いた情報です。もし誤りがあればそれは僕の貧弱な英語力のせいです。どうぞご容赦ください。
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