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本当のジブンに出会う旅|中年バックパッカーの孤独と絶望と希望の世界放浪記【第39話】(前回)はこちらから。
アイスランド
龍神くんとクミコさん
僕は今、ロンドンのナショナル・ミュージアムの近くのカフェでこの文章を書いている。今日から10日間のイギリスの旅のスタート地点がこのロンドンだ。
そのロンドンに出発する前日、旅中に出会ったカップルが僕が今お世話になっているセブの語学学校に、僕と今回の旅の伴侶であるマネージャーさんを尋ねてきてくれた。突然の来訪でみんなとてもびっくりしたのだけれど、僕とマネージャーさん夫妻の共通の知り合いである二人の来訪は本当に嬉しかった。
その二人、男性が「龍神くん」女性が「クミコさん」という。龍神くんはニックネームでもなんでもなくて、本名である。色黒で、ドレッドヘアーで、音楽をこよなく愛する龍神くんは大阪の人で、大変小気味良い喋りがとても楽しくて心地いい「いかにも」な人である。その龍神くんのパートナーが「クミコさん」なのだけれど、クミコさんは本当に典型的なというか、言葉のミス・チョイスを恐れずにいうと「古風な」感じのする美人さんである。
二人は二年の月日をかけて地球をぐるっと一周した。僕のように途中で帰ることもなく。しかも旅の資金をオーストラリアのワーキングホリデーで稼いでしまったといういわば生粋の旅人さんである。いろんな経験もいっぱいしている。そんな二人のいい意味でのギャップがとても面白いことと、少しだけ天然な感じもしなくもないクミコさんへの龍神くんのツッコミがなかなか愉快で、僕たちはイギリス出発前日であったにも関わらず結構痛飲してしまった。
それはさておき、僕がなぜここで龍神くんとクミコさんの話をするのかというと、二人が僕たちのアイスランドの旅ちょっとしたアクセントになってくれたスペシャルゲストだったからである。二人とはすでに2週間ほど前にハンガリーのブダペストの日本人宿「アンダンテ」で偶然出会っていた。
クミコさんは(天然ぽいけど)なかなか勘の鋭い人で、とある世界一周中の旅人のブログに匿名で登場する僕が、その時リアルに彼女の目の前にいた「僕」と同一人物でかつくだんの語学学校の卒業生であると看破して見せた。それがきっかけでブダペストでは随分話が弾むことになった。なかなかのご縁、出会いだと思う。
その「とある世界一周中の旅人」というのが他でもない「まんぷく夫婦」で、僕たちはその語学学校のバッチメイト、つまり同期入学生だったというわけだった。その語学学校は、(このサイトにバナーが出ていると思うのですが)「旅人が集まる」という触れ込みのちょっとユニークな語学学校で、入学者の半数近くが世界一周予定者、あと半分はワーキングホリデーの予定者である。
僕とまんぷく夫婦は、前回書かせていただいたとおり、その語学学校で出会った。そして次の年の夏にアイスランドを一緒に旅することを約束して別れた。彼らは西回りで、僕は東回りで世界を回っていた。その約束がここでようやく果たされたというわけである。
ここにガラパゴス諸島を一緒に旅した「はっつ」と、ウユニ、バルセロナで偶然あった「愛ちゃん」を加えた5人でアイスランドを旅することになっていた。この二人に関しては僕が旅先で出会って声をかけたもので、彼女たち二人もやはりその語学学校の卒業生だ。ユニークな学校で出会ったユニークな仲間達とともに旅をする。今回の世界一周で、このアイスランドが僕にとって最も印象に残る最高の場所ということになった。
アイスラウンド
アイスランドの旅の予定は10泊11日。レンタカーで旅をすることになっていた。何事もソツなくこなすまんぷく夫婦が大体の旅の予定と宿泊先を決めてくれていた。車で1日に走る距離、回ることができる絶景ポイントを見積もり、そこからその日だいたいどの辺りに宿を取ればいいかを決めて、実際に予約までしてくれる。彼らのいう通り旅をしていればまず間違いあるまい。そして実際それはその通りであった。彼らの旅における計画性を見ていると、自分の世界一周がなんだかデタラメで無謀なものに思えてくる(そしてそれは実際当たらずとも遠からずである)。
airB&B(以下「エアビー」)は自宅を宿泊施設として提供したい宿主と旅人をマッチングするアプリである。ざっくりいうと「民泊」斡旋アプリであるのだが、これをアイスランドで利用したことは本当に正解だったと思う。まんぷく夫婦万歳だ。アイスランドは基本的に首都のレイキャビクを別として宿泊施設がほとんどないか、あってもべらぼうに高くて僕たちのような貧乏旅行者には手が出せない。そこでエアビーの登場となるわけなのだが、アイスランドの戸建てのお家というのは本当に「可愛い」のである。
比較的明るい色のインテリアはだいたいシンプルにまとめられていて、壁にはちょっとした絵が飾られていたりする。家主さんも色々趣向を凝らして旅人向けに自宅をちょっとリフォームしてくれているようで、僕たちは毎晩毎晩、次の宿に行くのが楽しみで仕方なかった。海辺の一軒家では、庭のデッキから洋上に浮かぶ季節外れのオーロラを見ることができた。団地の一室、一軒家、マンションの一室。どれも5人で宿泊するには十分の広さで、お値段もそんなに高くない(もちろんそんなに安くもないけれど)。
ただ、アイスランドの東の方はあまり人が住んでいないので、エアビーでも宿泊先を確保するのが難しい。自然が豊かで美しいそのエリアを旅していた間はキャンプ場に泊まった。アイスランドの夜は夏場であってもかなり冷える。だから正直な話、そんなに快適な夜であるとは言い難かったけれど、それはそれでみんなと過ごしたいい思い出である。
この時は龍神くんカップルも同じキャンプ場に泊まった。二人は時に僕たちが予約していた宿に泊まって、時に別のところに泊まった。色々あってノープランで偶然ここに来てしまった二人は、宿泊先を確保することがなかなか難しかったのだ。だから可能な時はなるべく一緒に泊まってもらうようにしていた。そんな夜は決まっていつも楽しかった。もちろん二人がいない夜だっていつも楽しかった。
そのキャンプ場で、僕は生まれて初めてオーロラを見た。夜の一時過ぎ、突然はっつに起こされて車の外に出た。空には白い靄がかかっているように見えて僕は「どうしたの?」と尋ねてみたのだけれど、みんなに揃って「しっ!」と言われてしまった。周りに人が寝ているのであまり大きな声を出さないように、という意味だと思ったのだけれど、どうもそういうことではないらしい。
「おすぎさん、オーロラ!」。僕たちが見上げた空を漂うそのオーロラは本当に弱々しくて、今にも消えてしまいそうで、だからろうそくの弱い光を慈しむような心持で、僕たちはその弱くて美しいオーロラが消えてしまわないように、優しい声で話す必要があったのだった。当然静かに話そうが大声で話そうが、オーロラは現れるべくして現れて、消えるべくして消える。けれどその時、僕たちは声を潜めて話さずにはいられなかった。僕たちの頭上に広がる弱々しい光のカーテンを慈しむために。
ところでアイスランドは物価が高い。とりわけ(輸入に頼らざるを得ないのであろう)食料品が高いのは僕たちバックパッカーには痛手だった。けれどそこは5人(時々7人)の強みというべきか、僕たちは本当にいろんな工夫をして食費をかなり安く抑えた。小麦粉を練ってピザ生地を作ったり、安い野菜をふんだんに使って煮物を作ったり、残り物を上手に利用したり。調味料は各自が持ち歩いていたものをシェアする。次第に「食材費が高い」という制約の中、いかに予算内で豪華な料理ができるか?を楽しむようになっていた。
アイスランドの風景
アイスランドの大自然は最初から最後まで僕たちの期待を裏切らなかった。10日間でラウンドできてしまうくらいの大きさの島を周遊しているわけである。だいたい似たような景色が続き、それから次第に飽きてくる、という展開を想像していたのだけれど、僕たちを待ち構えていたのはその都度その都度、その印象や表情を変える極上のランドスケープだった。
「セリャントスフォス滝」は裏側に回れる滝で、「グトルフォスの滝」はその落差が凄まじい。「ゴーダフォスの滝」は幅の広い滝壺にかかる虹と、山のミネラル分を溶かして流れる青い水が美しかった。流氷が流れ着く「ダイアモンドビーチ」の黒い浜辺と白く輝く流氷のコントラストは、自然が作り出した先鋭的な芸術作品のようだった。
その氷河の氷を持って帰って、すぐ近くの「グレイシャー・ラグーン」で、龍神くんが持ってきていたウイスキーを拝借してオンザロックを楽しんだ。氷河の青、海の青、そして空の青。雪原の白を背景にして光り輝く様々な表情の青を見ながら、僕たちは結構長い時間そこで佇んだ。
海を見ながら食べたランチも忘れることができない。夕ご飯に多少お金をかける分、僕たちは昼食代を節約する傾向があった。だいたい毎日、食パンにジャムやチョコレートを塗って食べた。前の日の残り物を持って出て、パンと一緒に広げれば、自然の美しいアイスランドではそれだけのことで結構なピクニック気分を味わうことができる。アイスランドの風景は、チープな食事をとんでもないご馳走に変える魔法だと思う。8月のアイスランドの少しだけ冷たい、けれど柔らかで心地よい風に吹かれながら仲間と外で食べるランチが美味しくなかったことは一度たりともなかった。
場所がはっきりと思い出せないのだけれど(多分仲間に聞けばすぐわかるんだろうけど)オーナーが住む民家に隣接して建てられた「馬小屋」を改装して作られた面白い宿があった。小高い丘の上、牧草地を望むその場所に建てられた一軒家(と元馬小屋)の玄関口から見る風景は、なんでもない普通の牧草地にはない神々しさのようなものがあった。
朝日が登る時間、少し皆よりも早く目が覚めた僕は玄関前の庭先に立ってその風景に見とれていた。僕の気づかないうちに、左後方には老婦人が立っていて、同じようにその風景を眺めていた。おそらく母屋に宿泊していたご夫婦の奥さんだろう。眺めるともなくその風景を眺めていた老婦人が、突然消え入りそうな小さな声で”What a beautiful scenery it is!” と言った。あまりに綺麗なブリティッシュアクセントに、僕は思わず後ろを振り返った。その老婦人の目は今にも溢れてこぼれ落ちそうな涙でいっぱいになっていた。
その美しい風景に心を打たれて泣いていたのか、過去の思い出が彼女を少し感傷的にさせたのか。僕には知る由もないけれど、理由はどうあれあそこに広がっていた風景は、その美しい老婦人の涙に十分に値するくらい祝福の光に輝いていたように思う。物理的にも、比喩的にも。
僕は小さくYes, it is”と言った。あの時どんな風に言えばよかったのだろう、いまでも時々思い出して考えてしまう。
ラスト・フライト
このアイスランドの旅で、僕の持論である「旅はどこに行くかではない、誰と行くかだ」は確固たるものになった。僕たちはレイキャビックの空港で別れた。同じ日に、龍神くんカップルもカナダに向けて旅立つはずで、彼らの飛行機が一番早い出発だった。だから僕たちはレイキャビック市内でもうお別れを済ましていた。にも関わらず、午前中にブルーラグーンで思う存分はしゃいだ僕らは、彼らとその日空港で再会することになる。まぁ理由は書かないでおこうと思う。
最後にアイスランドを発ったのが僕と愛ちゃんだった。僕はフランスの「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」に向かう。カミーノ・デ・サンティアゴを歩くために。あいちゃんは友達が待つオランダへ。そんな風にして僕はまた一人になった。旅は出会いと別れの繰り返しで、僕にとって仲間との別れはすなわち孤独を意味していた。あと何度、この辛い経験をすればいいんだろう。レイキャビックの空港で、深夜出発の便を愛ちゃんと一緒に待ちながら、来るべき別れと孤独の瞬間を想像的に先取りして僕の心は暗く沈んでいた。
けれどその時の自分が知るはずもない。僕の旅はもうほとんど終わりに近づいていて、この別れが、まさに僕がこの世界一周で経験することになる最後の別れの瞬間になるのだということを。残念だけれども、それが紛れもない現実で、紛れもない僕の世界一周だったのだ。
ほぼ定刻通りにフランスに向けて飛び立った飛行機の中で、僕は程なく眠りに落ちた。このフライトが、この旅のラスト・フライトになるということも知らずに。この次のフライトが、日本に戻るためのフライトになるということも知らずに。
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