こんにちは。
今回は連載企画「”魂が震える”世界史の授業」の第6回目です!!
【連載!”魂が震える”世界史の授業】とは・・・
この連載企画の主人公は・・・元世界史教師のまえてぃー。
世界史の先生をしていた時、ふと思いました。
世界史の教科書って、教科書じゃなくガイドブックとして使ったら最強じゃない?
- 世界地図は載ってる。
- 今では世界遺産になってる場所がたくさん載ってる。
- 何より先人たちの歩んだ道のりがスゴかった!!
そして、ただ今、教科書片手に世界周遊をしています。そんなわたしが、ゾクゾクっと来た・・・まさに”魂が震える”ほどの衝撃を受けた場所について授業をするのがこの連載企画!!
第一回目は、カンボジアのアンコールワット。
【連載】生きる活力を感じよう!まえてぃーが教えるアンコールワット
第二回目は、キリングフィールド。
【連載】眼鏡をかけてたら殺される?300万人が大量虐殺されたカンボジアの悲しい過去
第三回目は、ベトナムの戦争証跡博物館。
【連載】戦争賛成!の世論を変えたベトナム戦争でジャーナリストが伝えたこと
第四回目は、スリランカのシギリヤロック。
【連載】シギリヤロックの悲しき王から学べ!自ら心を開く大切さとは?
そして、第五回目は、ボスニアのサラエボでした。
【連載】そこに愛があれば、苦難は乗り越えられる!ボスニアであった2つの恋物語。
さて、今回はどこで魂が震えたのでしょうか!
「ぼうけんをはじめますか?」
「はい!!」
目次
まえてぃーが思っていること
努力がすればするほど報われたり、どんな困難なことがあっても、その先に必ず幸せが待っていると約束されるなら、大抵のことは頑張れると思う。
辛くなった時や何かを諦めた後で、まえてぃーはいつもこんなことを思っていました。
でも現実にそんな約束は全くなくて、努力がいつも報われるとは限らないし、困難なことはいつ終わるかも分からない。
どんな終わりを迎えるかも分からない。
私たちはみんな、そんな現実や人生という未知の毎日を生きています。
時に嫌気がさして投げやりになったり、誰かと比べて自信を無くしたり、出来ない自分を避けて挑戦することすらやめてしまったりする。
そんな経験は誰もがあるのでは無いでしょうか。
しかし、戦後最大の民族紛争を経験したボスニア。
多くの犠牲、焦土とかした街並み、枯れることのない悲しみや憎悪。
復興は困難とさえ言われたこのボスニアから、立ち上がる力強い命たちがあります。
まえてぃー、ボスニアで魂が震えた!
こんにちは!
旅での歴史は出会い、歴旅中のまえてぃーです。
今回の歴旅は、前回に引き続きボスニアの首都、サラエボ。
「紛争を悲しいだけじゃ終わらせない」
若い力が生み出す新しい“伝えるカタチ”
そのカタチにふれる時、きっとあなたの魂は震え、挑戦する心と諦めない心を呼び寄せてくれます。
ぜひ最後まで読んでください。
34年前、サラエボでオリンピックが開催された
今世界では冬季オリンピック・パラリンピックの真っ只中ですね^_^
選手たちの全力でプレーする姿、結果に対する喜びや悔しさは、見てる私たちの心に大きな感動を与えてくれます。
そんな冬季オリンピックがここ、サラエボでも行われました。
1984年サラエボ冬季オリンピック。
記憶にある方もいらっしゃると思いますが、残念ながらまえてぃーは1歳。
全く記憶にはありません。
しかし、今でもここサラエボにはオリンピックキャラクターのグッズが売られていたり、オリンピック博物館があったり、記憶にはないものの、オリンピックがそこで開かれたという空気を感じることができます。
サラエボオリンピックのキャラクター“ブチコ”
伝説のオオカミです✨
ここで、一枚の写真をご覧ください。
とても広い墓地がサラエボの街のど真ん中にあります。
実はここ、もともとはオリンピック会場だったんです。
後ろに立っているのがオリンピックの記念塔です。
なぜ、オリンピック会場が墓地に変わってしまったのか?
オリンピック開催からわずか8年後に起こったボスニア紛争。
前編でもお伝えしましたが、1992年から1995年にかけてボスニアでは戦後最大と呼ばれる民族紛争が起こりました。
そしてあまりの遺体の数に墓地が間に合わず、このオリンピック会場跡も使われました。
墓地にいた守衛さんに写真を撮らせてもらっていいかと質問すると、“いいよ いいよ”と言ってもらったので、数枚撮らせてもらいました。
オリンピック開催からわずか8年後。
いったい誰がオリンピック会場が墓地になることを想像できたでしょう。
お墓の多くは紛争のあった1992~1995年で時が止まっていました。
まえてぃーと同い年の子もいました。
その子はわずか12歳で時が止まっていました。
この子の時が止まった時、私は小学校6年生。
みなさんと同じ年の命も、きっとあると思います。
2020年の東京オリンピック。
まえてぃーは楽しみで仕方がありません。
けれどその8年後。
2028年の日本がどうなってるのか。。。
今はちょっと不安の方が大きいような気もします。
しかし、ボスニアは悲しいだけじゃ終わっていなかった!!
それから約20年。
なんとここには!
とってもキラキラとたくましく成長した若者達が一生懸命生きていました。
そして、今を、これからを生きる私たちに大切なメッセージを届けてくれています。
今回は2つの場所をご紹介します。
これを見た後、あなたの魂はブルブルと震えまくるでしょう。
「ギャラリー11/07/95」で魂が震えた!!
まずご紹介する場所は旧市街地のとあるビルの中にあります。
どこかちょっと不安にもなりますがエレベーター乗って降りると。
これが1つ目の魂の震える場所の名前です。
11/07/95とは日付のことです。
一体何の日付けなのか。
それは…
「ジェノサイド」
ジェノサイドという言葉を聞いたことはあるでしょうか?
「ある人種や民族を計画的に絶滅させようとすること。集団殺害。集団殺戮」
(デジタル大辞泉より)
まさにこの日(前後)、サラエボではジェノサイドが起こっていました。
ジェノサイドはなぜ起こってしまったのか?
そもそもこの民族紛争はなぜ起こったのか…。
詳細はながーーーくなるので割愛させていただきますが、当時ボスニアはユーゴスラビアという国の一部でした。
しかし、ユーゴスラビアから独立を掲げる際、ボスニアに住んでいたセルビア人とボスニャック人でいざこざが起こるようになりました。
最初は意見の違いでした。
しかし徐々にエスカレートし、同じ職場で働いていたにも関わらずどちらかの民族が一斉に辞めたり、近所同士仲良くしていたのに近寄らなくなったり、罵声を浴びせ合うようになり、殺し合うようになってしまいました。
民族の持つ文化や宗教。これまでの歴史や諸外国との関係…たくさんの理由が重なり合い、紛争という悲劇を生み出してしまいました。
さて、このサラエボで起こったジェノサイド。
セルビア人勢力によるボスニャック人に対する集団殺害でした。
そして、ボスニャック人達を襲った悲劇
首都サラエボからバスで3時間程。
スレブレニツァという地域があります。
当時ここにはセルビア人勢力に追いつめられたボスニャック人達がいました。
事態を重くみた国際連合(以下国連)は、この地域に国連兵を送り、非戦闘地域とし彼らを保護しました。
しかし、悪化する情勢、増え続ける避難民に、もうこの地域にはいられない!ということで避難民の輸送を提案します。
するとあろうことかこの輸送はセルビア人勢力が行うことになったのです。
そこで訪れた運命の日。
輸送されるボスニャック人達はセルビア人勢力によって選別されます。
男性はこのバス。
女性と子どもはこのバス。と。
みな直感的に気づいたそうです。
『あぁ、男性たちは“殺される”』と。
安全地帯に輸送された女性たちはみな男性の到着を待ちます。
しかし、
男性達がその場所に来ることは永遠にありませんでした。
約8000人のボスニャック男性が殺されてしまいました。
これが「スレブレニツァの虐殺」と呼ばれる歴史的事件です。
ギャラリーの写真はどれも訴えかけるものだった
このギャラリーは若きクリエイター達がこのジェノサイドを自分たちの視点で表現した場所です。
写真はどれもモノクロでした。
写真不可のため販売していたポストカードからあなたの魂に語りかけたいと思います。
掘り起こされた遺体が並ぶ様子。
ジェノサイドの主な現場となった工場跡に安置された。
掘り起こされた遺体の手を支える作業員の手。
遺体が本人のものかDNA鑑定をするために採血する家族。
無力感にさいなまれた国連兵が書いたとされる壁の落書き。
当時派遣された国連兵はオランダが主な派遣国でした。
現場の状況に合わない少数の国連兵。
避難先の工場内は避難民で満員。
外にも数万人の避難民が待機。
そして金網のすぐ先には敵対勢力の兵士が銃を持って威嚇。
いつ衝突が起こるか分からない状況下での任務は、きっと私たちの想像を絶する。
(UNはUnited Nation 国連。それを皮肉った落書き。)
モノクロで色がないからでしょうか。
1枚1枚の写真が心に何かを訴えます。
オシャレで「入りたい」と思えるミュージアム
この他にもコカコーラ社やオリンピックのロゴ、映画のポスターなどをアレンジした展示がカラフルに展示してあり、「虐殺ってこうですよ!」という一方的な伝え方でなく、私たち1人ひとりが自分の頭で想像できる工夫がされています。
10分程度の短編映画の上映もあります。
不謹慎かもしれません。
ですが、、一言で言うと
“オシャレ”なんです。
入ってみたいと思えるんです。
そして、入った後、今を生きる大切さに気づけたり、これがフィクションではなく現実だということに気付かされたりするのです。
また、「いつでも私たちはこの歴史を繰り返すことができる」という危機感を持たしてくれます。
受付には若いスタッフが数人感想を求めに来てくれます。
自分たちがどんな想いを持ってどんな方法で表現しようとしたかを熱意を持って伝えてくれます。
これが1番心に残る時間でした。
「戦争」なのに重くない、未来が明るいことを伝えてくれる
まえてぃーはこれまで戦争博物館を訪れる時、ある意味「覚悟」が必要でした。
怖いものを見るような覚悟…悲しい出来事を受け入れる覚悟…。
でも、“そんなの必要ないさ”
“もっと気軽に来てくれよ”
“僕らは未来の方が大事だから”
ここで感じた「圧倒的な未来」。
どんな悲観的な状況があったとしても、未来を見ること、より良い未来が来ると信じて挑戦し続けること、そして、自分たちが明るい未来を引き寄せるのだという自信。
そんな気持ちの中で生み出されたこのギャラリー。
紛争を新しいカタチで伝える彼らと関わる時間を、旅の中で持ってみるのもいいのではないでしょうか??
きっとあなたの「未来は明るい!」。
そう思わせてくれると思います。
「この現場、今でも見れるよ」
話をしていた1人のスタッフが教えてくれました。
これは予想外の展開・・・
「スレブレニツァ虐殺メモリアル」で魂が震えた!!
サラエボからバスで3時間。
のどかな田園風景が続きます。
そこに突如現れる大きな墓地。
ここが、「スレブレニツァ虐殺メモリアル」
見渡す限りのこの墓地に、スレブレニツァの虐殺で亡くなった約8000人の方が眠っています。
8372…となっているのは、これまでにDNA鑑定を終え、身元が確定された方のお墓があるということで、今後さらに増えることが予想されるからです。
実際に虐殺に使われていた工場はまだ残っていた
墓地の向かいには当時国連が使っていたビルと、避難先と虐殺に使われた工場が今もそのまま残っています。
予想外のしっかりした作りに、どうしてこれまで知らなかったのかと思いました。
国連軍のビルは紛争の歴史や当事者のインタビュー、その後の裁判の様子などがパネル展示やビデオ上映を通し学ぶことができます。
そして、ただの「歴史」としての瞬間ではなく、、、
捕まった男性が仲間を森からおびき出すよう指示され絶叫するシーン。
列に並ばされた男性たちが順番に殺されるシーン。
その処理をさせられるシーン。
死を間近にしたその表情。
しぐさ。
目。。。
別の場所に連れて行かれそうになる父親や夫を必死に止める女性たちの姿。
お父さんの服を離さない子どもたちの姿。
必ず会えるからと優しく諭すお父さんの姿。
母さん心配しないでと呼びかけるまだ若い青年の姿。
フルカラーの映像で残る過去の現実に、
耳を塞ぎたかった。
目を背けたかった。
足がすくんで動けなかった。
そこで感じたのは、悲しみではなく恐怖。
自らビデオのスイッチを切るシーンもありました。
そして虐殺が行われたという工場内。
その空気は…
とても冷たく重いものでした。
来ないほうが良かったかもしれないと思いました。
この絶望的な現実と向き合うことの重要さを知った
でも工場内を案内してくれたおじさんが、1枚の写真を見てほしいと連れて行ってくれました。
それがこちら。
殺された男性の中に大切な人がいた女性だそうです。
自ら命を絶たなければならなかったほどの絶望。
悲しみを通り越した絶望を感じました。
でもその心に、寄り添う心を持ちたいと思いました。
それは、ここで働く人たちや、住んでいる人たちから、
「来てくれてありがとう」「またいつでも来てね」
という言葉に、本当に来て知れて良かったと思うと同時に、この現実と向き合い、力強く伝えようとしている人たちに、
「私が悲しんだり怖がってる場合じゃない」と感じたからです。
それこそがこの地からもらった生きる勇気であり、今、この記事を書くことができています。
この記事を読んだ人が、このスレブレニツァを訪れ、歴史から学び、絶望ではなく生きる勇気をもらえるきっかけになればと思います。
まだまだ魂が震える場所は続きます。
衝撃的だったサラエボ、まだまだ魂が震えた場所があります。それは次の記事でご紹介したいと思います。
つづく・・・
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