世界をもっと身近に|フィリピン留学MBA創業者渡辺和喜さんが語る今後の熱い展望とは

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こんにちは。

セカパカライターのそうま(@Soh0806)です。

今回この記事でご紹介するのは、オトナ留学MBA創設者の1人である渡辺和喜さんです。

MBAには3名の共同創業者が携わっていますが、渡辺さんは現在、最高執行責任者・COOとして就任されています。

渡辺さんは今回のインタビューの中で、「MBAで働いているフィリピン人の先生を世界に立たせてあげたい。」という印象的で力強いメッセージを残されました。

果たして、このような想いに至る経緯にはどのようなものがあったのでしょうか?

フィリピンで学校を作るまでの苦労話から今後達成したい新たな目標まで、みっちりお聞きすることができたので、この記事を通じて皆さんにお届けしたいと思います。

これから新しい事業を始めたいと考えている方、国内・海外場所に問わず学校事業に携わりたい方など、渡辺さんの挑戦し続ける行動力から勇気をもらえると思います!

 

 

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MBA創業者 渡辺和喜(わたなべかずき)さんのプロフィール

渡辺 和喜(わたなべ かずき)さん

1984年福岡県生まれ
大学在学中にウエディングプロデュース会社を設立、代表取締役に就任。
2006年から地方特化型投資銀行にて投資ファンドの運営担当者として大型投資案件を担当。同社の経営戦略コンサルタントとして、数十社の経営支援、経営者育成、M&Aサービスに従事。支援先の取締役も数社歴任。

同社退職後、セブ島に渡り、3か月間韓国系の語学学校に通いながらフィリピンでの事業構想を立案。2012年11月にユナイテッド・リグロース社を設立し、取締役COOに就任。

ー俺のセブ島留学よりプロフィール引用

渡辺さん(以下より、カズさんでご紹介させていただきます。)に加えて、更に共同創業者のお二方をご紹介します!

CEO  呉 宗樹(以下ジョンスさん)

CFO 鈴木 光貴さん(以下ミッチーさん)

<共同創業者となる3人の出会いとは?>

今から約5年前の2012年、その当時カズさんとミッチーさんは同じ職場の同期、ジョンスさんとミッチーさんがその前の職場の同期という関係で、ある飲み会の席で3人が巡り会います。そこで、今後のキャリアを海外に転身しビジネスマンとしての価値を高めるために、「アジアで起業しないか」という夢を語り合います。

このようにお互いに切磋琢磨し合う関係を育まれ、今後のグローバル時代に対応する最初の手段として、まずは英語力の習得に重きを置かれました。

そして同年2012年の4月、3人の中でカズさんが一番先に会社を退職しフィリピン留学を経験されることに。これが、MBA開校となるストーリーの始まりです!

それではこの続きのエピソードは、インビュー形式でお届けします。

実際にカズさんに質問させていただいた内容はこちらです。

  • フィリピン留学の経験からどのように学校を創業する決意に至ったのか
  • フィリピンで学校を設立する上でどのような壁を乗り越えてきたか
  • MBA設立後、今後の達成したい新たな目標や展望とは
そうま
カズさん、本日はよろしくお願いします!
カズさん
よろしく〜。

 

質問その1. フィリピン留学の経験からどのように学校を創業する決意に至ったのか

フィリピンへ飛び立つカズさんを見送りに空港で

そうま
2012年の4月から3ヶ月間、カズさんはフィリピン留学へ行かれたわけですが、その経験からどのように英語学校を創ろうと思われたのでしょうか?そして社会人限定のオトナ留学というブランドを立ち上げられた経緯も一緒にお聞きしたいです…!! 

日本人オーナーで社会人の多い学校を探したけど、なかなか見つからなかった。

そうま
カズさんは英語学習のために、元々フィリピン留学を考えておられたのでしょうか?
カズさん
実はそうじゃなくて、元々僕はアメリカのシカゴで英語留学することを検討していたんだよ。だけど、ジョンスが「フィリピン留学が断然安くて授業の質も良いよ」と、勧めてくれてね。その当時はフィリピン留学は主流じゃなかったから、教えてもらった時はビックリしたよ。確か・・・、同じ3ヶ月の期間の金額でアメリカ留学が200万する費用に対して、フィリピン留学はなんと60万、しかもマンツーマン授業!これは、コスパ的にフィリピン留学にだな!って思って行き先を変更したんだよ。
そうま
間違いないです(笑)!アメリカ留学と比べると断然の安さですね…!その当時は今と比べると英語学校の種類は少なかったと思いますが、どのように学校を見つけられたのでしょうか?
カズさん
留学エージェントを使ったよ。社会人比率の高い学校を探したんだけど、なかなかなくてね。。そもそも、日本人経営の学校も少なくてほとんどが韓国資本だったから、結構学校探しには時間が取られたかな。
そうま
なるほど。ちなみに、なぜ社会人比率の高い学校を探されたのでしょうか?
カズさん
それは、学生と一緒に学習するイメージを持てなかったというのが一番の理由かな。その当時僕は28歳だったし、社会人として経験を積んだ上でのキャリアアップするための留学だから、大学生と一緒に英語を勉強するという環境は自分をランクダウンさせてしまうのではという不安な気持ちが少しあってね。もちろん、それも楽しいんだけど。その時は、フィリピン留学で英語を習得してアジアで起業する!という熱い想いがあったから、そこは学校の環境面はこだわったね。最終的に、ある程度社会人がいる比率の高い学校を紹介してもらえて、セブへ3ヶ月間留学してきたって感じかな!

 

社会人にスポットを当てた英語留学を造りたい!目標は渡航前に決断。

カズさん
自分の学校探しの経験を通してこう思ったんだ。「自分みたいに社会人にスポットを当てた英語留学を必要としている人がいるのでは?」ってね。フィリピン留学自体まだまだ知られていない時代だったから、ビジネスとしてフィリピン留学の学校事業はかなり当たるなって思ったんだ。・・という感じで留学を始める前には、自分のビジネスの目標は決めてしまってたんだよね!(笑)
そうま
そのスピード感のある決断力すごいです…!それから、留学中はどうされたんでしょうか?
カズさん
とにかくセブ島内で人脈を造ることに必死に動いたよ!学校のオーナーや、弁護士とも会って話して具体的に学校事業についての情報収集をした。僕が留学していた期間、ジョンスとミッチーはまだ会社を辞めていなかったから、週1でスカイプをして一緒に情報共有もしていた。そうやっていくうちに、その年の7月には2人とも会社を辞めて、みんなでまた再会した時に改めて決めたんだ。セブに学校を造ろうってね。

 

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質問その2. フィリピンで学校を設立する上でどのような壁を乗り越えてきたか

そうま
それからカズさん、ジョンスさん、ミッチーさんはセブでビジネスを始められるわけですが、それからどのような進展があったのでしょうか?ぶつかった壁や苦労話などありましたら、お聞きしたいです…!!

 スタート時はホテルから。資金的には余裕を持って始めることができた。

カズさん
それから僕ら3人はセブで合流して、ジョンスとミッチーもそれぞれ英語留学を体験して、本格的なビジネスを始めて行くことになるんだけど。最初の資金は1人100万円ずつ出し合って、合計300万円からのスタート!最初は失敗してもショックを受けない金額から始めようという、気軽な心構えでいたんだよ。
そうま
とても勉強になります。それからはどのように動いていかれたのでしょうか?
カズさん
まず、僕らは学校という建物にはこだわってなかったんだよね。先生としっかりとしたカリキュラムがあれば、あとは場所があれば大丈夫。それでその場所について最初に目をつけたのが、ホテル。できたばっかりのホテルでこれからお客さんが入るタイミングだったから、部屋をいくつかマンスリー契約させてもらえないかと交渉したらオーナーが快諾してくれてね。最初からでっかい学校を作れるとは思っていなかったから、この決断は良かったなって思ってるよ!
そうま
最初のMBAはホテルからスタートしていかれるんですね!ちなみに資金的にはどうでしたか?ホテルは、お高そうな印象がありますが。。
カズさん
それがね、結構余裕だったんだよ(笑)。スタート時は生徒さんも少ないから、6部屋をマンスリー契約して抑えたかな。結構できたばかりのホテルだったから、部屋も良い感じだし、ルームクリーニングも食事の質も申し分なしで満足だったね。

ホテルやその他の人件費など金額に直すと最初にかかった費用は全部で150万円。当初の予定よりも余裕のある金額で学校事業が始められたよ。生徒さんが多くなった時は最高40部屋借りた時があったけど、その時はエレベーターでの生徒さんの移動が大変だったかな(笑)。約2年間はこのホテルでやらせてもらったよ〜。

 

 フィリピン人の尊厳を守らなけれないけない。苦い経験を通して得た教訓

そうま
学校設立後、大変だったエピソードとかありませんか?リアルな苦労話などありましたら、ぜひ教えてください。
カズさん
そうだね〜。その当時学校の最初の生徒さんは7名からのスタート、それに対して先生たちは10名いて、先生達の方が多かったから空き時間がよく発生して暇にさせてしまっている時があったんだよね。そういう時、先生たちはみんなで固まってダラ〜ってしてる時があってね。その時につい言っちゃったんだ。

「何か今の時間できることがないか。暇なら掃除でもできるだろう?」ってね。そうすると、えらいことになってしまって(笑)。

そうま
その情景、目に浮かびます…(笑)。それからどうなったのでしょうか?
カズさん
先生たちがボイコットして来たんだよ。「私たちを奴隷のように扱った」ってね。「英語の先生である私たちがなぜ掃除をしないといけないのか?それは職務内容として書いてあるのか?」という風に不満が大爆発。先生達をいきなり怒らせてしまったよ。正直腑に落ちないところも少しあったけど、それ以上に先生たちが明日から来なくなれば、学校事業が成り立たなくなる…。

「先生たちの自宅まで行くから直接謝罪させて欲しい」と、このことを伝えてくれたフィリピン人のマネージャーに説得してもらって、なんとか無事に回避できたって感じかな。本当その時はヒヤッとしたよ。。その時学んだのは、フィリピン人の尊厳を守らなければいけないということ。この経験がすごく生かされてるなって、今振り返ると苦い汁を飲まされた良い思い出だね(笑)。

そうま
海外だと文化や価値観の違いを理解することが本当に大切なのですね。貴重な経験を話していただいてありがとうございます!それから、MBAはどのように進展していかれたのでしょうか?
カズさん
今の新MBAの校舎は元々オフィスビルだったんだけど、それを全面的にホテルに改装しているのをたまたま僕が見つけてね。その時に語学学校として改装させてもらえないかと持ちかけたら、意外にもそのビルのオーナーが快諾してくれたんだ。日本人への信頼がすごく厚かったのもあって、トントン拍子で進んで行ったよ。ちなみにこの教室のある2階のフロアは全部僕が図面を買いたんだ。そしたら全部その通りになってビックリしたよ(笑)。この校舎に移ってから、先生達も生徒さんの数も、順調に大きくなっていって今に至るね。

 

質問その3. MBA設立後、今後の達成したい新たな目標や展望とは

そうま
今後達成したい目標や展望などありましたら、ぜひ教えていただきたいです!宜しくお願いします。

 フィリピン人の先生を世界に立たせてあげたい。

カズさんへ誕生日サプライズ

カズさん
MBAの姉妹校となるスタートアップイングリッシュという英会話スクールを日本で4つ展開させているんだけど、そこにはMBAで元々先生として働いていたフィリピン人の方が数名勤務しているんだよ。これは、僕らの中で大きな試みでね、とても大切な意味があるんだ。
そうま
それはどういう意味ですか?
カズさん
フィリピン人の先生達は2年ぐらい経つと、次のキャリアステップを考えるようになるんだ。これは給与の面や環境面の理由からで、それまでの職場を巣立って別の職業へと挑戦していく先生達が結構いてね。これはすごく素敵なことだと思うけど、同時にMBAから巣立っていくのは寂しくてね。

僕らはこれまで先生たちの教える技術の育成に魂を込めてやってきたんだ。今のオーダーメイド授業という生徒さんのニーズに応えるためには、先生の努力が必要不可欠。だからこそ先生たちと向き合って一緒に成長してきたこの期間を無駄にせず、ネクストキャリアにつなげられないか?って考えた末に、日本という新たなステージが浮かび上がってきたんだ。

そうま
熱い想いが伝わってきます…!!
カズさん
僕らのMBAという学校が生まれたのも、フィリピン留学の経験が始まり。その僕らの原体験があるからこそ、フィリピン人の質の高い授業を日本で提供することで、もっとフィリピン留学を認知してもらいたいという想いが強くあるんだよ。

 

これからは、世界をもっと身近に感じるステージ造りを

カズさん
これは、ジョンスが語った名言の1つで、”3人でやると喜びは3倍、悲しみは3分の1”というものがあるんだ。これは本当にその通りだと思っていて、フィリピンを先駆けにアジアで行ってきたこれまでの挑戦は、3人じゃないとやれなかったことがたくさんある。成功した時は喜びを分かち合い、辛い時は助け合い、お互いに語るこれからの野望に熱くなる…、こんな経験の連続だからこそ今があるなってつくづく思うなぁ。
カズさん
これからは、フィリピン人の先生達がもっと世界を身近に感じられるようにというステージを用意することが大きなテーマだね。語学学校の拡大に加えて、フィリピン人を世界に立たせるという人材の育成により力を入れることで、今後もアジアで活躍するパイオニアとして邁進していくよ。
そうま
カズさん、本日は本当にありがとうございました。

 

ビジネスを生み出すのは身近にある原体験から。仲間と共に挑戦し続けることで更なるステージ造りへ

渡辺さんのインタビュー、いかがだったでしょうか?

呉さん、鈴木さんというお2人との出会いからアジアでビジネスをする挑戦が始まり、オトナ留学MBAを開校させることができたこれまでのストーリー。

フィリピン留学の原体験から今のビジネスを生み出され、今後はフィリピン人のキャリアアップという形で還元していくことで更なるビジネスの拡大に向けた熱い展望を語っていただきました。

私自身今回のインタビューの際に、渡辺さんから詳細に語ってもらった一つ一つのお話にとても熱くなり、タイピングの手が止まりませんでした。起業する上でのマインドセット、ビジネスの始め方、仲間を持つことの大切さなど、いろんな秘訣を吸収させていただきました。

もしオトナ留学MBAのフィリピン人の先生が提供する授業を体験してみたい!とお考えの方がいらっしゃいましたら、ぜひ下記のMBA公式サイトより詳しくご覧いただけたらと思います。

渡辺和喜さん、この度はインタビューに応じていただきありがとうございました。

 

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    そうま

    フィリピン・セブ島拠点のWebライター・ブロガー・筆文字アーティスト。27歳で会社を退職し、単身セブにて英語・IT留学アクトハウスへ。ブログサイト名、Sohmac(そーまっく)運営。セブを拠点にしたフリーランスという、20代後半で新しい生き方に挑戦し続けるリアルな心情をブログで発信しています。