こんにちは。
今回は連載企画「”魂が震える”世界史の授業」の第5回目です!!
【連載!”魂が震える”世界史の授業】とは・・・
この連載企画の主人公は・・・元世界史教師のまえてぃー。
世界史の先生をしていた時、ふと思いました。
世界史の教科書って、教科書じゃなくガイドブックとして使ったら最強じゃない?
- 世界地図は載ってる。
- 今では世界遺産になってる場所がたくさん載ってる。
- 何より先人たちの歩んだ道のりがスゴかった!!
そして、ただ今、教科書片手に世界周遊をしています。そんなわたしが、ゾクゾクっと来た・・・まさに”魂が震える”ほどの衝撃を受けた場所について授業をするのがこの連載企画!!
第一回目は、カンボジアのアンコールワット。
【連載】生きる活力を感じよう!まえてぃーが教えるアンコールワット
第二回目は、キリングフィールド。
【連載】眼鏡をかけてたら殺される?300万人が大量虐殺されたカンボジアの悲しい過去
第三回目は、ベトナムの戦争証跡博物館でした。
【連載】戦争賛成!の世論を変えたベトナム戦争でジャーナリストが伝えたこと
そして、第四回目は、スリランカのシギリヤロックでした。
【連載】シギリヤロックの悲しき王から学べ!自ら心を開く大切さとは?
さて、今回はどこで魂が震えたのでしょうか!
わたしがどんな人か詳しく知りたい方はこちらを見てみてください!!
「ぼうけんをはじめますか?」
「はい!!」
目次
まえてぃー、ボスニアにたどり着いた
こんにちは!
旅での歴史は出会い、歴旅中のまえてぃーです。
さてみなさん、この線をご覧ください。
MEETING OF CULTURES と書かれてあります。
文化の出会う場所。
そう、実はここは異なる文化の出会う場所。
文化の国境とでも言えるでしょうか。
一方を見れば
そしてもう一方を見れば
いかがですか??
一方ではヨーロッパな雰囲気。
もう一方ではオリエントな雰囲気がしますよね。
これ、本当にこの線一本隔てただけで変わるんです。
さて、そんな文化が交わるこの場所はどこかと言うと…
まえてぃーは今、「ボスニアヘルツェゴビナ」にきていまーす!!
ついに、2018年!今年も魂を震わす旅をします!
あっというまに2017年が過ぎ新しい年になりましたね。
みなさん、いかがお過ごしですか??
新年を迎える時、「昨年はこんな年だったなぁ」とか、「今年はこんな年にしよう!」とか、1年という時の流れについて、新たな思いを抱いたり、時に反省をしたりしますよね。
当然、歴史たちの中にも今の皆さんと同じように、それぞれの思いを持った人々が生きていました。
ついつい学校では、〇〇年に△△が起こって…など「事件」や「出来事」に目を向けてしまいがちですが、旅をし、彼らのゆかりの地に足をつけることで、彼らの想いがあなたに語りかけてきます。
旅ではそんな時間を過ごしてほしい!!
そしてどんどん魂を震わしてほしい!!
今回の魂が震える話は、男女の愛の物語だ!!
今回ご紹介するのは、そんな激動の歴史の1ページを生きた2組のカップルの話。
ぜひ、大切な人を思い浮かべながら読んでみてください。
このボスニアは大きく分けて2つの戦争を経験しています。
1つは第一次世界大戦。
そしてもう1つは民族紛争。
これら激動の中に、いったいどんなカップルがいたのでしょうか・・・?
ちょっと勉強っぽく始まります。
1組目のカップル~身分違いの恋~
1組目のカップルが生きた”時代”とは・・・?
世界中を巻き込んだ戦争は、これまでに2度ありました。
1つは私たちもよく知っている“第二次世界大戦”。
日本・ドイツ・イタリアがイギリスやフランス、そしてアメリカと戦った戦争です。
学校で学ぶだけでなく、ドラマや映画を通しても私たちは目にすることが多い歴史です。
でもみなさん、考えたことないですか?
第二次世界大戦があるのなら、第一次世界大戦もあるはずだ…と。
そう、1914年に第一次世界大戦は起こりました。
でも日本が参戦していなかったこともあり、私たちはあまり興味を持つこともなければ、知る機会もほぼありません。
しかし、第一次世界大戦は軍事技術に革命がもたらされ、戦車や飛行機での空襲、はたまた毒ガスなどの大量殺戮兵器が次々に登場かつ使用され、亡くなった人の人数も大幅に増えた戦争でもあります。
そして、この言葉をみなさん聞いたことはありませんか?
“ヨーロッパの火薬庫”
あー、聞いたことあるけどなんだっけ!?の人。
いや、全く知らないって人も大歓迎。
ボスニアのあるバルカン半島という地域は、イギリスやロシア、ドイツにハンガリー・オーストリア、イタリアの5カ国が抑えあい、民族間や互いの利害などから様々な衝突が起こり、いつ大爆発してもおかしくないことから“ヨーロッパの火薬庫”と呼ばれていました。
第一次世界大戦は、ここボスニアで始まった
そして起こった第一次世界大戦。
世界大戦をの引き金となった事件が起こった場所が、
ここ、“ラテン橋”。
なんとも穏やかそうなこの場所。
ボスニアの首都“サラエボ”。
その旧市街から徒歩5分の場所に、このラテン橋はあります。
1914年6月、サラエボを訪問中のオーストリア・ハンガリーの王位継承者夫妻が、セルビア人青年により暗殺されるという事件が起こります。
これを“サラエボ事件”といいます。
この事件をきっかけにオーストリア・ハンガリーはセルビアに戦線布告、諸外国を巻き込んだ世界戦争へと発展していきます。
が、まえてぃーの歴旅。
今回は第一次世界大戦についてはふれません。
まえてぃーが触れたい&ご紹介したいのは
“オーストリア王位継承者夫妻”
教科書にも彼らは「オーストリア王位継承者夫妻」とだけ書かれてあり、個人名もどのような人物だったのかについては書かれてありません。
王位継承者ってだけあって、偉そうな人物だったのか、または絵に描いたような優雅な貴族だったのか、はたまた暗殺されるだけあって憎まれるような人柄だったのか、、、
気になって調べた時、そしてこの地に足を運んだ時、事実は自分の想像とは全くかけ離れた所にあるのだと気づきました。
身分を超えて。フランツとゾフィー。
オーストリア・ハンガリー帝国王位継承者フランツ・フェルディナント(以下フランツ)とその妻ゾフィー。
フランツは当時の皇帝の甥っ子でしたが、皇帝の息子(皇太子)が死んでしまったので、甥っ子のフランツに皇太子の座が回ってきていました。
そして、フランツにはすでにその時、想いを寄せ合う恋人、ゾフィーがいました。
そしてそのゾフィーはなんと貴族でもなければオーストリア・ハンガリーの人間でもない、チェコ人で女官(お手伝いさん)だったからそりゃもう周囲は猛反対。
当時は階級や身分というものが最大に重要視されていたため、皇帝はフランツに
「皇帝の座が身分の低い女との恋かどちらをとるのか」
と詰められます。
フランツの答えは決まっていました。
「両方」
フランツしか跡継ぎがいないこともあり彼は強気な発言ができたのかもしれませんが、なかなかの男前ですね。
そして2人の結婚はある条件のもとに認められました。
その条件とは、
- ゾフィーには皇族としての身分は与えない。
- 公式の場では常に末席または出席させない。
- 生まれた子どもにも王位継承権は認めない。
とにかく王家の流れに引き入れたくないという強い気持ちは伝わる内容です。
したがって、フランツも皇太子、とは呼ばれずあくまでも皇位継承者として呼ばれるようになりました。
2人はこの条件を受け入れ、見事に結婚します。
結婚式でさえ他の皇族はほとんど出席しない質素なものでした。
でも、2人は共にいることだけで幸せでした。
地位や身分、他人からの誹謗中傷にも打ち勝てるほど、互いを思い合う気持ちが強い2人でした。
そして、4人の子どもたちにも恵まれ、穏やかに生活していました。
身分は違えど、幸せな結婚生活を送っていた二人に悲劇が・・・
そんな2人を悲劇が襲います。
1914年6月28日、サラエボを訪問していた2人を銃弾が襲いました。
撃たれた時、2人はまだ息がありました。
しかし、病院に運ばれるまでの間に2人の時は止まったのです。
「あなたはまだ死んではいけない」
「子ども達の為にも生きなければ」
病院に運ばれるまでの間、妻ゾフィーは自らも負傷しながら夫を励まし続けました。
身分の差を乗り越え、地位も名誉も放棄した2人が迎えた最期はとても悲しいものでした。
何が偉そうな人物、何が華やかな貴族、何が暗殺されるような人柄…。
反省してもしきれないほど、2人の人柄は優しさと愛に溢れていました。
そして、そこから世界を巻き込んだ戦争に発展。
穏やかな日々だけを望んだ2人は、この歴史を見てどう思うのでしょうか?
皮肉にもこの6月28日は2人の結婚記念日でした。
今でもラテン橋では、当時の面影を感じられる
近くにはとても小さいですがミュージアムもあり、犯行に使われたピストルや犯人が当時立っていた場所の足型も展示してあります。
何も知らずに行くと「あんまり面白くないなぁ…」と思うがっかりポイントかもしれませんが、これを読んだみなさんは2人の思いを受けとれるはず。
橋の上に立ち、川の流れを見ながら2人に思いを馳せるはず。
ぜひこのラテン橋とミュージアムで、2人の想いに心を寄せて見てください。
そして、あなたの言葉を伝えてあげてください。
2人は交際を秘密にしていました。
しかしうっかりフランツがゾフィーの肖像画が入った懐中時計を忘れてしまったことで発覚。
秘密の恋と時計に好きな女性の肖像画を入れて持ち歩くなんて、なんともステキな2人でした。
2組目のカップル~敵対する民族同士の恋~
そして、今回はまだ終わりません。
歴史とは繰り返されるものなのか・・・。
ラテン橋から1キロほど離れたところ。
ブリュバニャ橋という橋があります。
次は、ここが舞台となります。
2組目のカップルが生きた”時代”とは・・・?
フランツとゾフィーの2人が銃で狙撃された年から78年後。
ボスニアではこれまでには類を見ない大規模な民族紛争が起こりました。
当時のボスニアはユーゴスラビアという国に属しており、セルビア人、クロアチア人、ムスリム人の3つの民族が平和に暮らしていました。
しかし、独立運動を境に関係が悪化。
中でも特にセルビア人とムスリム人との関係は熾烈を極めました。
つい最近まで仲が良かった友達、同僚、近隣の住民同士が武器を向け合い殺しあう仲に変化してしまったのです。
サラエボの多くはムスリム人で、セルビア人はサラエボを離れていきました。
ムスリム人の残ったサラエボは、周囲を山に囲まれた街で、その山々をセルビア人勢力に支配されててしまいました。
つまり、街の中に閉じ込められたのです。
そして、それだけではなく、昼夜問わず山から街をめがけて砲弾が飛んできました。
男性も女性も、大人も子どもも関係なく狙われました。
彼らはスナイパーと呼ばれ、無差別に市民を狙っていました。
学校へ行く時、仕事へ行く時、買い物や犬の散歩をする時も狙われ、外部からボスニアに入ることもできないので、食料の供給もままならない日々が、実に4年も続きました。
民族の違いを超えて。ボシュコとアドミラ。
そんなボスニアにとある男女のカップルがいました。
女性のアドミラはムスリム人。
男性のボシュコはセルビア人。
16歳の頃に出会った2人は恋に落ち、たとえ互いの民族が違っても、2人の関係は変わりませんでした。
セルビア人のボシュコの家族はボスニアを離れましたが、ボシュコはアドミラと生きるためにサラエボに残りました。
しかし、セルビア人であるボシュコには周りのムスリム人から疑いの目が向けられ、スパイ容疑がかかったのです。
スパイ容疑がかかることは警察に逮捕され、殺されることを意味します。
ボシュコはサラエボを脱出する決意をします。
そして、今度はアドミラがボシュコと生きるためにサラエボをボシュコと共に離れる決意をします。
ムスリム人である彼女がセルビア人の所に行くのです。
相当の覚悟がないとできることではありません。
ボシュコとアドミラは外に出るための唯一の手段であるブリュバニャ橋を渡りサラエボからの脱出を試みます。
ブリュバニャ橋は両陣営が狙いを定める最も危険な場所。
しかし、ここを通らなければ外に出ることはできません。
ボシュコはスナイパーと精通しているマフィアに自分たちを撃たないように手を回しました。
そして決行の日、ボシュコはアドミラに声をかけます。
「僕が撃たれても近寄っちゃいけないよ、すぐに引き返すんだ」
ブリュバニャ橋を完全に渡りきる距離は約50メートル。
2人は走りました。
そして、
銃声が響きボシュコが撃たれました。
即死でした。
アドミラはボシュコが言った約束を守れませんでした。
撃たれたボシュコに走り寄ろうとしたところ、再び銃声が響き、アドミラも撃たれました。
しかしなんとか這ってアドミラはボシュコの側まで行き、彼の腕を握りしめて息絶えました。
2人は寄り添うように、橋の上で息絶えたのです。
この場所は両陣営のスナイパーから狙われる場所ということもあり、結局どちらの陣営が撃ったのか解明はされませんでした。
さらに、彼らに限らず、遺体の回収はスナイパーに狙われにくい深夜から早朝にかけて行われていましたが、彼らの遺体は回収することが難しく、実に1週間もその場に放置されました。
彼らの存在はボスニアでもよく知られ、現代のロミオとジュリエットと呼ばれることもあります。
でも、これは現実です。
実際にブリュバニャ橋で、悲しい歴史を感じた
ただ純粋に想いあった彼らの死を、ただの悲恋の物語として終わらしたくない。
まえてぃーはこの橋の上に立つことでそう思いました。
”違い”は”間違い”じゃない。二組のカップルから学んだこと。
いかがでしたか?
今回の2組のカップルの話。
様々な障害を乗り越え、それでも2人で生きようとした意思を、そして散っていった思いを、ぜひ旅の中で感じて見てください。
まえてぃーは、散った命に新しい命を加えることが、生きてる人間にはできると思っています。
フランツとゾフィーからは身分の違いなんて超えられるということを、ボシュコとアドミラからは民族の違いなんて超えられるということを、つまり、たとえどんな違いがあったとしても、越えられない違いなんてないということを私たちに教えてくれている気がします。
“違い”は“間違い”なんかじゃない。
それを知った時、きっとあなたの魂は震える。
次回予告
次回、ボスニア(後編)、紛争は悲しみだけでは終わらせない!!
若い世代が伝える新しいカタチ。
世界は希望で満ちています!!
前回の記事
【連載】シギリヤロックの悲しき王から学べ!自ら心を開く大切さとは?
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